第8話「神の欺瞞と、月下の戦い」
深い山道を、月明かりが照らしていた。
その中で、張り詰めた空気が場を支配している。
残った聖騎士たちによる、円形の包囲網。
その中心で、マサヒコと魔族の女は背中合わせに立っていた。
馬上の騎士たちは、一斉に剣を構える。
むき出しの敵意が、月光を受けた刃に宿り、二人へ向けられていた。
「足手まといになるなよ、魔族! 相手は殺る気満々だぞ!」
マサヒコは焦りを見せながらも、前方の敵から目を離さない。
背後の魔族の女へ、警告だけを飛ばした。
女は何も答えなかった。
ただ、体を低く沈める。
両手に握った短剣を逆手に構え直した。
その姿勢には一切の隙がない。
獲物の喉元を狙う獣のようだった。
「まずは魔族からだ! 邪悪なる存在を浄化せよ!!」
小隊長が、狂気に歪んだ顔で叫んだ。
戦いの合図だった。
――静けさが破られた、次の瞬間。
ドンッ!
重い音と共に、女が立っていた地面がえぐれた。
聖騎士たちの剣が振り下ろされるよりも速く、女は弾丸のように地面を蹴っていた。
向かった先は、騎士たちの頭上。
完全な死角だった。
残されたのは、激しい土煙と、女が消えた空間だけだった。
「なっ、消えた……!?」
剣を空振りした騎士たちの顔に、驚きが走る。
だが、彼らが上を見上げるより早く、死神の舞は始まっていた。
空中へ跳ね上がった女の体に、黒い魔力がまとわりつく。
闇魔法で存在感を薄めながら、彼女は騎士たちの頭上へ急降下した。
ズバァッ!
短剣の刃が、夜の闇を切り裂く。
血が月明かりの中で散った。
三人の聖騎士が、悲鳴を上げる間もなく馬上から崩れ落ちる。
女の双剣は、甲冑のわずかな隙間――首筋へ、正確に滑り込んでいた。
一撃。
そして、すぐに離脱。
女は崩れ落ちる騎士の肩を蹴り、再び夜空へ高く跳んだ。
月を背にして宙を舞う姿は、恐ろしくも美しかった。
(速い……! しかも殺しの動作に無駄がない。これが魔族の動き……桁違いのバケモノじゃないか……!)
マサヒコは冷や汗を流しながら、その凄まじい戦闘力に息を呑んでいた。
部下を次々と倒され、小隊長が焦ったように馬上から怒鳴る。
「ひ、退け! 陣形を組み直せ! 後列、ホーリーバインドを展開して魔族の動きを止めろ!!」
指示を受けた後方の五名の騎士が、すぐに馬を下げた。
そして詠唱を始める。
彼らの足元に、聖なる光を放つ魔法陣が広がっていった。
だが、マサヒコはその動きを見逃さない。
「遅えよ」
不敵に笑い、右手を魔法陣を展開する騎士たちへ向ける。
「実戦でそんな悠長な詠唱が通じると思ってるのか」
指を鳴らす直前。
マサヒコの指先に、高密度の魔力が小さな光となって集まった。
「エクスプロージョン」
ドゴォォォン!!
指先から放たれた大爆発が、光の魔法陣ごと騎士たちを飲み込んだ。
山道を炎と黒煙が覆う。
詠唱していた五名の騎士が、悲鳴と共に爆風で吹き飛ばされた。
「くそっ、異世界人め! ならば直接――」
爆煙を突き破り、怒り狂った聖騎士が一騎、マサヒコへ突撃してくる。
馬の勢いをそのまま乗せた、重い上段からの一撃。
ガキンッ!!
激しい火花が散った。
マサヒコは炎をまとわせた鋼の剣で、騎士の斬撃を下から弾き飛ばす。
騎士の体勢が大きく崩れた。
背中が、がら空きになる。
そこへ、音もなく空から舞い降りた魔族の女が襲いかかった。
ズバァンッ!!
女の短剣が、背後から騎士の甲冑を貫く。
同時に、マサヒコの剣が正面から騎士の胸を斬り裂いた。
言葉を交わしたわけではない。
それでも二人の斬撃は、まるで呼吸を合わせたように交差した。
圧倒的な力の前に、聖騎士たちは次々と数を減らしていく。
血の海に沈む部下たちを前に、小隊長の顔が絶望と怒りで歪んだ。
包囲網は、すでに崩れている。
生きて帰れる見込みなど、ほとんどなかった。
「ええい……! 刺し違えてでも、偽勇者の足を止めるのだ!!」
小隊長は狂ったように叫び、自ら剣を高く掲げた。
馬の腹を蹴り、マサヒコへ捨て身で突っ込んでくる。
「その狂った『正義感』だけは評価してやる」
マサヒコは余裕の表情を崩さない。
「だが、お前らにはまだ聞きたいことがあるんでな。全員まとめて眠ってろ」
「ライトニングスネア」
バチィィッ!!
