第4話「急成長の対価と、揺るぎなき聖なる罠」
宿屋の一室。
朝日が差し込むベッドの上で、マサヒコは胡座をかいていた。
その前には、半透明のステータス画面が浮かんでいる。
マサヒコは真剣な顔で、その数字を見つめていた。
昨夜、ギルドで魔石を換金した結果、所持金は金貨十一枚と銀貨多数に増えている。
『所持金:金貨11枚、銀貨――』
『現在Lv:12』
(……昨日の利益は上々。複利の恩恵で、各種スキルの「経験値」と「熟練度」も加速的に上がっている。順調そのものだ。だが……)
マサヒコの視線が、ある項目で止まった。
『鑑定眼:Lv1』
彼は少し渋い顔をして、顎に手を当てる。
「鑑定眼だけは、いくら使ってもピクリとも上がらないな。熟練度の要求値が異常に高いのか?」
相手の情報を読み取る力。
敵の弱点を知る。
アイテムの価値を正しく判断する。
(漫画なんかだと重要スキルのはず……早くLvを上げたいところだが……)
マサヒコは小さく首を振った。
焦っても仕方がない。
そう自分に言い聞かせるように、表情を切り替える。
「まあいい。焦らず地道に使い続けるだけだ。何事も『継続は力なり』だからな。複利の恩恵があれば、いずれ跳ねるはずだ」
マサヒコはステータス画面を閉じた。
そして装備を整え、新しい一日のために宿を出た。
*
昼下がり。
高く昇った太陽が照りつける中、街の郊外にあるダンジョンの入り口は、暗い口を開けていた。
光を吸い込むように真っ暗に見える。
マサヒコは迷わず中へ入った。
昨日よりさらに深く進み、第2層の入り口に立つ。
空気は重く、どこか冷たい。
マサヒコは軽く指を鳴らした。
すると、頭上に光の球が浮かび上がる。
『ライト』の光が、周囲の暗闇を白く照らした。
(第1層は、すでに俺のレベルとスキルでは効率が落ちてきた。今日からさらに深層へ進むか……リスクは当然上がるが、その分リターンも大きいはずだ)
慎重に歩きながら進む。
頭上の光が、剣の鈍い輝きと、マサヒコの横顔を照らしていた。
(俺の目標は、ただこの世界で生き残ることじゃない。誰にも搾取されない『絶対的な自由』を手に入れることだ。そのためには、力と資産がいる)
マサヒコが鋭い目で通路の奥を見た、その時だった。
――カサ。
音は、前からではなかった。
頭上。
そう気づいた瞬間、天井の暗がりから白い糸が降ってきた。
「ッ!」
マサヒコは反射的に後ろへ跳んだ。
だが、遅い。
粘つく糸が右足首に絡み、続けて胴、剣を握る右手首へと巻きついた。
引き剥がそうとした瞬間、さらに別の糸が頭上から落ち、マサヒコの首元をかすめる。
(まずい……これは、罠だ!)
闇の中で、巨大な影が三つ動いた。
二匹が地面へ落ちる。
一匹は天井に張りついたまま、こちらを見下ろしていた。
体長一メートルを超える巨大な毒蜘蛛。
ポイズンスパイダーだ。
一匹が天井に張りついたまま、紫色の毒液を吐き出す。
「ウォーターシールド!」
水の盾が展開される。
だが、姿勢を崩した状態では角度が甘い。
毒液の大半は弾いた。
しかし、飛び散った飛沫がマサヒコの左肩を焼いた。
「ぐっ……!」
皮膚が焼けるような痛み。
直後、左腕の感覚が鈍る。
その間にも、別の蜘蛛が地面を這うように迫っていた。
鋭い牙の先に、紫色の雫が膨らんでいる。
(火力があっても、撃つ前に動きを封じられたら終わりだ)
マサヒコは奥歯を噛み締めた。
剣は振れない。
足も動かない。
このままでは、数秒後に喉笛を噛み千切られる。
それでも、左腕はまだ完全には死んでいない。
痺れる腕を無理やり動かし、指先を足元へ向ける。
「……ファイアーボール!」
狙ったのは蜘蛛ではない。
自分を縛る糸だった。
炎が至近距離で弾け、糸を焼き切る。
同時に、熱が革の胸鎧の表面を焦がした。
