第二十八話 真夜中の恋人たち
駅から住宅街を繋ぐ商店街は、ほとんどの店がシャッターをおろし、駅前の繁華街とは対照的にひっそりとしていた。
人の通りがないわけではないが、数も限られている。
静かな通りを歩いていると、祐司は手の甲に温かいものが触れるのを感じた。
(さっき居酒屋に行くときも手を繋いだのに。
自分からは繋がないのも澪らしいや)
澪が迷っているのを悟った祐司は、その手をぎゅっと握る。
掌から澪の安堵感が伝わった。
遅い時間に外にいるのも不安なのだろう。
会話を交わすことなく歩いていると、祐司は不意に澪との出会いを思い出した。
バイト先のファスト・フードで初めて会ったのは、今年の春だ。
ちょうどレジにいた祐司が対応した客が澪だった。
制服姿のままで、ファスト・フードに慣れない友人に色々と教える姿が、颯爽と見えた。
その友人が江莉だったのを、祐司はのちに知ることになる。
お嬢さん育ちの江莉はこういう店に慣れてなかったようだ。
澪は庶民的でありながら、どことなく育ちの良さも滲み出ている。
後日、制服がお嬢様学校のものだと知って納得した。
江莉との会話から、女子高生が澪という名前だと偶然知る。
その日以来祐司は、澪と江莉のふたりに対応する機会が何度かあった。
だが店員と客が気軽に話をしてはならないと、店から指導されている。
仕事の合間に江莉と楽しそうに会話をしている澪を眺めるくらいしかできなかった。
それ以上先に進む日が来ることは絶対にない。
想いを伝えるにしても、下手をしたらストーカーになりかねない。
考えた末、祐司はこのままの関係を選んだ。
諦めつつも遠目に眺めることをやめられない祐司に、転機が訪れる。
澪が通り魔事件に巻き込まれた。
そのとき偶然その場にいた聖夜が、祐司の住む下宿の同居人だった。
聖夜から話を聞かされ、被害者の名前を聞いたときに、もしやと思い一緒に見舞いに行った。
そこにいたのは、痛々しいほどあちこちに包帯をまかれ、点滴の管を刺されている少女だ。
顔にも怪我を負い一部が隠れている。それでも祐司には、被害者が澪だと一目で解った。
どれひとつが欠けても、こうして一緒に過ごすはなかった。
(通り魔のおかげなんて不謹慎だけど、これも運命ってやつ、かな?)
言葉を交わすこともなく、手を繋いで歩くだけの関係が続く。
こんな些細なことですら、祐司の胸に温かいものが広がり、冬の寒さを凌いでくれる。
澪が大切な存在だからこそ、階段を一段ずつゆっくりと登るように関係を進めていきたい。
商店街を抜けると人通りがなくなり、大通りをたまに車が通り過ぎる。
住宅街の中は、わずかばかりの街灯が小さな明りを灯している。
「——オリオン座」
傍らの澪が、足を止めてつぶやく。
声に誘われるように視線を向けると、澪は空を見上げている。
祐司は星空を見上げるが、星座のことはほとんど解らない。
「澪は星座に詳しいんだね」
「それほどでもないわ。ちょっとかじった程度なの」
澪は北西の夜空を指す。
「あの明るい星が、ベテルギウス。その下に三つ、明るい星が並んでるでしょ。
すぐ下にオリオン座大星雲があるの。
肉眼じゃ、見づらいかな?」
「うーん……おれ、視力があんまり良くないんだよ。
コンタクトを入れているけど、今日はもう目が疲れているみたいだ。
見つけられるか解らないや」
祐司は澪の指さす辺りに星雲をさがしたが、街が明るすぎるのか、視力が低下したのか、それとも見ている場所が違うのか。
いくら頑張っても見つけられなかった。
「天体写真を見るとね、うっすらと赤みを帯びてるのが解るの。とっても綺麗よ」
——星空を見上げる澪の目の方が、星の瞬きよりもずっと綺麗だよ。
祐司の脳裏に、恋愛映画に出てきそうなセリフが浮かぶ。
ムードに流されて口にしそうになり、慌てて言葉を飲み込んだ。
我ながら恥ずかしいセリフだと実感し、頭をガリガリと掻く。
澪と夜遅く過ごすのは、これが初めてだ。だから祐司は、澪が天文について詳しいことを知らなかった。
「冬の星で一番好きなのはシリウスなの。中国名では天狼星。
青白い輝きは凍てつく冬の象徴だって思うわ」
一番明るい星だから簡単に見つかるわよ、と澪は祐司を見て微笑む。
顔を上げて空を見たが、やはり祐司にはどれがどれだか解らない。
「澪は望遠鏡を持ってて、勉強の合間に観測してるのかい?」
祐司が訊ねると、澪はゆっくりと首を横にふった。
「そうしたかったんだけど……うちの両親が許してくれないの……」
消えそうな声で告げると澪は口を閉じる。
会話が途切れ、再びふたりは言葉を交わすこともなく歩き始める。
澪と両親の間になにがあったのか、祐司には想像もつかない。
だが望遠鏡を買って天体観測をすることさえ否定するとは。
子供が興味を持つものに対し、伸ばしてやろうというのが普通の親の気持ちではないか。
(もちろん、親の勤めを果たさない人たちがいるのは事実だよ。
でも娘を私立の名門女子校に進学させるような親とは、イメージが重ならない)
教育学部に在籍して教師を目指すとはいえ、一回生の祐司にはまだ学んでいない知識が多すぎる。
