26
「みっちゃん」
駆け寄ってきた高坂は美鈴をぎゅっと抱きしめると心配そうに顔を覗き込んだ。
そんな様子に美鈴は戸惑ってしまった。
「高坂さん、陸から聞いたよ。助けてくれて本当にありがとう。心配ばかりかけて本当にごめんなさい」
「何言ってるのよ。みっちゃんが悪い訳じゃないんだから。それに私はみっちゃんが笑顔でいてくれればいいの。私だってみっちゃんに助けられてるんだから」
そこまで言ってから陸の顔をチラリと見た。
「陸くんが鬱陶しくなったらいつでも私のところにいらっしゃいな。大歓迎よ」
「あーー、何だよ。高坂さんに返そうと思ってたコレ返すのやめとこうかな」
陸はマンションの鍵を手の中でチャラチャラしながら文句を言う。
高坂は陸の手から鍵を引ったくるようにして取ると怒って返した。
「言って何が悪いのよ!これから暖かくなって肌の露出も多くなってくるっていうのに、首や胸元にキスマーク付けて!」
美鈴もストールで首元を隠していたのだがしっかり高坂にバレてしまっていたようであった。赤い顔をして胸元を押さえている美鈴を見ながら陸は面倒臭そうにため息をついた。
「出る前に美鈴にも言われたよ」
「当たり前よっ!みっちゃん、ちょっとこっちに来て」
高坂の会社の建物から少し離れた公園の駐車場で3人は会っていたのだが、2人が乗ってきた車の陰で高坂が手早くファンデーションで赤くなった首筋の痕を隠してくれた。
「本当に陸くんったら子供なんだから。みっちゃん大変よー」
そこまで言ってから高坂は真面目な表情で美鈴を見た。
「あのね今回のことなんだけど、任せてもらっていいかしら」
美鈴も高坂を見ると頷いた。
「はい、お願いします」
美鈴の表情と返事を聞いてから高坂の視線は下がり小さく頷いた。
「ありがとう。実はね、昨晩から佐藤ちゃんと話し合っていろいろ考えてみたの。
彼には退職してもらうんだけど、本当ならそんな事だけで償えるような事じゃない。でもみっちゃんには出来れば私と…私達と一緒に仕事をしていって欲しいからそれがいいんじゃないかと考えたの」
高坂は自身なさげに美鈴の気持ちを伺うように瞳をあげた。
美鈴は頷いた。佐藤と高坂が美鈴の為を思って考えてくれた事なのだ。
「ありがとう、高坂さん」
美鈴の落ち着いた表情と言葉にほっとしたように高坂は小さく頷いた。
「そんなそんなお礼を言われるような事はしてないわよ」
「ううん。そんな事ない。佐藤さんにもお礼、伝えて貰えますか」
「分かったわ。でもみっちゃんが顔見せるのが一番だからね」
美鈴は頷いた。高坂は笑うと何か思い出したのか眉を上げた。
「あーーー、そうだ。ひとつだけいい?」
高坂は少し離れた場所で公園の方を見ている陸を見た。悪戯っ子のような表情をするとウィンクをする。
「マンションのスペアキーあげたら?拗ねてたわよ」
高坂の言葉に思わず美鈴も苦笑いしてしまった。
「陸にも言われた」
「そっ」
高坂も笑って頷くと手を上げた。
「じゃあ戻るわ。また連絡するからね」
陸にも手を振ると高坂は急ぎ足で行ってしまった。
海人の店の中に入ると店内はすでに明かりがついており夜理がカウンターの椅子に腰を下ろしてマスターである月島と話をしていた。
「こんにちは」
美鈴が2人に声をかけると夜理が駆け寄って来て美鈴に抱きついてきた。
「美鈴さんお久しぶりです!」
夜理の笑顔に美鈴も気持ちがほぐれ笑みが溢れる。
「本当に久しぶりだね。最近はメールでしか話してなかったもんね」
「ごめんなさい。仕事も辞めたから忙しいって言う訳でもなかったんだけど、いろいろあってなかなか会いに行けなくて…」
夜理の顔を見て今度は美鈴の方が慌てて夜理を抱きしめた。
「大丈夫大丈夫。いいって」
2人の様子を見ていた陸は肩をすくめた。
「女ってべたべた変なの」
「そう?可愛いじゃないの。2人とも他人のものだけどねーー」
後ろから笑ってみている月島をチラ見すると陸はカウンターに寄り掛かった。
「マスターくらいのおっさんになるとそう思えるのかねぇ」
陸の言葉にマスターは苦笑いした。
「相変わらずお前は可愛いくないねぇ」
月島の言葉を無視した陸はもたれていたカウンターから体を起こすと尋ねる。
「…そういやあ、上の部屋空いてる?」
「ん?…ああ」
月島の言葉に頷くと陸はすでに歩き始めていた。
「美鈴、ちょっと待ってて。夜理」
