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『複利チートの生贄勇者〜捧げられる前に、俺は世界を利用する〜』  作者: NEA_
第一章 偽りの勇者と、聖なる罠

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第32話「深層帰還と、王国の決断」



 真っ暗なダンジョンの底から、生還への出口を目指す。


 深層主を倒した影響か、帰り道の魔物の気配は目に見えて薄くなっていた。


 五日目の昼。


 旧坑道型ダンジョンの入口前には、辺境軍の騎士たちが盾を並べ、厳重な警戒態勢を敷いたまま待っていた。


 空は明るく晴れている。だが、ぽっかりと開いた入口の奥だけは、不気味なほど深い闇に沈んでいた。


 辺境軍騎士隊長は、ディーン・ラップルゴ辺境伯から届いた書状を強く握りしめていた。


 書状には、『魔族の女人も同様に国賓に準ずる貴人として丁重に扱うこと』という厳命が記されている。


 隊長は落ち着きなく、入口の闇を見つめ続けていた。額には、じっとりと冷や汗がにじんでいる。


「……遅い。五日だぞ……」


「国賓に準ずる貴人を、ダンジョンで行方不明にしたとなれば、我々の首だけでは済みませんね……」


 部下の騎士が漏らした弱音に、隊長は渋い顔をした。


「……縁起でもないことを言うな」


 その時だった。


 ザッ……ザッ……。


 ダンジョン入口の闇の奥から、静かで規則正しい足音が近づいてくる。


 やがて、人影が三つ、ぼんやりと浮かび上がった。


 太陽の光を受け、シルエットとなってダンジョンから出てきたのは、ヴォル、ネネ、そしてティカの三人だった。


 五日ぶりの帰還。


 先頭を歩くヴォルは、全身に土埃と疲れをまといながらも、平然と前を見据えている。


 その少し後ろに、ネネが静かに付き従う。


 案内役であるティカだけが、明らかにボロボロで、足元もふらついていた。


「ヴォル様! ネネ様! ご無事で――」


 安堵の表情を浮かべ、騎士隊長がガチャガチャと鎧を鳴らして駆け寄る。


 ドサッ。


 その言葉の途中で、ティカが力尽きたように地面へへたり込んだ。


「……無事って言葉の意味を、今日ほど疑ったことはないよ……」


 ティカは土まみれの顔を上げ、恨み言を漏らす。


 だが、ヴォルは淡々と騎士隊長を見据えた。感情を動かすことなく、事実だけを告げる。


「攻略した」


「……何を、ですか」


 騎士隊長が怪訝な顔をする。


「旧坑道型ダンジョンだ」


 周囲の騎士たちが、一斉に息を呑む。


 一瞬、騎士隊長は言葉の意味を理解できなかった。目を見開いたまま固まる。


 やがて、信じられないという顔でティカへ視線を向けた。


「……旧坑道を?」


「ティカ。今の話は……」


 地面に座り込んだティカは、疲れで顔を真っ青にしていた。


 それでも、はっきりと深く頷く。


「本当だよ。深層主まで倒した。コアの活動も弱まってる」


 ギュッ……。


 騎士隊長の手が、握っていた書状に強く食い込んだ。


 ただの「国賓の生還報告」で済むはずだった任務。


 それが一瞬で、王国の利益に関わる大報告へ変わった。


「……旧坑道の攻略」


 騎士隊長はごくりと喉を鳴らした。


「それが事実なら、辺境伯様への報告内容が根底から変わる」


 ヴォルは淡々とティカを見た。


「詳しい話はティカがする」


「勝手に私の仕事を増やすな」


 ティカがげんなりした顔で、地面に突っ伏したままぼやいた。



 ダンジョン入口付近に設けられた、辺境軍の臨時詰所。


 騎士隊長は驚きと焦りを強引に押さえ込んだ。


 そして、軍人としての顔に戻り、姿勢を正す。


「ヴォル様。すでに辺境伯様より、早馬の返命が戻っております」


 ヴォルは目を細めた。


 横に無言で立つネネと共に、相手の出方を見極めるような視線を送る。


「辺境伯の返事か」


 騎士隊長は、両手で恭しく書状を広げた。緊張を含んだ声で、はっきりと読み上げる。


「ディーン・ラップルゴ辺境伯様より、ヴォル様および同行者ネネ様を、王都入りまで国賓に準ずる貴人として丁重に扱うよう命じられております」


