第9話「魔王軍のネネと、奇妙な同盟」
怒りに満ちた空気が、少しだけ静まった直後。
ネネが静かな足音で、マサヒコの近くへ歩み寄ってきた。
「勇者よ、話はすべて聞かせてもらった。私は魔王軍のネネ。貴殿が教会の儀式に狙われていると知り、接触を図った」
マサヒコは不機嫌そうにネネを睨んだ。
そして、彼女を指差し、不本意な肩書きを強く否定する。
「……俺の名前はマサヒコだ。二度と俺を、そのふざけた『勇者』という肩書きで呼ぶな」
ネネは少しだけ意外そうな顔をした。
だが、すぐに真面目な表情へ戻り、静かに頷く。
「……わかった、マサヒコ。では、私からも伝えるべき話がある」
月光の下、ネネは過去の悔しさを思い出すように、わずかに表情を曇らせた。
「実は、百年前の儀式の際も、私は同胞の相次ぐ失踪の調査に動いていた。だが教会の隠蔽工作により真相を掴めず、結果として多くの同胞を救えなかった。……今回は違う。ようやく儀式の全容を調べ上げ、鍵となる貴殿にたどり着いた」
(百年前の調査だと……こいつ、一体何歳なんだ……)
マサヒコが内心で失礼なことを考えていると、ネネは強い意志を込めた目で訴えてきた。
「今も私の仲間が、生贄として囚われた多くの同胞を助けるために教会の動向を調査している。核となる貴殿が連れて行かれず、儀式が始まらなければ、囚われた彼らの命はまだ繋がる」
ネネはマサヒコへ、真っ直ぐに手を差し出した。
「マサヒコ、私と共に魔族領へ来い。教会の血塗られた儀式を砕くため、我らと手を組まないか?」
マサヒコのオッドアイが、冷たく光る。
そこには、打算の色があった。
(生贄を回避し、女神への復讐を果たしたい俺と、囚われた同胞を救いたいこいつら。目的は違えど、利害は一致している。魔王軍という組織力は、今の俺には喉から手が出るほど欲しい後ろ盾だ)
二人の視線がぶつかる。
互いに、相手の中にある打算を見ていた。
数秒の沈黙の後、マサヒコは不敵に笑った。
そして、差し出されたネネの手を強く握り返す。
「いいだろう。そのオファー、受けてやる。これは教会を叩き潰すための同盟だ」
月光の下。
人間と魔族。
本来なら敵同士である二人の、奇妙な同盟が成立した。
*
同盟を結んだあと、マサヒコはまだ息のある小隊長と聖騎士二名を、近くの太い木に縛り付けていた。
周囲には、先ほどの戦闘でえぐれた地面や、焼け焦げた草木が残っている。
頑丈な縄が、騎士たちの体をきつく縛っていた。
マサヒコは縛り上げた聖騎士たちを見下ろし、ふと眉をひそめた。
「そういえば、こいつらさっき聖属性っぽい魔法を展開してたよな。ホーリーバインドとかいう拘束魔法だ」
「聖属性って、傷を治す魔法だろ? 放っておいて回復されたら面倒なんだが」
ネネは淡々と首を横に振った。
「聖属性を持っているからといって、誰もが治癒術を扱えるわけではない」
「治癒術は、聖属性の中でも特に繊細な分野だ。傷口を塞ぐには、肉体の損傷を正確に読み取り、魔力を流し込む必要がある」
「……聖属性持ちと、治癒術師は別ってことか」
「そうだ。使える者はいるが、少ない。少なくとも、今縛られている連中から治癒役の気配は感じない」
マサヒコは納得したように、気絶した聖騎士たちへ視線を落とした。
それを見ていたネネが、静かに問う。
「……やはり、生かしておくのか? 奴らは己の『正義』で動いている狂信者だ。生かしておけば、必ず再びお前を捕まえに来るぞ」
マサヒコは縛られた騎士たちには目も向けなかった。
背を向け、森の奥へ歩き出す。