マサヒコの手元から、枝分かれした雷撃の網が放たれた。
雷の網は広がり、突撃してきた小隊長を含む残りの騎士たちをまとめて絡め取る。
強烈な電撃に焼かれ、騎士たちは馬ごと白目を剥いた。
そして、ドサリと地面へ崩れ落ちた。
*
戦闘が終わった。
月光に照らされた山道には、血だまりと倒れた騎士たちだけが残っている。
女は息一つ乱していなかった。
涼しい顔で、両手の短剣を鞘へ収める。
その隙のない後ろ姿を見ながら、マサヒコは密かにオッドアイを光らせた。
【鑑定眼Lv4】を発動する。
『対象:ネネ / Lv212』
『警告:対象の階位が規定値を大幅に上回っています。思考看破に失敗しました』
赤いノイズ混じりの警告文が、マサヒコの視界に浮かぶ。
背筋に冷たい汗が伝った。
(……Lv212だと? 教会の小隊長ですらLv51だったぞ。なんだこの桁違いのバケモノは)
マサヒコは女の背中から視線を外した。
そして、今後どう立ち回るべきかを頭の中で素早く計算し直す。
(今の俺のレベルでまともにやり合えば、一瞬で首が飛ぶ。思考も読めない以上、目的も本音も分からない。……だが、教会の追手から逃れるためには、今はあの女の圧倒的な力を『利用』するしかない)
厚い雲が月を隠した。
山道全体が、不気味な暗さに包まれる。
マサヒコは気絶している小隊長のもとへ歩み寄った。
甲冑の胸元を乱暴に掴み、引き起こす。
そして、首筋に冷たい剣の刃を突きつけた。
「さあ、起きろ。勇者を『生贄』にするという、ふざけた儀式の全容を話せ。少しでも嘘をつけば、即座に喉を掻き切るぞ」
声に反応するように、目を覚ました小隊長は、刃を突きつけられても恐怖を見せなかった。
マサヒコを鋭く睨み返す。
「……愚か者め。死で我らを脅せると思うな。我ら聖騎士は、世界を救うためならば、いつでもこの身を捧げる覚悟ができているのだ」
死の恐怖すら超えた、狂った信仰心。
小隊長は誇らしげに、自分たちの使命を語り始めた。
「四百年前から続く、崇高な儀式……! 世界を邪悪なる神から護るため、女神フライヤ様が百年に一度、お前たち異世界人を『尊き人柱』として遣わしてくださるのだ!」
「人柱……」
「そうだ。だが、封印を強固に維持するには、要となる勇者の強力な魂の他に、それを補助するための一万もの命の力が必要となる」
「教会の地下に集められた奴隷や亜人、そして魔族が、その尊き礎となったのだ!」
小隊長の言葉を聞いた瞬間、マサヒコの脳裏にむごい光景がよぎった。
薄暗い牢獄。
鎖で繋がれた奴隷たち。
生贄として集められた亜人や魔族たち。
絶望に沈んだ無数の顔。
小隊長は、マサヒコを真っ直ぐに指差した。
「世界を生かすための、神聖なる一万と一の犠牲! お前はその最たる『一』に選ばれたのだ! 世界を救う要石となる……これ以上の名誉が、一体どこにあろうか!!」
小隊長の瞳に、憎しみはなかった。
あるのは、澄み切った使命感だけ。
声にも迷いはない。
罪悪感もない。
犠牲を強いることへの後ろめたさすら、まるでなかった。
彼は本気で、それを救済だと信じていた。
マサヒコの脳裏に、真っ白な空間で出会った女神フライヤの顔が浮かぶ。
『あなたの死は本来、予定されていないものでした』
あの言葉の意味。
(あのクソ女神……!! 最初から俺を邪神封印の生贄にするために、送り込みやがったのか!!)
静かな絶望は、一瞬で激しい怒りに変わった。
マサヒコの額に血管が浮かぶ。
オッドアイが怒りで強く光った。
ピキピキッ……!
彼が怒りで踏みしめた地面が、音を立てて砕ける。
(フライヤ……お前だけは、絶対に許さねぇ)
「……お前らの吐き気がする『正義』はよくわかった」
マサヒコは小隊長を見下ろした。
その顔には、絶対に受け入れないという拒絶が浮かんでいる。
「だがな、俺はそんなふざけた儀式に付き合って、大人しく死んでやる気は一切ねぇ」
バリィッ!
マサヒコは右手を突き出し、小隊長の体に直接『ライトニング』を流し込んだ。
激しい火花が散る。
小隊長は再び白目を剥き、その場に崩れ落ちた。
月明かりに照らされたマサヒコの顔から、恐怖は完全に消えていた。
残っていたのは、女神と教会への燃えるような反逆心だけだった。
「ふざけるな。俺は、お前らの世界を回すための歯車じゃない」
マサヒコは倒れた小隊長を、冷たく見下ろした。
「俺の命は、俺が使う」




