第二十七話 午前零時のシンデレラ
小さなライブハウスの客席から徐々に人が消えていき、澪以外に誰もいなくなった。
「閉店しますので」
の声に追い立てられ、澪は隅っこの席から立ち上がる。
俯いたままの澪が慣れない手つきで暗幕をくぐると、見慣れたダークブルーのスニーカーが目に入った。
視線を上げた先に、背にギターを抱えた祐司が優しい笑みを浮かべている。
「なかなか出てこなかったね。余韻に浸っていたのかい」
静かな声に、澪は笑みを浮かべてうなずく。
「今夜はありがとう。
客席の澪を見つけた途端、おれ、今までで一番の演奏ができたんだぜ。
今日の成功は澪のおかげだよ」
祐司は澪をエスコートするように、ライブハウスの扉を開けた。
店の外には祐司のバンド仲間が、友人やガールフレンドをつれて、ふたりが出てくるのを待っていた。
みんなの顔には心地好い疲れの表情が浮かんでいる。心なしか頬が上気しているようだ。
よく考えると、澪は祐司のバンド仲間の名前と顔をほとんど覚えていない。
バンドが練習しているところに合流したことがないからだ。
「さあ、打ち上げに行くぜ!」
リーダーらしき人物が、バンドメンバーと仲間たちを引き連れて歩き始めた。
祐司は傍らに立つ澪を見る。
「ってことだけど……澪はどうする?」
祐司はやんわりと問いかけた。
無理強いしないのは、澪の予定や門限を心配してのことだろう。
その割に目は
「ぜひとも来てほしい」
と言ってる。
腕時計は夜の九時を示している。
家に帰っても、遅くまで仕事をしている両親はまだ帰宅していないだろう。
冷たい部屋が待っているだけだ。
深夜にならないと帰らない親を待つためだけに、祐司の誘いを断りたくない。
それに今夜は、ひとりで過ごすには辛すぎる。
(あたしには祐司さんがいるのに……あのときなぜ聖夜さんといる加織に、あんなにも強い負の感情を抱いたの?)
祐司に対する想いは変わらない。
好きな人は祐司以外に存在しない。
それを確かめるためにも、もう少しそばにいたかった。
「ええ、ぜひ」
澪が頷くと、祐司がすかさず手を伸ばしてくれた。
澪は口元に少し笑みを浮かべて、その手をとる。
温かい気持ちが、掌を通して伝わってきた。
澪の胸に、うれしいような、それでいて泣きたくなるような、不思議な感情が広がる。
(このままずっと、こうしていたい)
店につくまでのほんの数分が、永遠に続いてほしかった。
祐司の優しくて温かい手を絶対に放したくない。
放したくないというより、すがりつきたいほどに祐司のことを強く想っている。
(このまま時間が止まってほしい)
澪は泣きたくなるほどにそう感じていた。
☆ ☆ ☆
一行が着いたのはファミリー向けの居酒屋だ。
店の扉を開けた途端、ざわめきと共に店員の
「いらっしゃいませっ」
という元気な声が、澪の耳に飛び込んできた。
(え、ここって何?)
幼いころから澪は、ファミレスや居酒屋といった大衆向けの店には縁がなかった。
なのでこの騒がしさに、足が止まりそうになる。
だが仲間たちが自然に入店するのを見て、思い切って飛び込む。
最初こそ気後れしたものの、場に慣れていくうちに、澪にはその賑やかさがとても新鮮に思える余裕が出てきた。
祐司のバンド仲間とじっくり話すのは、澪にとってほぼ初めてのことだ。
メンバーと彼らの友達みんなは、今日のライブが予想以上に盛り上がったことを心から喜んでいる。
あっちで
「次はコンテストに応募しようぜ」
という声が聞こえたかと思うと、こっちでは
「将来の夢はでっかいドームでライブだ!」
などと勇ましいセリフも飛び出している。
祐司たちの語る夢は、自分たちのような若者が持つことのできる、未来への熱い希望にあふれる姿だ。
澪がライブで感じた力強さを語ると、みんなはじっくりと聞いてくれる。
つい話しすぎて食べるのを忘れてしまったら、メンバーの彼女が澪のために料理を確保してくれた。
「あの人たちってね、料理が出てきたら我先に自分の皿に取っていくの。
油断しちゃダメよ」
その人は前髪にピンクのメッシュを入れ、目元もくっきりとアイラインを入れている。
澪は、加織がしてくれたメイクに気後れしていたが、それでも他の人たちと比べると大人しい。
怖そうな人かと最初は身構えたが、今日だけの特別なファッションなのだろう。
人懐っこい笑顔に彼女の人柄が見える。
そうしているうちに、澪の中で生まれた聖夜への不可思議な感情は、幻のように消えていた。
ときが過ぎるのを忘れ、澪は同級生とは体験できないひとときを過ごした。
だが時間はそれが楽しいほど早く流れる。
いつまでも続く会話を止めて、リーダーの圭介が口を開いた。
「そろそろ場所を変えようか。澪ちゃん、二次会にも行くかい」
「二次会……ですか」
澪は祐司たちとずっと一緒に過ごしたかった。
一方で時間が気になっているのも事実だ。
この時刻だと両親も帰宅しているだろう。
そういえば一度も連絡が来ていない。澪は慌ててバッグからスマホを取り出し、着信履歴を確認する。
(ああ、なんてこと……)
母からの電話が大量に残っている。
居酒屋の騒音に着信音がかき消されて、全然気づかなかった。
「だめだ。
もう十二時近いんだ。
女子高生をこんな時間まで付き合わせてしまったんだぜ。
おれも含めてみんな反省しなきゃ」
澪の焦る気持ちを見透かすように、祐司が口を開いた。
午前零時の鐘とともに、魔法のとけるシンデレラ。
彼らと過ごした暖かな時間は、それを合図に終わりを告げる。
夢の中にいられる時間は、もう残っていなかった。
これで澪はひとりになる。
祐司たちと別れて、ひとりになる。
「祐司は二次会に参加するな。
おれたちの代表になって澪ちゃんを送り届けろよ。
でもって、遅くなったことをお詫びして、代表して叱られてこい」
「お、おれが?」
圭介の強引な命令に対し、祐司は祐司で嫌がるふりをしつつも、溢れる喜びを隠しきれず、懸命に笑みを抑えている。
それは澪も同じだった。
「しゃーねぇなあ。
叱られ役はおれ以外にはいないか。
ってことで澪、今からおれが送るよ」
「でも祐司さん……二次会にも行きたいんでしょう。
迷惑じゃない?」
「気にすることないぜ。
遅い時間に女子高生をひとりで帰らせるなんて、そんな無責任なおれたちじゃないんだ」
(まだ一緒にいられるのね)
仲間たちが祐司との時間を作ってくれた。
「今日は本当に楽しく過ごせました。
ありがとうございます。
お休みなさい」
澪は感謝を込めてペコリと頭を下げた。
また行こうね、お休みー、というみんなの声に送られて、澪と祐司はみんなの輪から外れた。
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