第3話「初魔法と教会の真意」
広場近くで見つけた宿屋の一室。
案内された部屋は簡素だったが、きれいに掃除されており、旅の疲れを癒やすには十分だ。
固いベッドに腰を下ろしたマサヒコは、部屋の中をゆっくりと見回す。
窓から差し込む光が、空中の小さな埃を照らしていた。
(……悪くない。まずは安全な拠点の確保、だな)
この世界で初めて手に入れた自分だけの空間。
その安心感に、張り詰めていた気持ちが少しだけ緩んだ。
だが、のんびりしている暇はない。
マサヒコはすぐに立ち上がり、扉へ向き直った。
その顔は、もう次の仕事へ向かう営業マンのものになっている。
「次は装備の調達だ」
*
まぶしい表通りから一歩入ると、武器屋の中は薄暗かった。
鉄と油、そして使い込まれた革の匂いがこもっている。
壁際には剣や槍が並び、天井からは鎖の防具や金属の鎧が吊るされていた。
カウンターの奥で腕を組んでいたのは、筋肉質で髭の濃い小柄な男。
いかにもなドワーフの親父だった。
(いかつい店主だな……ファンタジーの定番、ドワーフって奴か)
マサヒコが店内を見ていると、親父が品定めするような目を向けてきた。
「おう、見ない顔だな。冷やかしなら帰んな」
(……ついでに、口も悪いな)
マサヒコは小さく息を吐き、静かに『鑑定眼』を発動させた。
オッドアイの片方が、ほんのわずかに光る。
すると、店内の武具の横に半透明のウィンドウが次々と表示された。
『鉄の剣(粗悪)』
『革鎧(並)』
埃をかぶった武具の中に、見逃せない情報が混ざっていた。
『軽量化の革鎧(良品)/金貨1枚』
『鋼の剣(良品)/手入れ不足/金貨3枚』
マサヒコは目当ての革鎧と鋼の剣を手に取り、カウンターへドンッと置く。
「親父さん。この二つ、埃被ってるし完全な型落ちだろ? 合わせて金貨二枚でどうだ」
元の値段を知ったうえでの、強気な値切りだった。
ドワーフの親父の顔が一瞬で怒りに染まり、無骨な手でカウンターを強く叩く。
「ふざけんな若造! そいつぁ俺の特製の――」
怒鳴られても、マサヒコは表情を変えない。
冷静に言葉を被せる。
「特製なのは認めるが、少なくとも型は古い。すでに革の硬化と金属の劣化が始まってる。手入れの手間を考えたら、不良在庫になる一歩手前だろ?」
あまりに的確な指摘に、親父が言葉を詰まらせた。
その瞬間を見逃さず、マサヒコは人懐っこい笑みを浮かべる。
だが、その笑みは計算された営業スマイルだった。
彼は金貨二枚をカウンターに滑らせる。
「俺は長く冒険者をやるつもりだ。装備の定期的なメンテナンスはもちろん、今後の発注も全てこの店を通す。長く取引をする上での先行投資……悪くない話だろ?」
相手の痛いところを突きながら、将来の利益も見せる。
前世の営業経験で身につけた交渉術だ。
親父は渋い顔のまましばらく黙り込み、やがて太い指で頭をかきむしって舌打ちした。
「……チッ。持ってけ! 口だけは達者だな、若造」
「商談成立だな」
マサヒコは軽く頷き、買った革鎧を素早く身につける。
そして、何もない空間へ手をかざした。
黒い渦――アイテムボックスが開く。
手入れ不足の鋼の剣が吸い込まれ、一瞬で消えたのを見て親父は目を丸くした。
「お、驚いた……お前さん、希少な空間魔法持ちかよ……」
「まぁな。手入れは後で頼む」
マサヒコは背中越しに手を振り、店を出た。
*
冒険者ギルドの大きな扉を押し開ける。
中から、熱気と騒がしさが一気に押し寄せてきた。
新しい革鎧を着たマサヒコが入ると、そこには屈強な戦士や派手なローブの魔法使いたちが大勢いた。
(冒険者ギルド……やっぱりあったな。装備は整った。次は身分証明と実戦経験――ダンジョンだ)
周囲の視線を気にせず、マサヒコはまっすぐ受付へ向かった。
そこには、眼鏡をかけた真面目そうなエルフの女性が座っている。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
きれいな笑顔で問いかける受付嬢に、マサヒコは淡々と答えた。
「冒険者登録と、初心者向けのダンジョン探索申請を頼む」
登録用紙を取り出そうとした受付嬢が、マサヒコの姿を見て動きを止める。
革鎧は着ている。
しかし腰に剣すら下げていない。完全に手ぶらだった。
受付嬢の表情に、はっきりと戸惑いが浮かぶ。
