第7話「偽勇者包囲網と、赤い瞳の魔族」
マサヒコは、背後から向けられる視線に気づかないまま、斜面を駆け上がっていた。
だが途中で、背後から迫る音に気づいたように足を止める。
「……なんだ?」
急ブレーキをかけ、眉をひそめて背後の森へ目を向けた。
暗い木々の奥から、地面を揺らすような音が響いてくる。
ドドドドド……!
遠く後方。
山の麓の方から、何頭もの馬の足音が近づいていた。
(馬……!? 二十……いや、三十頭以上いるぞ。こんな深夜の森に!?)
山道を見下ろすと、暗い森の中を、十数個の松明の光がすさまじい速さで駆け上がってくるのが見えた。
追手だ。
その異常な速さに気づいた瞬間、マサヒコの背筋に冷たいものが走った。
全身から冷や汗が噴き出す。
(なぜバレた!? 街を出る時、誰にも見られていなかったはずだ……!)
暗い路地裏から城壁を飛び越えた時の記憶が、頭の中に一気によみがえる。
(俺の知らない索敵スキルか!? それか、最初から見えない監視がついていたのか……!?)
自分の油断を呪うように、マサヒコは顔を歪めた。
そして、激しく舌打ちする。
「クソッ、完全に油断した!」
悔しさに拳を握りしめる。
だが、すぐに思考を切り替えた。
背を向け、再び全力で走り出す。
しかし、後ろから迫る松明の光は、恐ろしい速さで距離を詰めてきた。
(相手は訓練された軍馬だ! 身体強化を使って走っても、この斜面じゃいずれ確実に追いつかれる!)
ついに、背後の木々が赤く照らされた。
松明の光だ。
肺が焼けるように痛む中、馬上の聖騎士がマサヒコの背中を捉えた。
「見つけたぞ! 前方だ!」
「止まれ! 偽勇者!」
(包囲網完成まで、あと三十秒ってところか)
馬上の聖騎士が剣を振り上げた。
その手から、まばゆい光が放たれる。
ドゴォォン!!
マサヒコのすぐ横にあった木が、光の魔法を受けて粉々に砕けた。
鋭い木片が、散弾のように飛び散る。
「くっ……!」
爆風と破片から身を守るため、マサヒコは腕で顔を覆った。
体をひねり、急ブレーキをかける。
土と落ち葉が激しく舞い上がり、足が止まってしまった。
その一瞬の隙を、聖騎士たちは見逃さなかった。
馬に乗った聖騎士たちが左右へ抜け、前方へ回り込む。
逃げ道が、次々とふさがれていく。
舞い上がる落ち葉の中。
小隊長を含めた三十名以上の聖騎士たちが、騎馬の機動力を使って、マサヒコを完全に囲んでいた。
「もう逃げられないぞ! 偽勇者!!」
小隊長の怒号が響く。
周囲を取り囲む聖騎士たちは、全員が馬上からマサヒコを見下ろしていた。
その視線は冷たく、すでに敵意を含んでいる。
(個々のレベルはこちらが上だが、多勢に無勢。しかも相手は圧倒的な機動力と質量を持つ騎馬だ)
小隊長が馬上でゆっくりと剣を抜いた。
それに合わせて、円形に並んだ騎士たちも一斉に剣を抜く。
ギラリと、月光が刃に反射した。
マサヒコもアイテムボックスの黒い渦から鋼の剣を抜き、重心を落として構える。
「大義から逃げ出した愚か者め」
小隊長の声には、激しい怒りと、狂ったような正義感がこもっていた。
「神聖なる器を汚した偽勇者として、ここで裁きを下す!」
死地に立たされながらも、マサヒコの口元には皮肉な笑みが浮かんだ。
小隊長の薄っぺらい正義を、鼻で笑う。
「……裁き、ね。自分の命を使わない奴がほざく正義ほど、安いものはないぜ」
冷や汗が流れている。
だが、オッドアイには決して折れない闘志が燃えていた。
マサヒコは剣の柄を強く握り、覚悟を決める。
(……やるしかない!)
「突撃ィッ!!」
小隊長の号令と同時に、聖騎士たちが一斉に馬の腹を蹴った。
馬と鎧の重い塊が、四方八方からマサヒコへ殺到する。
森の空気が張り詰める。
死が、目前まで迫った。
その瞬間だった。
*
ズバァァァンッ!!!
