第三十四話 奪われた家族
【注意】
今回は、少し暴力的なシーンがあります。苦手な方はご注意ください。
澪の家に着いた聖夜と祐司は、門扉を開けてイングリッシュ・ガーデンを通り抜けた。
ちょうど差し込んできた朝日が、玄関先にいる人影を照らす。
そこにいたのは澪だった。
コートを着ていても凍えるような寒さの中で、パジャマにバスローブを羽織り、膝を抱え俯いている。
「澪、どうしたんだい、こんな早い時間に。もしかしておれのせいで、昨夜家に入れてもらえなかったとか?」
祐司はそっと澪のそばまで近づいた。
「大丈夫? ご両親に謝りにくいなら、おれがもう一度謝るよ」
その声で初めて祐司に気づいたように、澪はゆっくりと顔を上げた。
だがそこにはなんの表情も見られない。焦点すら合っていないようで、ぼうっとしている。
「澪ちゃん、何があったんだい」
今度は聖夜が問いかけた。それをきっかけに、ようやく澪の瞳に光が戻る。
同時に澪はゆっくりと立ち上がった。
「ゆ、祐司さん……」
澪はふるえながら、祐司にすがるように抱きつき、急に大粒の涙を流し始めた。
祐司は愛しい人をそっと包む。
(あれはなんだ?)
聖夜は澪が座り込んでいた場所に、焦茶色に変色した染みを見つけた。近づいてそれを観察する。
(これは……血だ)
よく見ると祐司にしがみつく澪の服にも、あちこちに血飛沫がある。
祐司はそれに気づいていない。
「ここにいたら凍えちまうよ。ご両親に頼んで家に入れてもらおう。
あとは……おれがなんとかするさ。だから澪は心配しな……」
「いやっ!」
澪は叫んで拒否する。
「家に入るのは怖い。
だってお父さまとお母さまが……それにまだ犯人がどこかにいるかもしれないのに……」
「……犯人?」
祐司は澪の言葉を繰り返しながら、肩に手をおいて澪をそっと離した。
「なんだよ、これはっ」
バスローブの下に来ている澪のパジャマに、血糊がベッタリとついている。
よく見れば、手のひらや頬にも血まみれだ。
犯人がいるという言葉は、こういうわけだったようだ。
(もし不審人物が居座っているなら、ぼくが真っ先に乗り込むべきか。
祐司と澪ちゃんが出会したら、却って面倒なことになる)
聖夜は家の中に意識を集中させながら、ゆっくりと扉を開けた。
途端に血の臭いが鼻をつく。幸か不幸か、それは聖夜の中にいるダンピールの能力を刺激する。
「祐司と澪ちゃんはここで待っていて。ぼくが中を調べてくる」
「聖夜、そんな危険なことさせられない。まず警察を呼んだほうがいいんじゃねえか?」
「忘れたのかい。ぼくはあの通り魔をひとりで抑えたんだよ」
「だからって……おい、聖夜!」
背後で祐司の止める声がした。聖夜はそれを無視して、ひとり、家に入った。
玄関先に続く廊下には、澪であろう足跡が残っている。それは階段から続いていた。どうやら犯人は二階で寝ていた一家を襲った。
理由は解らないが、犯人は両親だけを襲い、澪には手を出さなかった。
一階に潜んでいる人物がいないか。
聖夜の研ぎ澄まされた感覚は、そこに犯人の存在がいないかを探した。人間とヴァンパイア、どちらの気配もない。
聖夜は音を立てないように、そして気配を消して二階に向かう。
澪の足跡から、事件現場は二階だと推測したが、正しかったようだ。
階段を登り切り、視線で足跡を追う。それは両親の寝室と思しき場所から続いていた。
開いたままの扉に近づき、また気配を確認する。家の中には何物の気配もなく、事件の痕跡以外は何も残っていない。
むせかえる臭いの元は、寝室だ。
聖夜は警戒したまま中を覗き込んだ。
「うっ」
部屋中に広がる光景に、聖夜も息を呑む。
「なんてことだ……」
壁という壁、すべての家具に血飛沫が飛んでいる。
ベッドは多くの血を吸い込み、重さに耐えかねた血が雫となって床に血溜まりを作っている。
普通の神経をしていたら、胃の中のものを戻して逃げ出すような状況だ。
だがどういうわけか聖夜には、そんな人間らしい感情が欠けていた。
例えるならば、車に撥ねられた小動物の遺体が道端に転がっているのを見たときのような、多少の不快感と気の毒に思う気持ちしか湧いてこない。
(ぼくは、人の死をその程度にしか捉えられないんだ)
人間のふりをしたダンピール。身体に流れる血の半分はヴァンパイアのものだ。それが聖夜の本来持っている人間らしさを減少させていた。
人の死に対する感覚が鈍っている。
胸が痛まないといえば嘘になる。
だが今は、消え去った感情に思いを馳せている時間などない。
入り口手前側のベッドでは、母親は右腕をちぎられ、恐怖と痛みで顔を歪めたまま事切れていた。
一部見えている手や足は、鋭利な刃物であちこち切り裂かれている。中には骨が見られるまで抉られている傷もあった。
(母親は失血死、あるいは痛みによるショック死か……)
聖夜はそばに近寄り、首筋に牙の跡が残っていないか探した。
だが全身の傷が多すぎて、司法解剖の専門知識のない聖夜にはどの傷の原因も判断がつかなかった。
奥のベッドで寝ていた父親は、もっと悲惨な状況だ。
首が胴体から切り離され、丁寧にサイドテーブルの上に置かれていた。