「登録はもちろん可能ですが……丸腰で、いきなりダンジョンに行かれるおつもりですか!?」
「あぁ、問題ない」
受付嬢は困った顔になり、ギルドの基本方針を説明し始めた。
「初心者の方は、まず街周辺での薬草採取や安全な森でのスライム討伐で基本を学ぶことが強く推奨されています。実戦経験のない方がいきなり単独でダンジョンに入るのは、あまりにも危険です」
それでも引き下がらないマサヒコに、ついに受付嬢はカウンターから身を乗り出す。
「パーティーも組まず、武器も持たずに単独でダンジョンに入るなど、自殺行為です! ギルドとしては到底おすすめできません!」
必死な説得に、周囲の冒険者たちが下品に笑った。
「おいおい、また命知らずの素人が無茶言って受付嬢を困らせてるぜ」
「死に急ぐなよ、若造!」
笑い声が飛ぶ中、マサヒコは焦りも怒りも見せず、静かに一つ息を吐く。
そして受付嬢の目をまっすぐ見て、冷静な声で交渉を始めた。
「武器なら空間魔法に収納しているから問題ない。それに、実戦経験を積む観点から言わせてもらおう。初心者が群がる『競争率の高い安全地帯』で限られた獲物を探し回るのは非効率極まりない。魔物との遭遇率が安定している低層ダンジョンの方が、時間効率で見れば高いはずだ。違うか?」
感情ではなく、効率と理由。
正面から突きつけられ、受付嬢は言葉に詰まった。
「そ、それは確かにそうかもしれませんが……リスクが高すぎます……! 何かあっても、ギルドは一切の責任を負えませんよ」
相手が折れかけている。
マサヒコは、カウンターの登録用紙を指で軽く叩いた。
「なら、何も問題はない。第1層の入り口付近の安全なルートだけを回り、決して深追いはしないと約束する。これが明確な『規則違反』ではなく、単なる『推奨外の行動』であるなら、全ての責任は自分自身で負う。自己責任で申請したい」
逃げ道のない交渉だった。
受付嬢は、渋々といった様子で許可証にサインする。
「……わ、分かりました。申請を受理します。ですが、少しでも危ないと思ったら、すぐに逃げてくださいね……!」
「あぁ、忠告感謝する。俺はまだ、死ぬつもりは毛頭ないんでね」
マサヒコは許可証を受け取り、背後から呆れたような視線を浴びながら出口へ向かった。
*
街の郊外。
木々に囲まれた岩肌に、大きな洞窟がぽっかりと口を開けていた。
古びた看板には『静寂の洞穴』と書かれている。
マサヒコは入り口の前に立った。
アイテムボックスから手に入れた鋼の剣を取り出し、しっかりと握り直す。
新しい革鎧が、かすかにきしむ。
(俺が女神から引き出したチート【全成長要素への1%の複利】は、一回の行動では劇的な変化を生まない。だが、回数を重ねることで真価を発揮するシステムだ)
真っ暗な洞窟の奥を見つめ、マサヒコの口角が自然と上がった。
(最初は微々たる差でも……繰り返せば、いずれ爆発的に跳ね上がる!)
マサヒコは一歩を踏み出した。
明るい外の世界から、暗いダンジョンの冷たい床へ。
ブーツの音が、静かに響いた。
*
ダンジョン第1層。
松明の光も届かない薄暗い通路を歩いていると、前方の地面に半透明の粘った生き物が見えた。
スライムだ。
マサヒコは構えていた剣を下げる。
(いや、剣の前に、まずは全魔法適性のテストだ。ホーンラビットの時は咄嗟の事で反応できなかったが、今は違う)
左手をスライムへ向け、頭の中で炎のイメージを強く描く。
魔力を練り上げる感覚を探った。
「ファイアーボール!」
次の瞬間、左手からバスケットボールほどの炎の球が飛び出した。
炎は空気を焼きながら飛び、スライムに直撃する。
ドシュッ!
粘液が一気に蒸発し、スライムは跡形もなく弾け飛んだ。
後には、小さな魔石だけがカランと転がった。
(……本当に、魔法が出た)
自分の手に残る熱に驚いていると、視界の端にシステムウィンドウが次々と表示される。
『スライム討伐:経験値取得』
『火魔法スキル取得』
『複利適用:+1%』
マサヒコは床に落ちた魔石を拾い上げ、確信に満ちた笑みを浮かべる。
「ダンジョンの魔物は、倒すと魔石に変わるのか……いちいち生々しい死体を見ずに済むのは精神的にかなり助かるな。魔法を撃てば新しいスキルが手に入り、さらにそれら全てに複利が乗っていくなら……」
マサヒコは何もない空間へ左手をかざした。
次々とイメージを形にしていく。
(まずは何よりも、サバイバル能力の確保だ!)
