第33話「俺の技に耐える剣」
六日間の長旅。
ララーブラトを出発した馬車は、広い平原、夕暮れの森、雨の街道を抜け、ひたすら王都へ向かって進み続けた。
道中、馬車は小さな宿場町をいくつも通り過ぎた。
焼きたてのパンの匂いがする町もあれば、街道沿いの市場で果物や香辛料を売る商人たちが声を張り上げている町もあった。
ティカは酔いかけた顔で報告書を書きながらも、時折窓の外を指さし、「あそこの干し肉はうまい」「あの橋を越えれば次の宿場町だ」と、面倒くさそうに道案内をしていた。
ネネは無表情のまま外を眺めていた。
人間の街並みや料理の匂いに、ほんのわずかだけ興味を示すこともあった。
ヴォルはそれを見逃さず、休憩のたびに適当な名物を買い込み、何食わぬ顔でネネとティカに分けた。
だが、穏やかな旅というわけではない。
宿場町に着くたび、窓から見えるネネの姿に、町民たちは遠巻きに視線を向けてきた。
そこにあるのは、好奇心よりも強い恐怖だった。
それでも、ネネは隠れなかった。
無表情のまま、静かに見つめ返していた。
重武装の騎士団が周囲を固めていたため、誰も手を出せない。国賓に準ずる待遇という命令が、騒ぎを強引に抑え込んでいた。
馬車の中では、山積みになった羊皮紙を前に、ティカが青い顔で報告書を書いていた。
乗り物酔いと、終わらない報告書のせいで、完全にげんなりしている。
「……馬車で延々と報告書を書かされるなんて……おえっ」
その横で、ヴォルは鞘から少しだけ鋼の剣を抜き、険しい顔で刀身を確認していた。
剣には深いヒビが入っている。いつ折れてもおかしくない、限界の状態だった。
王都到着前夜。
宿を借り切り、最後の休息を取ることになった。
最上階の窓辺で、ヴォルは一人、外の暗闇を見下ろしていた。
その口元に、ティカたちには見せない黒い笑みが浮かぶ。
(教会や黒装束の化け物どもを相手にするには、まだ手札が足りない。だから、この王国には……奴らを防ぐ巨大な「肉壁」になってもらう)
そして出発から六日目。
馬車の窓の向こう。
遠くの地平線に、巨大な王都の城壁が見え始めた。
ヴォルにとっての巨大な「盾」が、ついに視界に入った。
*
ルワール王国王都。
活気と権力が集まる、王国の中心地。
天高くそびえる巨大な城壁。
威風堂々とした正門。
多くの商人、馬車、武装した兵士たちが、ひっきりなしに行き交っている。
その王都正門へ向かって、ラップルゴ辺境伯家の紋章を掲げた護送馬車が、ゆっくりと近づいていった。
護衛騎士から渡された書状を確認した門兵は事前に通達を受けていたが、緊張と驚きを隠せない顔で道を開けた。
「お話は伺っております、ヴォル様。ならびに、ネネ様。お通りください」
自分の名が、人間の兵士の口から敬意を込めて呼ばれた。
その事実を、ネネは静かに瞳で受け止めた。
馬車の窓から王都の豊かな街並みを見下ろし、ヴォルは満足そうに口角を上げた。
「悪くない」
隣で、ティカが横目でヴォルをジトッと睨む。
馬車は正門を抜け、王都のメインストリート(大通り)へ入っていった。
本来なら、このまま真っ直ぐ辺境伯の王都邸へ向かうはずだった。
だが、馬車の中から職人街の方角を見たヴォルが、突然口を開いた。
遠くの煙突から、何本もの炉の煙が立ち上っている。
「止めろ! 鍛冶屋へ行く」
ティカがぎょっと目を見開いた。
「は? 辺境伯様への面通しが先だろ」
ヴォルは腰を軽く叩いた。