足首、胴、右手首に絡んでいた糸が、まとめて焼け落ちた。
毒牙が目前まで迫る。
マサヒコは地面を蹴り、無理やり横へ転がった。
牙が、さっきまで彼の喉があった場所を突き刺す。
紙一重。
背筋に、冷たい汗が流れた。
(……危なかった。第2層でこれか。魔物との戦いは、単純な攻撃力だけじゃ測れないな)
マサヒコは体勢を立て直しながら、剣を握り直した。
左肩はまだ焼けるように痛む。
至近距離で弾けた炎の熱が、首筋や頬にもひりつく痛みを残していた。
だが、動けないほどではない。
「ウィンドカッター!」
真空の刃が、天井から糸を垂らしていた蜘蛛を切り裂いた。
胴体を断たれた蜘蛛が、地面へ落ちる。
残る二匹が、左右に散った。
今度は、正面から来ない。
壁を這い、天井を使い、死角を作りながら距離を詰めてくる。
(真正面から突っ込んでくるホーンラビットとは違う。こいつらは、獲物の殺し方を知っている)
マサヒコは短く息を吐いた。
焦るな。
相手の動きを見ろ。
右の蜘蛛が、糸を吐く。
左の蜘蛛が、それに合わせて飛びかかる。
「シャドウスパイク」
足元の影から黒い槍が数本突き出した。
飛びかかってきた蜘蛛の腹を貫き、その動きを止める。
同時に、マサヒコは剣を振るい、飛んできた糸を切り払った。
そのまま踏み込み、最後の一匹の頭へ刃を叩き込む。
緑色の体液が飛び散った。
数秒遅れて、戦闘が終わる。
静けさが戻った通路に、マサヒコの荒い息だけが残った。
足元には、三つの魔石。
そして、紫色の気味の悪い袋のようなものが転がっていた。
『戦闘終了』
『複利適用……経験値3.2倍。各スキル熟練度に加算』
マサヒコはシステムログを見上げた。
それから、焦げた革鎧と、毒で焼けた左肩へ視線を落とす。
「……火力だけじゃ足りないな」
小さく呟き、マサヒコはヒールを発動させた。
淡い光が左肩と火傷を包み、焼けるような痛みと傷が少しずつ引いていく。
続けて、毒腺を拾い上げた。
『ポイズンスパイダーの毒腺:レア素材(錬金術師ギルドで高需要)』
価値を知った瞬間、マサヒコの口元に薄い笑みが浮かんだ。
だが、手に残る生々しい感触と、見た目の気持ち悪さに、すぐ苦笑いへ変わる。
「うん、少し……いや、大分気持ち悪いな、これ。さっさとしまおう」
毒腺をアイテムボックスへ放り込み、マサヒコは通路の奥を見据えた。
(毒、拘束、奇襲、死角。ここから先は、攻撃魔法を覚えただけでは足りない。索敵、防御、回避、状態異常への対処……全部鍛える必要がある)
闇は、進むほど濃くなっていく。
マサヒコは剣を握り直し、さらに奥へ進んだ。
*
その後も、マサヒコは第3層、第4層と慎重に進んでいった。
出てくる魔物を確実に倒す。
魔石を回収する。
新しいスキルを試す。
危険だと判断すれば、すぐに距離を取る。
そうして昼から夕方へ差し掛かる頃、マサヒコは第5層の広い部屋へたどり着いた。
そこには、巨大な魔物が立っていた。
筋肉で盛り上がった体。
二メートルを優に超える巨体。
そして、体ほどもある大きな斧。
オークだ。
マサヒコはすぐに頭上の光球を消した。
広間の入り口の暗がりに身を隠し、息をひそめて相手を観察する。
(オーク……第5層、低層のヌシってところか。図体はデカいが、動きはどうだ?)
「ブモォォォッ!」
オークが苛立ったように巨大な斧を振り回した。
近くにあった太い石柱が、粉々に砕け散る。
まともに食らえば、一撃で死ぬ。
だが、マサヒコは冷静だった。
暗闇の中から、相手の動きをじっと見ている。
鑑定眼が、オークの膝にある弱点を捉えた。
(大振りすぎる。攻撃後の硬直も長い。……いける!)
マサヒコはわざと足音を立てて、物陰から広間へ飛び出した。
小さな獲物を見つけたオークが咆哮する。
そして、怒りのままに巨大な斧を振り下ろしてきた。
(引きつけて……!)