「わかってる。だが……戦闘中ならともかく、気絶して無抵抗になった人間をわざわざ殺すのはな」
マサヒコはそこで一度だけ足を止め、暗い森へ視線を向けた。
「もっとも、こんな場所に置いていけば……目を覚ます前に魔物に食われるかもしれないけどな」
その声に、助けてやろうという気配はなかった。
「そこから先は、こいつらの運次第だ」
激戦の後。
二人は言葉を交わさず、暗い森の奥へ進んでいく。
互いに一定の距離を保ち、警戒も解かない。
やがて、空を覆っていた厚い雲が風で流れた。
隠れていた満月が、再び顔を出す。
月光が木々の隙間から差し込み、前を歩くネネを照らした。
森が少し開けた場所に出たところで、ネネがふと足を止める。
そして、マサヒコの方へ振り返った。
真上から落ちる白銀の月光が、彼女の姿を神秘的に浮かび上がらせる。
「……今宵は、月が美しいな」
褐色がかった、なめらかな肌。
長く尖った耳。
夜風に揺れる白銀の髪。
闇に溶けるような戦士の装束に身を包んだ姿は、危険なほど美しかった。
静かな時間が、二人の間に流れる。
「……美しい」
マサヒコはネネに見惚れたまま、無意識に小さく呟いた。
頬が、わずかに赤くなる。
だが、次の瞬間。
マサヒコの視線は、ネネの美しい顔から、服越しでもわかる豊かな胸元へと、自然に下がってしまった。
「……コホン」
ネネが小さく咳払いをする。
冷ややかで不機嫌そうな目が、マサヒコを射抜いた。
「……すまん。失礼した」
我に返ったマサヒコは、一気に赤面した。
気まずそうに、目を逸らす。
*
翌朝。
満月の夜の静けさから一転し、北の山脈は清々しい朝の光に包まれていた。
険しい岩肌が続く道を、マサヒコとネネは歩いていく。
その時、上空から一つの影が音もなく降りてきた。
影は二人の目の前に、音もなく片膝をついて着地する。
ネネに似た戦装束を身に着けた、女性の魔族だった。
彼女はネネを見上げ、深く敬意を示す。
「ネネ様。お迎えに上がりました」
「ニガか。ご苦労だった」
ネネは威厳を持って、彼女を見下ろす。
そして、短く指示を出した。
「お前は先に魔族領へ戻り、魔王様に報告せよ。私が教会に狙われていた例の男を連れて戻る、とな」
「はっ! 承知いたしました」
ニガは深く頭を下げた。
そして、凄まじい脚力で地面を蹴り、空高く跳び上がる。
その姿は、北の空へ一瞬で消えていった。
「ネネの部下か。随分と身軽な斥候だな」
マサヒコが感心したように空を見上げる。
ネネも真っ直ぐに空を見つめ、静かに頷いた。
「ああ。信頼できる優秀な部下だ」
(魔王軍、か。信用できるかは別として、教会に命を狙われている俺にとっては、願ってもない隠れ蓑になりそうだ)
マサヒコは打算を含んだ、不敵な笑みを浮かべる。
二人は山の頂に立った。
眼下には、広大な人間領の景色が広がっている。
どこまでも続くその光景は、これから越えなければならない距離と時間の長さを物語っていた。
「魔族領までは、まだ遠いのか?」
「ああ。ここから先も、教会の執拗な追手と、過酷な道のりが待っているぞ」
ネネの言葉を聞き、マサヒコのオッドアイがギラリと光る。
女神と教会への強い反抗心が、胸の奥で燃え上がった。
(望むところだ。絶対に俺の命は、あのクソ女神にはくれてやらねぇ!!)
朝の光が、二人の影を長く伸ばす。
マサヒコとネネは魔族領を目指し、果てしない荒野へ歩き出した。
魔王軍が本当に味方になるかは、まだ分からない。
だが少なくとも、教会の祭壇へ連れて行かれるよりは、遥かにマシだった。