「剣が限界だ。先に武器を整える」
馬車の外にいる護衛騎士が、窓越しに困った顔を向けてきた。
「しかし、辺境伯様との合流が……」
ヴォルは騎士を冷たい目で見た。
そして、平然と言い放つ。
交渉の主導権は自分にある。
そう分かっている者の顔だった。
「辺境伯には会う。だが俺の最優先事項は鍛冶屋だ」
馬車が大通りの途中で止まった。
ヴォルが立ち上がる。
ネネも無言でスッと立ち上がる。理由を問うまでもなく、当然のようにヴォルの背後についた。
ティカは深くため息をつき、額に手を当てた。
それから報告書の束を置き、しぶしぶ立ち上がる。
「……私も行くよ。あんたを見失ったら、辺境伯様への報告ができない」
ヴォル、ネネ、ティカの三人が降りる。
辺境伯邸へ向かうはずの国賓が、到着早々に馬車を降り、華やかな大通りから泥臭い職人街へ歩き出す。
慌てた護衛騎士たちが後に続こうとする。
だが、ヴォルは当たり前のように言い放った。
「護衛はいらない。こんな大所帯で鍛冶屋に押しかけたら迷惑だ」
護衛騎士たちは困惑したように顔を見合わせた。
国賓を護衛なしで歩かせるわけにはいかない。だが、ヴォルの言い分も間違ってはいない。
その空気を見て、ティカは深くため息をついた。
「私がついていくから。何かあれば、すぐに報告するよ」
護衛騎士たちは、なおも不安そうにティカを見た。
ティカは面倒くさそうに肩をすくめる。
「心配しなくても、見失わないよ。……この人たちを見失ったら、私が辺境伯様に何を言われるか分かったもんじゃないからね」
それを聞き、護衛騎士たちはようやく渋々うなずいた。
*
王都でも腕の立つ職人が集まる区域、職人街。
あちこちで炉の煙が上がっている。
カンカンと鉄を打つ音が響き、むせ返るような熱気が通りに満ちていた。
「王都で腕のいい鍛冶師なら、この辺だ。ただし、いきなり来るような場所じゃないよ」
ティカが先導し、裏路地の方へ歩いていく。
やがて、古びた重い鉄の看板を掲げた工房の前で、ティカが足を止めた。
「ここだ。偏屈だが、腕は確かだ。……ただし、依頼を受けてくれるかは知らないけどね」
そう言って、ティカは重い扉を押し開けた。
ギィィ……。
中から、むっとする熱気と鉄の匂いが流れ出す。
奥では、ズン……ズン……と重い炉の音が響いていた。
薄暗い工房の中。
筋骨隆々で頑固そうな初老のドワーフの鍛冶師が、赤く燃える炉の前でハンマーを構えていた。
気配を感じた鍛冶師が、ギロリと振り返る。
ネネの姿を見て、一瞬だけ鋭く目を細めた。
だが、すぐに興味を失ったように鍛冶の手を止める。
腕一本で生きてきた職人の顔だった。
「……客か」
ズウゥッ……。ヴォルが黒い渦を展開した。
その中から、「高純度ミスリル」と「ミスリル結晶核」を取り出す。
鍛冶師の目が限界まで見開かれた。
ハンマーを取り落としそうになる。
炉の赤い炎が光る中で、素材が放つ強い青緑色の光が反射した。
「……どこで、それを手に入れた」
ヴォルは巨大な金床の上に、ゴトリ、ゴトリと超レア素材を無造作に置いた。
それは、圧倒的な素材を前にした、客から職人への挑戦状だった。
「材料はある。俺の技に耐える剣がほしい」
鍛冶師の顔から、驚きが消えていく。
代わりに浮かんだのは、最高級の素材を前にした職人としての熱だった。
狂気にも近い興味が、その目に宿る。
鍛冶師は獰猛に笑った。
工房に、強い緊張と期待が入り混じった沈黙が落ちた。