斧が頭を割る寸前。
マサヒコは地面を滑るように横へスライディングし、紙一重でかわした。
「今だ。足元がお留守だぞ」
スライディングの姿勢のまま、左手をオークの足元へ向ける。
「ストーンバレット」
近距離から放たれた石の弾丸が、オークの右膝を正確に撃ち抜いた。
「ブギィッ!?」
膝を砕かれたオークが、耐えきれずに体勢を崩す。
巨体が沈み、首筋がマサヒコの目線の高さまで下りてきた。
勝機。
そう判断したマサヒコは、ガラ空きになった首筋へ向けて、低く鋭く踏み込んだ。
「シャドウブレイド!」
魔法と同時に、手にした鋼の剣が黒い闇に包まれた。
刃は不自然なほど長く伸びる。
オークの巨大な腕が迎撃に動くより速く、黒い刃が首を横から斬り飛ばした。
ズシン……!
首を失った巨体が、広間の床に崩れ落ちる。
マサヒコはオークの体が魔石と素材へ変わるのを確認した。
そして、それらをまとめてアイテムボックスへ放り込む。
『オーク討伐』
『複利適用……経験値7.3倍』
空中に浮かぶシステムログを見上げながら、マサヒコは額の汗を拭った。
「よし、もう少しで複利の倍率が爆発する……ここからが本当の『無双』の始まりだ」
*
夕陽が街を赤く染め、夜が近づく頃。
冒険者ギルドのカウンターに、マサヒコはドサッとオークの巨大な魔石と素材を置いた。
それを見た受付嬢は、信じられないものを見るように目を見開く。
持っていた羽ペンを、ポロッと落とした。
「オ、オーク……!? ま、まさか、これを全てお一人で……!?」
そのどよめきは、すぐにギルド全体へ広がった。
後ろで見ていたベテラン冒険者たちの顔が、驚きで引きつっている。
「おいおい、あいつ昨日登録したばかりのルーキーだろ!?」
「低層のヌシをルーキーがソロで討伐だと……化け物かよ」
周囲が騒ぐ中、マサヒコは涼しい顔をしていた。
完璧な営業スマイルを浮かべ、受付嬢へ言う。
「換金を頼む」
受付嬢は震える手で魔石を受け取った。
必死に笑顔を作りながら答える。
「か、かしこまりました。すぐに査定いたします……」
*
三日月が夜空に浮かぶ頃。
聖地ティティーリア教会の奥。
薄暗い作戦会議室には、重い空気が漂っていた。
テーブルの中央には、金色の右目を持つマサヒコの似顔絵が置かれている。
厳しい表情の騎士小隊長が、大司教に向かって報告していた。
「大司教様。ギルドに潜ませている間者からの報告によると、勇者殿は登録からわずか二日で、ダンジョンのオークを単独討伐したとのことです」
その報告を聞いた大司教は、深く頷いた。
顔には、確信に満ちた表情が浮かんでいる。
「ええ。手配書の金色の右目も文献にある通り。彼こそ間違いなく、女神フライヤ様からの神託にあった『救済の器(勇者)』です」
小隊長は身を乗り出した。
すぐに動くべきだと提案する。
「ならば、ただちに兵を差し向け、勇者殿を速やかに我々の手で確保しましょう。これ以上の野放しは不測の事態を招きかねません」
だが、大司教は手をスッと上げて止めた。
「お待ちなさい。フライヤ様の神託によれば、異世界からの魂が新しい肉体に完全に定着するまで、約『一週間』を要するとされています。今、強引に接触して魂が瓦解すれば、この世界を救う尊い器を永遠に失ってしまうことになります」
「……では、定着を待つと?」
小隊長の疑問に、大司教は静かに頷いた。
「ええ。そして一週間後。魂が完全に定着した絶好のタイミングを見計らい、彼を盛大に迎え入れるのです」
大司教の表情が変わる。
そこには、悲壮感と慈愛が浮かんでいた。
「我々は彼に、最大限の『名誉』と、最期までの心安らかな日々を提供せねばなりません。百年に一度、邪神の封印を更新するためだけに呼び出される、尊き御魂……」
その言葉を受け、騎士小隊長も胸の前で聖印を切った。
祈るように目を閉じる。
「……すべては、この世界を救う『礎(生贄)』となってくださる、勇者殿のために」
暗い部屋の中、二人の周囲には迷いのない正義の空気が漂っていた。
*
――そして、一週間後。
静寂の洞穴の深層。
「エクスプロージョン」
凄まじい爆炎が闇を焼き払った。
魔物の群れが灰になり、崩れ落ちる。
その前で、マサヒコは無表情のまま、静かに指を下ろした。




