第三十話 迷える聖夜
「で、きみはどこの支部に所属しておるのかね?」
「……支部、ですか?」
聖夜はなんのことか解らず、質問を鸚鵡返しする。
「ヴァンパイア・ハンター組織(オーガニゼーション)だ。
日本にも数カ所の支部がある。月島くんは、どこの支部で学んできたのかね」
「支部とか、訓練とか……ぼくにはそんな経験はありません。
それ以前に、そういう組織のことすら聞いた覚えがありません。
ましてや出生の秘密に実の父など、一年前にブラッディ・マスターと出会うまで何も知りませんでした」
「なんと。監視者が存在に気づいていなかったというのか」
そのとき聖夜は、ふと柴崎レンのことを思い出した。
「そういえば……覚醒したあの日、ぼくをヴァンパイアの家から連れ出そうとした人物がいました。
あのときのぼくは、そんな気持ちの余裕なんてなかったから、その人から逃げ出しました」
覚醒に伴って、大切な恋人の命を犠牲にした。
そうなることが解っていて、ただ見ていただけの柴崎レン。
事前にすべてを聞かされていたら、この手で葉月の命を奪うこともなければ、こんな呪われた存在になることもなかった。
「ブラッディ・マスターと出会ったとは……。
それで月島くんは無事に帰還したのか。まさか、そんなことがあるなんて。
なんの訓練も受けていないのに。信じられない」
香取翁は目の前にいる聖夜に対し、戸惑っている。
同時に畏怖にも似た感情を目に浮かべ、話を続ける。
「ヴァンパイアの中でも、彼らの頂点に君臨する一握りの存在。それがブラッディ・マスターだ。
多くの修羅場を潜り抜けてきたダンピールでさえ、彼らとの戦いから無事に帰ってきたものはいないと聞く。
それほどに力の差があるものを相手にしたとはな」
「ブラッディ・マスターとは、そこまで強い力を持った存在なんですか」
確かにドルーは、美奈子と比べて天と地ほどの力の差があった。でも美奈子と戦ったとき、聖夜はまだ人間に過ぎなかった。あのときすでにダンピールに変化していたら、簡単に倒せた……いや、救う方法をみつけられたかもしれない。
「しかし、勝利はそのときだけだろう。
感覚や動作は人間のころと比べて鋭敏になったが、戦いの基本が全然なっていない。訓練をしていないから、あんな連中に簡単にやられてしまったのも納得できる」
小さなため息をつきながら、香取はグラスをテーブルにおき、ソファーに深く腰掛けた。
(あんな連中?)
一瞬聖夜は、香取翁の言葉を理解し損ねた。
だがそれが、さきほど襲われたことを指すのだと気づいた途端、怒りがわいてきた。
「さっきぼくを襲ったのは、香取さん、あなたが命じた人物たちなんですね。
いったい何が目的で、あんなことをしたのですか」
「きみの力が見たかったのだよ。
わたしが送った彼らは、ハンターといってもまだ訓練生だ。たいした実践力があるわけではない。
きみなら簡単に叩きのめすと思っていたが、実際はそうならなかった」
香取翁は聖夜があの肖像画に描かれたダンピールの可能性を考え、その力を試そうと刺客を放った。
聖夜は、敵に対し有利な立場に立てたと思い、油断したのは事実だ。
他にも敵がいる可能性を少しも考えていなかった。
相手がふたりになった途端、呆気なく倒されてしまい、危うく命を落とすところだった。
いや、加織が来なければ本当に聖夜は死んでいたかもしれない。
(もしそばに誰もいなかったら、ぼくの中のヴァンパイアはどんな行動を取ったのだろう)
ゾンビのようにフラフラと彷徨い、誰彼関係なく血を吸うために襲いかるのか。
聖夜は急に背筋に寒いものを感じ、そこから先は考えることを拒否した。
「あれを見たわたしは、関係ない人物を巻き込んだかと酷く後悔したものだ。
だが代わりに興味深いものを見せてもらった。なによりも動かしがたい、きみがダンピールだという証拠をね」
その証拠とは、いうまでもない。
聖夜は自分の命を保つために、そばにいたというだけで、大切な友に手をかけた。
(あんなことがなければ、ぼくの中の魔性は姿を見せなかった。
これでもう、懐かしい故郷に帰り、昔の生活はできなくなった)
感情の高まりを見せる聖夜とは対照的に、香取翁は静かにグラスをかたむけている。
「そうです。一番忘れたくて恐れていたことを、あなたはぼくの目の前に突きつけた」