夜理も頷くと陸の後を追う。2人を見送った後、月島がにこにこして美鈴を見ていた。
近づいてくると美鈴のストールを軽く引っ張った。
「どう?陸のやつ結構強引だったんじゃない?」
ストールを押さえながら月島から離れる美鈴の顔は赤くなる。すっかりお見通しのようである。返事に困っていると月島が言葉を続けた。
「まあ前にも言ったかもしれないけど、美鈴さんには大丈夫かな」
美鈴が顔を上げると月島が笑う。
「でも悩み相談、いつでも受け付けるから相談してくれていいよ」
冗談ともつかない事を月島は嬉しそうに話す。
「月島さんは陸のこと何でも知っているみたいですね」
眉を上げながら月島はカウンターに寄り掛かった。
「そうだね。意外と知っているかな。それも女性関係。あいつも普通に話してくれるからね」
最近月島と話す話題といえば、この手が多い。
どうも美鈴の反応をみて楽しんでいる様にも見えた。
「でも、ここんとこは全然ないから安心していいよ。って言うか、これからは美鈴さんとの事話してくれるかな」
さすがに美鈴も渋い顔をして文句を言う。
「月島さん、私をからかっているでしょう。初めて会った時は優しい紳士的な人だと思ったのに」
可笑しそうに月島は笑うと意地悪な表情をした。
「だからカウンターに立っている時は演じているって言っただろう。地はただのスケベ親父だって。若い女の子が困っているとこ見ているのは大好きだよ。海人さんじゃないがついつい美鈴さんを苛めたくなっちゃってね」
何も言えないでいる美鈴に月島は再び笑うと表情をいつもの顔に戻した。
「それはさて置き、2人でカナダに墓参りに行ってきたんだって?」
突然の話に少し驚いたが美鈴は頷いた。月島には本当に何でも話せる関係らしい。
「ちょうど1周忌だったんです」
「陸のやつが相模の事を知っていたとは驚いたよ。それも話を聞いていると一目置いているって感じなんだよね。一体どう言う付き合いだったの」
それは美鈴も感じた事だった。陸は本当に朗の事を特別に思っていた。そして朗の気持ちを大切にしてくれていた。美鈴も驚くほどであった。しかし美鈴が知っている限りではそんな特別な付き合いには見えなかった。
「夜理ちゃんや皆んなで食事をしたり普通の付き合いだったし会ったのも2、3回でした。でも後から聞いた話では朗が自分から連絡して2人で会ってたみたい」
「へえ。おもしろいね。何を話したのかね」
そうは言ったものの月島は分かっているようであった。
「気持ちの整理もついたみたいだね」
美鈴の様子を見ていた月島はポツリと言った。
顔を上げると美鈴は静かに笑い頷いた。
「今まで罪悪感を抱いてたんです。朗がいなくなって自分の気持ちが揺れて別の人に行ってしまう。そんな自分が許せなかった」
「そんな事ないだろう」
月島の言葉に美鈴は自嘲した。
「陸は朗の想いごと受け止めようとしてくれていたのに、その事も気がつかないでいた。朗の親友の人から幸せになればいいって、それを朗も望んでいるって言ってもらわなかったら私はずっと動けないでいたし陸の気持ちも受けとれないでいた」
月島は大きく息を吐くと穏やかな表情を見せた。
「君たちは凄いね。まあ、平気で首にキスマークを付けるのは置いといてね」
「そう言う所は直してもらいます」
「大変だよ。まあ変えてもらわないと困るのも美鈴さんだし、変えられるのも美鈴さんだからねぇー。俺も直してもらいたいね」
月島の言葉に美鈴は笑ってしまった。
「月島さんの方が大変そう。月島さんの本当を私に見せてくれていないみたいだから。
今の月島さんも演じているんでしょう。きっとたくさんの仮面を持っていそう」
月島は小さく笑う。
「本当の自分なんて自分でももう分からなくなっちまったかな。
いや…もうきっと俺の中にはいないよ」
ツキリと心が痛む。
きっと今まで生きてきた辛い思いの中に置いてきてしまったのかもしれない。
月島は幾つもの仮面を被って暗闇の中を生きているのだ。美鈴の表情に気がついたのか月島は笑う。
「そんな顔しなさんなって。
美鈴さんは陸の手を引っ張って幸せになればいいんだよ。君はきっと暗い影を知りすぎてんだよ。普通の女の子なのにね。放っておけないんだろう。まるで『蜘蛛の糸』のように闇に落ちた人間に光の糸を垂らしてしまう。だけどね、そんな事をしたら君も一緒に堕ちてしまう。普通の世界に上がれなくなってしまう。闇なんかに目を向ける必要なんてないんだよ。お日様んとこにいればいいんだよ」