眼球は潰され、顔中が血まみれになっている。
ノコギリのようなもので切られたのではない。素手で叩き切られたのだろう。
(腕といい、首といい、とても普通の人間ができることじゃない)
これだけのことを、感情抜きでできる力を持つもの。
聖夜が知る限り、ヴァンパイアしかいない。
そしてこの部屋には彼らの持つ邪悪な気が残っている。
同じ血を持つものだけが嗅ぎ取れる微かな痕跡だ。
澪はこの光景を目の当たりにした。
だから放心状態になり、すべての感覚と感情をなくし、本能だけで家を飛び出した。
祐司に連絡したのは、この状況で頼れる、たったひとり信頼できる人物だからだ。
「不審人物はいなかったよ。でも……」
家を出て玄関先に立つ祐司と澪に、聖夜はそれ以上詳しく伝えられない。
「でもって、じゃあ何があったんだ?」
「いや、祐司は見ないほうがいい。
それよりも、あんな悲惨な現場を見た澪ちゃんを気遣ってあげなよ」
聖夜はふたりに詳しい話を一切しないで、スマートフォンを取り出し、警察に連絡を入れた。
司法が手を出せる相手ではないが、放置しておくこともできない。
「聖夜。警察って、一体どうしたんだよ」
ひとり蚊帳の外におかれた祐司は、震えて泣きじゃくる澪を抱きしめながら聖夜に詰め寄る。
「澪ちゃんのご両親が遺体で見つかった。あの現場は素人のぼくたちが見ていいようなものじゃないんだ。
それを実際に目にした澪ちゃんに、あれを思い出させたくないからね」
「ちょ、遺体で見つかった? 思い出させたくないって……」
「祐司が気になるのは当然だよね。でもぼくはここで説明することで、澪ちゃんの記憶に刻みつけたくないんだ。
かのこ荘に帰って落ち着いたら話してもいいけれど、聞いたら絶対に後悔する」
「でも、聖夜。おまえは平気だったんだろ? だったらおれも……」
「平気なわけないよ!」
滅多に怒鳴らない聖夜の大声に、祐司は一歩後ずさんだ。
「もしあれが自分の親だったら……ぼくは正気を保っていられない……」
去年の事件で、友達の恋人と自分の愛した女性を亡くした。
実の母は聖夜に牙を向け、育ての父は命がけで聖夜と運命を共にした。
あの一連の出来事を考えるだけで、聖夜の中にある怒りが大きな炎となって燃え上がりそうになる。
でも一度感情に身を任せたら、聖夜は自分を制御する自信がない。
祐司と澪の前で、もうひとりの、そしてある意味、真の姿を見せたくない。
「とにかくここは、澪ちゃんを優先させるのが一番大切なことだろ。警察が来たら、多分救急車で病院に運ばれる。
ぼくは現場を荒らしたから、いろいろと質問されて面倒なことになるよ。
祐司まで家の中に入ったら、澪ちゃんにつきそう人がいなくなるだろ」
「た、確かに聖夜の言う通りだ。
解った。こんなときこそおれが、澪のそばについていないといけないな」
祐司は自分の着ているコートを脱ぎ、いまだに震えの止まらない澪の肩にかけた。
そして自らの体温で大切な人を温めるように、力強く抱きしめる。
聖夜はその様子を見ながら、このあとどうすれば良いのかを考え始める。
だがこの状況で何ができるというのだろう。
(ここはやはり……香取さんに頭を下げ、教えを請うのがベストってとこか)
一度香取翁に見捨てられた聖夜だ。果たしてその資格があるだろうか。
だがひとりでできることには限りがある。あのとき素直になれなかった自分自身を、今ほど後悔したことはなかった。
そんなことを考えているとき、ふたり組の制服警官が田崎家にやってきた。ひとりは四十代前半くらい、もうひとりはまだ二十代だろう。
若い警官にはきつい現場かもしれない。
澪から電話で助けを求められて家の中で見たことを、聖夜はざっと説明した。
警官たちは互いに顔を見合わせ、家の中に入る。
しばらくして若い警官が青ざめた顔で出てきて、その場で嘔吐した。
それを見て一番驚いたのは祐司だ。
聖夜が止めた理由をやっと理解したようだ。
やがて到着した救急車に澪が乗せられ、祐司はつきそいとして同乗する。
それを見送ると、聖夜は警官にさらに詳しい話を求められた。
やがて数人の鑑識官らしき人物が訪れ、現場検証が始まった。
聖夜はひと通りの事情聴取を受ける。そしていつでも連絡できるようにとスマートフォンの番号を求められた。
解放されたときは、もう日が沈みかけていた。
セオリー通り一度は犯人として疑われたが、とても人間の力でできる犯行ではないと判断されたようだ。
古い町で昔から伝えられている吸血鬼伝説。それと事件を結びつけようという捜査官はいないだろう。
これがヴァンパイアたちの強みだ。真実は科学の中でフィクションとなり、気づいたものが変人扱いされる。
司法の及ばない犯人探しと刑罰は、ハンターたちの仕事だ。
警察にはこれまでの行方不明事件と結びつけることすらできない。
そしてハンターたちとは関係なく、聖夜が解決しなくてはならない事件となった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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