「忘れたくて、恐れていたとはね。わたしにはとても信じられぬことを言うのだな。
ダンピールの能力がすばらしいとは思わないのか」
「すばらしい、ですか」
ハンターたちのあまりの短絡思考に、聖夜は冷笑すら浮かんでくる。
ヴァンパイア相手に対等以上に闘える能力は、なによりも得難いものだ。
だがそれとひきかえになくしたものは、大切な人たちの命と、生き残った人たちの心の平穏だ。
犠牲になった人たち、心に深く傷を負った人たちは、聖夜がそばにいる限り、そのことを思い出し、癒されることはない。
そしてダンピールの存在がヴァンパイアたちやハンターたちに知られた。
そうなった以上、生まれ育った街にとどまるのは、再び大切な仲間を命の危険に晒すことと同じ意味を表す。
そんな聖夜の苦しみに、目の前の老人は気づいていない。
「ぼくはつい最近まで平凡な生活しか知りませんでした。
ヴァンパイアが姿を現さなければ、今ごろはキャンパスを歩いていたかもしれないんです。
いや、それよりも……大切な人をなくし、家族と別れることもなかったんだ……」
香取は眉をひそめ、グラスをテーブルにおいた。
「ヴァンパイアを倒すために力を解放させることは、同時に血に飢えた悪魔を目覚めさせることになるんですよ。
すばらしいと手放しで喜べるほど、ダンピールは甘い存在ではないんです」
「なるほどな。そのような考えでいるから、きみはヴァンパイアどころか人間にすら傷を負わされるのだ」
香取翁は一度言葉を切り、深いため息をついた。
「つまりきみはダンピールであっても、ヴァンパイア・ハンターではないというわけか。
あの方はきみの考えを、どのように感じることか」
香取翁が何度か口にするあの方、つまり聖夜の実の父親かもしれないコナーは、伝説に残るダンピールらしい。
そして一度目にしたコナーの肖像画は、聖夜と瓜ふたつの顔をしていた。
母の言葉を信じるなら、自分の実の父に間違いない。
「あの方は、最後の戦いで命を落とされたと、わたしはずっと思っていた。
だかブラッディ・マスターになっていたのたな。それは月島くん、きみの存在が何よりの証拠だ。
人間には忌み嫌われ、ヴァンパイアには敵対せねばならないダンピールは、永遠の命を持つが故に、永遠の孤独を背負わねばならない。
あの方は、そこから逃れるために死を選ぶのではなく、仲間を求める道を選んだということか」
香取の瞳の奥に、かすかに哀しみの色が浮かび、そして消えた。
聖夜は不意に、老人が自分を「ヴァンパイア・ハンターだった」といった意味に思い当たった。
「香取さん、あなたはもしかして……」
「もしかして、なんだね?」
「ダンピール……なんですか?」
香取翁は困ったような顔をし、静かに首を横にふった。
「そうだったら、どんなにいいことか。
だが残念ながら、わたしは普通の人間だ。ほらこのとおり、時間とともに年も重ねておる」
「でも先ほどあなたは、自分のことをヴァンパイア・ハンターだと」
聖夜は困惑した。
ハンターの組織があるのは、あの戦いが終わったときに柴崎レンが語っていた。
監視者が普通の人間だというのは、レンを見ていたので理解できる。
だから逆にハンターは普通の人間とは異なる異能者、つまりダンピールだとばかり思っていた。
「そうだな。順を追って説明しないから、月島くんを混乱させた。失礼。
だが、なにから話せばいいのか……」
目前の名士は、深い哀しみの色をたたえた瞳を時折見せる。
それは聖夜に、香取翁にも過酷な過去があったことを気づかせた。
ヴァンパイアと接触したことで、十字架を背負う人生を選ばざるを得ないことになったのは、聖夜だけではない。
怒りと後悔の念に支配されていては、何も得られない。
「ご迷惑でなければ……香取さんの話を聞かせてもらえませんか」
翁の瞳に、初めて親しみの色が浮かんだ。
「解りました。すべてを語るには時間が短すぎる。
だが、ほんの一部でも聞いていただけるなら、願ってもないことだ」
香取翁はグラスの中の水割りを飲み干し、もう一度バーに向かった。
☆ ☆ ☆
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ブクマや一話ごとの評価などをいただけたら執筆の励みになります。気に入ったよという方は、ぜひよろしくお願いします。