胸が苦しくなる。自分はこんなにも周りの人達に助けられているのに何も出来ないのだ。
「おいおい、そんな顔してると俺が苛めたかと思われちまうよ。笑顔笑顔」
月島はそう言うと子供をあやすように美鈴の頭をポンと軽く撫でていった。
奥へ消えていった月島の姿を目で追ったままの放心状態でいると奥の方からアルバイトの男性が出勤してきたのか声が聞こえた。もう開店準備をする時間なのだ。
陸も二階から降りて来たが一人であった。
「美鈴、上にあがってて」
「分かった」
陸の掛け声に頷くとすぐに上への階段を上った。これからフロアの準備もあるのだ。ここにいては邪魔にもなる。部屋へ行くと夜理がカウンターに肘をついて座っていた。見惚れるほど絵になる姿であった。夜理はすぐに気がついて振り替えると笑顔で美鈴を迎えてくれた。
「ねえ美鈴さん、これから一緒に買い物に行きませんか。陸くん仕事だし、夕飯食べてから戻っても休憩時間まで間に合うし」
「うん、いいよ。行こう!」
美鈴も笑って頷いた。
夜理は楽しそうにショッピングをしながらいつものように笑顔で美鈴と歩く。しかし夜理が普通にすればするほど店で見た夜理の思い詰めた表情が浮かぶ。しかし美鈴から問いかけることはしない。
夜理がやっと口を開いたのは夕食を終えた帰り道であった。
「あのね前撮った宣伝のポスター、もしかしたらダメになるかも」
夜理の話は予想外で美鈴はピンと来ず黙ったままでいると夜理が続けた。
「もう少し早く気がついていたら迷惑をかける事もなかったんだけど陸くんに言われて、急いで高坂さんに連絡したの。高坂さんも確認してみるとは言ってくれたんだけど無理なんじゃないかと思うの」
夜理はやくざの組長である高野海人と付き合っている。その事を言っていたのだ。
それは夜理に声をかけた自分が気がつかないといけない事であった。
「ごめんなさい!気がつかなくて…」
夜理が楽しみにしていたのを知っていたのに弁解の言葉しか出てこない。
「美鈴さんが謝る事じゃないよ。付き合う前に私、海人さんから聞いていて分かっていたつもりだったのに、全然分かっていなかったの。軽く考えていたんだと思う」
「そんな事ないよ。私も陸がいろいろ苦しんだ話とか聞いていたのに…何も考えないでごめんね、ごめんなさい」
夜理は首を振って笑った。
「ううん。美鈴さんは何も悪くないよ。それに今回のことは私にとって良かったと思っている」
「え……?」
美鈴は夜理の言葉に驚いた。
「何だろう…戒め? 上手い言葉が見つからないんだけど、私、海人さんと一緒になりたいから海人さんがいる世界がどんな所か知っておかないといけないと思うの」
真っ直ぐ美鈴を見つめて話す夜理の瞳は真剣であった。
「海人さんは関東連合というやくざのトップにいる人。世間では受け入れられる事じゃないし排除の対象になっている。時々ニュースでも話題なる事あるよね。付き合いや関係があったなんて報道されたら芸能人でも政治家でも引退している。犯罪とはまったく関係ない付き合いだったとしても世間は許してくれない」
まるで自分に言い聞かせるように夜理ははっきりと言う。
「だから高坂さんには申し訳なかったんだけど良かったと思うの。ね、だから美鈴さんも気にしないで。勝手で本当にごめんなさい」
そう言って夜理は笑う。夜理は自分で決めた事を曲げたりしない。これから自分が立とうとしてる場所への覚悟を決めたのだ。
美鈴は真っ直ぐに前を向いて立っている一輪の百合を抱きしめた。きっとどんな風が吹いても彼女は揺るがないのだろう。
「美鈴さん?」
自分より背の高い夜理の肩に顔を埋めていた美鈴は顔を上げた。
「夜理ちゃんは海人さんの素敵な奥さんになる!」
突然の美鈴の言葉に驚いたように夜理の目が丸くなる。
「だってこんなに可愛くてカッコ良くて強い素敵な女の子なんだもん!
絶対に絶対っ、夜理ちゃんならなれる!」
美鈴の勢いに夜理は笑ったが涙がこぼれ落ちる。美鈴に抱きつくと夜理は言った。
「なるよっ、私。だから美鈴さんも陸くんも応援してね」
「うん、するよ!応援するから」
泣きながら抱き合う二人を影からこっそりと見守っていた男は小さくため息をついた。
それは夜理の護衛をしていた兼松であった。しかし口元には珍しく笑みが浮かんでいた。




