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パラダイス・ロスト  作者: 須賀マサキ
第八章

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第三十二話 黒ずくめの男

今回は少し短めです。

「ぼくはこれで失礼します」

 若きダンピールはゆっくりと立ち上がり、消え入るような声で香取翁に告げた。


「ならば車で送らせよう。少しお待ちなさい」

 香取翁は内線で運転手を呼び出し、その旨を告げた。

 そして立ち上がり、聖夜を玄関まで送ろうとする。


「必要ありません。香取さんのお宅は豪邸ですが、この程度で迷うようなぼくではありませんから」


 聖夜は立ちあがろうとした香取翁を制止し、ひとりで部屋を出ていった。


 一息ついたのち、香取翁は窓から庭を見下ろす。

 ちょうど聖夜が車に乗る姿が目に入った。


 こうして見ると、なんら普通の青年と変わりない。まだ幼さの残る顔立ちは、少年と言っても差し支えない。

 香取翁には聖夜の背中が、心なしか小さく見えた。


(まだ幼いダンピールに、苛立ちをぶつけるとは。

 年長者として取る態度ではなかった)


 聖夜を乗せた車が走り去るのを見送り、香取翁は俯き加減でカーテンを閉めた。

 その足でバーに立ち、新たにふたつグラスを用意する。


「話を聞いていたのだろう?」


 氷を入れながら、バーのすぐそばにあるドアに話しかけた。

 扉が開き、ふたりの青年が姿を見せる。彼らは慣れた様子で、先ほどまで聖夜の座っていたソファーに腰掛けた。


 ひとりは首元にガーゼを貼りつけた、大学生ふうの青年だ。

 もうひとりは黒ずくめの服で全身を包み、二十代半ばの年齢とは不釣り合いに杖を使っている。右足がやや不自由な様子だ。


「で、きみたちは月島くんをどう評価する?」

 香取翁は姿を見せたふたりに、穏やかに問いかけた。


「彼がダンピールだったんですね。でも能力に関しては、問題外です。

 人間にすら簡単に傷つけられて死にかけるようなダンピールが、ヴァンパイアを倒せるとは思えません」


 口を開いたのは大学生の方だ。首元の傷は聖夜につけられたものだ。


「だが月島くんは、何も知らずに生きてきた。ヴァンパイアのこともハンターのことも。

 今からでも訓練を実施すれば、必ず最強のハンターになれる」

 香取翁はソファーに座り、テーブルに並べたグラスにウイスキーを注いだ。


「まだそんな迷いごとを仰いますか。

 いったいどこで、ダンピールが無敵だと思い込むようになったのです?」

 大学生はグラスを手に、香取翁に冷ややかな視線をむけた。


「迷いごとを言っているのはおまえではないか」


 翁が答える前に、黒服が口を挟む。

 途端に大学生の背筋が伸び、ゆっくりと声の主に顔を向けた。


「訓練を一切受けていないダンピールに出し抜かれ、傷を負ったものが言えるのか?

 おれの助けがなければ、今ごろおまえは死んでいたかも知れない。

 いやそれはないか。月島聖夜には、人の命を奪えるほどの決意がない。中途半端な優しさゆえにな」


 黒服が冷徹に言い放つ。大学生は「ぐっ」と喉を鳴らした。


「すみません、チーフ。それはおれのミスです。

 でもチーフたちの仰るようにダンピールなら……」


「わたしの銃弾は避けられたとでもいうのか。

 後からならなんとでも言い訳ができるな」


「そ、そうかもしれませんが、おれもまだ訓練生です。

 だからチーフと一緒に行動したのですよ」


「いずれにせよ、おまえに実践は早すぎた。

 相手が坊やだったことに感謝するんだな。

 彼自身は人間だけでなく、ヴァンパイアさえも殺(あや)めることに抵抗がある。よほどのことがない限りは。

 まだ自分を人(・)間(・)だと思っているからな」


 黒服は大学生に、ここから立ち去るように命令した。

 大学生はグラスを置き、そそくさと部屋を出ていく。


 あとには黒服と香取翁のふたりだけが残った。


「で、翁殿はどう感じましたか」

「あのダンピール——月島くんのことかね」


「そうです。今の能力はさておき、将来性はどうご覧になられましたか」

 香取翁はグラスを手にし、少し考えを巡らせる。


「判断は保留させてもらおう。

 一年前まで人間として暮らし、一切訓練を受けていないのに、訓練生とはいえ簡単にねじ伏せおった。確実にヴァンパイアの力を受け継いでおる。

 だがきみの存在には気づけず、負傷して生死の境目までたどった。

 そこまで隙だらけのダンピールが、よくブラッディ・マスターを倒したものだ。まだ信じられん。

 潜在能力と実戦時の差がありすぎて判断に困る」


「わたしも、実(・)際(・)に(・)こ(・)の(・)目(・)で(・)見(・)て(・)い(・)な(・)け(・)れ(・)ば(・)同じ意見です。

 伸び代はあるが、自由に使いこなせるまでどの程度の時間がかかることか」


「わたしどもが心配しなくとも、短時間で成長するお方でしょうな。

 何せ、組織でも一、二を争うハンターのきみを、たった一振りの刃(やいば)で杖がなくては歩けない身体にしたのだから」


 香取翁の言葉を聞いた途端黒服は、思うように動かない右足を睨みつけ、全身を振るわせる。

 手にしたグラスを握りつぶすのではないかと、翁は懸念した。


 しばらくの間、部屋全体に緊張が走る。息苦しさは黒服の執念だろう。

 敵に受けた屈辱をバネに進めるのならいいが、この男はそれを憎しみに変えている。

 そういう意味では、黒服は精神的に未熟なハンターだったに違いない。


 香取翁は、黒服の意識を過去から現在に戻すために、音を立ててグラスをテーブルに置いた。

 男の目から憎しみの色が消え、鋭い視線に戻った。


「月島聖夜のことはあとで考えることにしましょう。彼を見つけたのは本当に偶然で、当初の目的ではありません。

 それよりも、エリザベータの件はどう片をつけるつもりですか?」


「エリザベータか……。もうわたしには、あれを倒す術がない」

 香取翁は両手を組み、肘を膝の上に置いて俯く。


「あれのやっていることを止めるどころか、きみたちに後始末をさせているのだからな。

 ハンターならば止めなくてはならぬのに、それどころか進んで協力しておる」


「あなたの手足となって動いているわたしたちも、似たようなものですよ。最もそれは、あなたの要請ですからね。

 組織も秘密裏に行動するためには、いろいろと表にできないことをやっています。

 ヴァンパイアが司法の手で裁けるものでない限り、必要悪というものですよ」


「では、最終的な判断まで、もう少し待ってもらえるのかな?」


「この件の主導者は翁殿ですから。あなたの心が決まるまで、わたしたちは待つだけです。

 それまではせいぜい、顧問弁護士の仕事と、エリザベータの後始末を続けさせてもらいます」


 黒服は右の口角のみを上げ、意味ありげな笑みを浮かべた。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ブクマや一話ごとの評価などをいただけたら執筆の励みになります。気に入ったよという方は、ぜひよろしくお願いします。

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