耳を裂くような音が響いた。
マサヒコの背後から襲いかかろうとしていた聖騎士二騎が、何者かの攻撃で、馬ごと真っ二つに斬り裂かれた。
大量の血が夜空に舞い上がる。
重い鎧ごと、肉片が吹き飛んだ。
「!?」
自分の魔法でも、剣でもない。
あまりにも突然の出来事に、マサヒコは思わず声を漏らした。
「なっ……!?」
仲間の無残な死を見た聖騎士たちも、突撃を止めた。
包囲網の動きが、ぴたりと止まる。
森に、不気味な静けさが落ちた。
「何だ!? 何が起きた!?」
小隊長が慌てて手綱を引く。
馬が前脚を高く上げ、いなないた。
騎士たちは一斉に、血飛沫が上がった背後の暗がりへ視線を向ける。
両断された騎士たちの死体。
その向こう側。
木々の隙間から落ちる月光を背にして、巨大な倒木の上に一人の美女が立っていた。
両手には短剣。
高い位置でくくられた白銀の髪が、夜風に揺れている。
褐色の肌に、黒い革の戦装束。
袖のない上衣と短い黒のズボンは、動きやすさを重視したものに見えた。腰には短剣が差されており、ただ立っているだけで、並の戦士とは違う鋭さがあった。
美しい。
だが、それ以上に危険だ。
そして何より目を引くのは、血のように赤い瞳だった。
「あ、赤い瞳……魔族か!?」
騎士の一人が、恐怖に顔を引きつらせて指を差す。
だが、女は騎士たちの動揺など見てもいなかった。
感情の読めない冷たい目で、ただ静かに見下ろしている。
短剣の切っ先から、血がぽたり、ぽたりと落ちていた。
月明かりを受けた刃が、妖しく光る。
女はゆっくりとマサヒコへ視線を向けた。
そして、夜の森に響く凛とした声で告げる。
「勇者よ。わけあって、助太刀する」
(……は? 魔族?)
マサヒコは状況が飲み込めず、呆然と女を見上げた。
(なんだこいつは、なんで俺を「勇者」と呼んだ? 教会の別動隊か? いや、騎士たちを殺す理由がない)
「魔族が、偽勇者に加勢だと!?」
混乱するマサヒコをよそに、小隊長は怒りを爆発させた。
魔族への嫌悪。
そして、マサヒコへの敵意。
その両方が、声ににじんでいる。
「ええい、構わん! 魔族は殺せ! 偽勇者は手足を切り落としてでも捕らえろ!!」
怒り狂った聖騎士たちが、血走った目で雄叫びを上げた。
マサヒコと魔族の女。
二人へ向けて、再び殺到してくる。
女は倒木の上から身をひるがえした。
獣のようにしなやかに跳び、空中へ飛び出す。
二本の短剣を交差させ、迎え撃つ構えを取った。
そして、静かに戦闘開始を告げる。
「……来るぞ、勇者」
(騎士どもの殺意は本物だ。どうやらこの魔族と教会がグルって線は薄い)
マサヒコは混乱をすぐに押さえ込んだ。
冷たい目で戦況を見て、魔族の女の意図を考える。
信用はできない。
だが、今この瞬間は使える。
そう判断したマサヒコは、手にした剣に炎の魔法『ファイア』をまとわせ、大きく前へ踏み込んだ。
(目的は一切不明。当然、こいつのことなんて一ミリも信用できねぇが……。この三十騎の包囲網を崩すための『囮』くらいにはなる!)
炎をまとった剣が、正面から突っ込んできた聖騎士の盾と鎧を叩き割る。
赤い光が、深夜の森を照らした。
「今はとにかく、利用させてもらうぜ!!」
反撃の合図のように、マサヒコが吠える。
マサヒコと魔族の女。
二人は背中合わせで戦っているように見えた。
だが、実際には互いに絶妙な距離を取り、警戒を解いていない。
激しくぶつかり合う剣の火花が散る中、マサヒコは目の前の敵を魔法と剣で斬り伏せていく。
それでも、視線の端では常に魔族の女の動きを追っていた。
(背中は絶対に預けない。こいつがいつ背後から斬りかかってきても、即座に斬り伏せられる間合いを保つ!)
炎の剣を振り抜き、血しぶきを浴びながら、マサヒコは獣のように笑った。
(だが今は……まずは目の前のクソ騎士共を全滅させてやる!!)
命のやり取りが続く森の中。
打算と警戒。
そして血に塗れた、奇妙な共闘が始まった。