現実はそこまで単純なものではないことを知るのは、実際に教壇に立つようになってからだ。
ご両親が機会を与えてくれないならば、せめて自分が少しでも夢に近づけてあげよう。
「なあ澪。もし時間があるならさ。
冬休みか年明けごろにプラネタリウムに行かないかい?」
「本当に? 甘えて良いのかしら」
澪の顔から沈んだ表情が消え、まぶしい笑顔が戻る。
「甘えるなんて考えなくていいぜ。
逆におれは星のことがさっぱり解らないから、後学のためにも澪にいろいろ教えてもらいたいな」
澪の好きなものを共有したい。
おれも勉強することがふえたな、と祐司はまたガリガリと頭を掻く。
「ところで、ライブには聖夜たちと一緒に来るって聞いてたけど、どうしてひとりになったんだい」
聖夜と加織も来ると話していたのに、姿を見せたのは澪だけだ。
祐司はそのことが気にかかっていた。
「え、ええ。忘れ物をしたって聖夜さんが思い出して席を外したの。
でもそのまま戻ってこないから加織が様子を見に行ったの。
ところが今度は加織まで帰ってこないし、スマホにも出てくれないのよ。
だからあたしだけ来たわ。だってふたりっきりでいるって考えると……」
と言いかけて、澪は顔を赤らめて俯いた。
やぼなことを聞いたのかもしれないと、祐司は瞬時に理解した。
(そこから先は、聖夜本人に訊いてみる方が良さそうだな)
女子高生の澪に聞くことじゃなかったと、祐司は人差し指で頬を掻く。
今日のことがきっかけになり、聖夜と加織がいい塩梅に仲が進展したのなら、めでたいことではないか。
(それに比べて……)
祐司は澪に気づかれないように、小さくため息をつく。
手を繋ぐのがやっとで、身体を寄せ合うことすらできない。
寒さを言い訳にして肩を抱き寄せるくらいなんでもない。
そう考えても、澪に拒否されそうで、行動に移せない。
相手が女子高生だと考えると、背伸びさせるのは抵抗があった。
でも一方で
「それくらい強引でもいいんだよ」
と悪魔が囁く。
何度も何度も迷っているうちに、とうとう澪の自宅前に着いた。
(まあ、焦らなくてもいいか)
つないだ手を離し、祐司は緊張を時ほぐすために深呼吸をした。
澪の自宅は、大きな家が多い住宅街の中でも、ひときわ目立つ家だ。
敷地は近所の家の二軒分で、庭はイギリスのガーデニングを連想させる。
手入れだけでも一苦労だろう。
祐司は、私立のお嬢様学校に通うだけのことはあると、納得する。
澪がインターフォンを押す。
これからの展開を考えると、祐司は肩の力が抜けない。
ほどなくして、澪の父親が出てきた。
四十代後半くらいだろうか。
痩せ型で半縁のメガネから覗く切れ長の目が、怒りの心情を語っている。
帰りが遅くなった娘よりも、矛先が自分に向いている気がして、祐司は気が重くなった。
(いや、澪が叱られるくらいなら、おれがその分も引き受けるんだ)
祐司は両手をギュッと握りしめる。
「いったい何時だと思ってるんだ。
日付けが変っているんだぞ。
あんな恐ろしい事件が続いているというのに、お前にはその自覚がないのか」
父親の剣幕に気押され、澪は自分の腕をだき、ずっと俯いている。
次は自分の番かと思うと、祐司はさっきの決意とは裏腹に、今にも逃げ出したくなる。
だが澪はもっと辛い気分のはずだ。
それに思い至り、自分の考えを恥じた。
澪の父親はひとしきり娘を説教したあとで、祐司に顔を向けた。
顔が真っ赤だ。
感情がコントールできていない。
ここは素直に叱られよう。
自分が心から謝罪し、父親の気が済むなら十分だ。
「きみもきみだ。
こんな夜中まで女子高生を引き止めて、何かあったらどうするつもりなんだ?
まったく近ごろの学生と来たら、勉強そっちのけで遊んでばかりで。
自分達で騒ぐのは勝手だが、うちの娘まで巻き込まないでくれ!」
返す言葉もない。
ただ、大学で勉強云々は澪とは関係ないことだ。
こういう状況だから逆に、冷めた自分が出てくるのか。
そんなことを考えながら祐司は俯く。
関係のないことで嫌味を言う父に澪が困り果てているのは、顔を見るまでもなくわかった。
「きみたちとつきあうようになってから、澪はおかしくなったんだ。
前は口答えすることもなく、素直な娘だったのに。
いいか、もう二度と澪には近づかないでくれ。
あまりしつこくつきまとうようだったら、警察にストーカーで訴えるからな!」
「やめてください、お父さま。
祐司さんは悪くないんです。
あたしが勝手にしたことなんです」
澪にかばってもらうのは心苦しい。
誘ったのは祐司たちだ。
ここに来ることを決めたとき、叱られる覚悟はできていた。
「本当にすみません。
大切なお嬢さんを遅くまでつきあわせて、申し訳ありませんでした」
祐司は口答えも言い訳もせず、深々と頭を下げた。
澪の顔を見ることができない。
祐司はそのまま
「失礼します」
ときびすを返す。
「ごめんなさい祐司さん。本当にごめんなさい!」
立ち去る祐司の背に、澪の声が響いた。
振り返りたい気持ちをなんとか押さえつけ、祐司は後ろ髪を引かれる思いで家路についた。
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