「ウォーターボール! ヒール!」
空中に澄んだ水の球が浮かび上がり、続いて淡く温かい光が全身を包み込む。
「よし。これで最悪ダンジョン内で遭難しても、喉の渇きと怪我には困らないな」
勢いに乗ったマサヒコは、さらに別の魔法も試していく。
「ライト! シャドウスパイク! ウィンド!」
頭上に小さな光の球を浮かべて周囲を照らし、足元の影からは黒い刃が勢いよく突き出した。
「おお……影から刃で攻撃する魔法か。これは奇襲に最適だな」
行動に合わせるように、視界には新しいウィンドウが次々と表示されていった。
『水魔法取得』
『聖魔法取得』
『光魔法取得』
『闇魔法取得』
『風魔法取得』
マサヒコは、もう一度何もない空間へ向けて小さな火を放つ。
だが、それ以上の通知は出なかった。
風を起こし、土を盛り上げ、水を浮かべた。どれも発動はする。
だが、ホーンラビットやスライムを倒した時のような、熟練度が上がったことを示すウィンドウは現れない。
(……なるほど。ただ撃つだけじゃ駄目なのか)
空に向かって放てば術式の形は掴めるが、属性スキルの熟練度までは上がらない。
火なら燃やす。風なら吹き飛ばす。土なら防ぐ。水なら押し流す。
実際に何かへ作用して、初めて魔法は経験になる。
(楽して上げられるほど、甘くはないってことか)
それから数時間。
マサヒコは第1層の通路を回り、出会った低層の魔物を相手に、さまざまな魔法と剣を試していった。
倒された魔物は魔石に変わり、アイテムボックスへ収納されていく。
新しいスキルの取得。
それに続く複利適用の通知。
そのウィンドウが、マサヒコの周囲に何度も表示され続けた。
淡い光に照らされた彼の顔には、自分のチートが正しく動いているという手応えと、自信に満ちた笑みが浮かんでいた。
*
マサヒコがダンジョンで順調なスタートを切っていた、その日の夜。
聖地ティティーリアの中央にそびえる教会。
その地下深くには、冷たい石造りの祭壇広間があった。
自然の光は一切届かない。
薄暗い空間の中、豪華な法衣をまとった大司教の前に、黒装束の教会の間者が膝をついて報告していた。
「――対象は本日ギルドで冒険者登録を行い、ダンジョンへ潜りました。その後、複数の異なる属性魔法を発現させ、低層の魔物を次々と討伐しております」
報告を聞き、大司教は静かに目を細めた。
「ほう……。複数の属性魔法をいとも容易く。過去の伝説に違わず、やはりフライヤ様より遣わされた転生者の力は特異であるようですね」
大司教がゆっくりと視線を向ける。
巨大な祭壇のさらに奥。
そこには、太く重い魔法の鎖で何重にも縛られた「黒い光の塊」があった。
ドクン……ドクン……。
まるで巨大な心臓のように、その黒い塊は脈打っている。
そこから放たれる不気味な気配が、地下全体に満ちていた。
大司教は、その黒い塊を見上げた。
その目には、どこか重い決意が宿っていた。
「転生者の魂がこの世界に十分に定着し、最も輝きを放つその時。彼を依り代とすれば、この封印されし忌まわしき『邪神』の復活を、阻止することができます」
大司教は両手を大きく広げた。
背後の黒い光が、それに反応するように激しく脈打つ。
広間全体に聞かせるように、声を張り上げる。
「百年に一度捧げる一万人の愚民や亜人、魔族共の矮小な魂。そして――女神様より力を与えられた転生者の強力な魂!」
大司教の脳裏に、生贄として捕らえられた者たちの姿が浮かぶ。
鎖に繋がれた奴隷。
恐怖で震える亜人。
絶望の顔をした魔族たち。
それでも、大司教は深く息を吸った。
自分に言い聞かせるように、重い声で語る。
「……彼ら少数の犠牲を捧げて初めて、我々はこの美しき世界を邪神の脅威から護り抜くことができるのだ……。尊い犠牲ではないか」
大司教は胸の前で聖印を切り、祈るように手を組んだ。
その濁った瞳の奥では、世界を救うという正義と狂気が混ざり合っていた。
「全ては、大義のために」