 その言葉に、周囲の騎士たちがざわついた。


 一斉に、ネネへ視線が向けられる。


 魔族を、国賓に準ずる貴人として扱う。


 その異例すぎる命令に、騎士たちの間には強い警戒と戸惑いが広がっていた。


 だが、ネネは無表情のままだった。


 敵意を含んだ視線をいくつも向けられても、少しも動じない。ただ冷たく、前を見据えている。


 ヴォルは満足げに、短く一度だけ頷いた。


「話が早いな」


 底知れない圧を漂わせるヴォルを前に、騎士隊長は冷や汗を浮かべた。


「辺境伯様は、無用な敵を作らぬ方です」


 地面に座り込んだままのティカが、疲れきった顔でぼそっと漏らす。


「その判断は正解だね……」



 昼過ぎ。


 臨時詰所の天幕の中。


 ティカは疲れで声が低くなっていた。


 それでも、プロの斥候として、報告内容だけは正確に伝えるため、騎士隊長へ向き直る。


 カリッ……。


 騎士隊長が、机に広げた羊皮紙に羽ペンを走らせた。


「では、旧坑道内部の状況を」


 ティカは真剣な表情になった。淡々と、しかし衝撃的な事実を告げる。


「深層主は討伐済み。コアの活動が弱まって、ダンジョンのランクは一段以上下がった」


 ピタッ。


 騎士隊長のペンを持つ手が止まった。目が限界まで見開かれる。


「一段以上、下がった……?」


 ティカはそのまま報告を続ける。


「元々はミスリル採掘坑だ。深層にはまだ膨大な鉱脈が残ってる。作業員だけじゃ無理だけど、冒険者を護衛につければ、採掘の再開はありえる」


 騎士隊長の持つ羽ペンが、わずかに震えた。


 国家規模の利益を理解し、手の震えを抑えきれないのだ。


「……ミスリル採掘の再開……」


 ティカは、少し離れた場所で休んでいるヴォルとネネへ視線を向けた。


「私はただの道案内をしただけだ。旧坑道を攻略したのは、あの二人だよ」


 騎士隊長は頭を抱え込んだ。


 報告の規模が大きすぎて、完全に胃を痛めている。


「辺境伯様への追加報告が必要だな……」


 ティカが呆れたように言う。


「王都で私も直接報告するよ。どうせ私も同行するんだろ?」


 騎士隊長は重々しく頷いた。


「辺境伯様の命は、王都入りまでお二方を丁重に護送することだ」



 六日目の朝。


 ララーブラトの巨大な正門前には、王都へ向かう立派な馬車が用意されていた。


 その周囲には、厳重な護衛騎士たちがずらりと並んでいる。


 出立の準備は、すでに整っていた。朝日が、馬車と鎧を明るく照らしている。


 ヴォルは、いつも通り平然とした表情で馬車へ乗り込んだ。続いてネネが乗る。


「……私、護衛じゃなくてただの書記官になってないかい?」


 両手いっぱいに報告書の束を抱え、ティカが不満げな顔で最後に乗り込む。


 馬車がゆっくりと揺れ始めた。


 座席に深く座り、ヴォルは窓の外を見る。その隣にはネネが座り、対面にはティカが書類を広げていた。


「王都で辺境伯と合流するんだろ」


「その予定だよ」


 パカッ、パカッ。


 規則正しい蹄の音と共に、馬車は正門を抜ける。


 一行は、王都へと続く街道を進み始めた。



 同時刻、ルワール王国の王城。


 王城の大広間には、重い空気が満ちていた。


 高い天井。


 きらびやかな装飾。


 そして奥に置かれた重厚な玉座。


 その場にいるだけで、王国の権力を思い知らされるような空間だった。


 玉座に座る国王の周囲には、文官、近衛騎士、貴族たちが立ち並んでいる。


 その中央で、ディーン・ラップルゴ辺境伯が旅装のまま片膝をついていた。


 長旅の疲れを残しながらも、その表情は石のように硬く、隙がない。


 ひざまずいた状態から、辺境伯は静かに顔を上げた。


「陛下。人払いをお願いできますでしょうか」


 玉座から辺境伯を見下ろす初老の国王は、ただならぬ気配をすぐに察した。


 これは、ただの領地報告ではない。


「……そこまでの話か」


 国王が片手をスッと上げる。


 文官、近衛、貴族たちは一礼し、静かに退室していった。


 ザッ、ザッ……。


 足音と共に人の気配が引き、広間に静けさが戻る。


 残ったのは、国王と、その傍らに立つ細身の宰相、そして辺境伯の三人だけだった。


「宰相は残す」


「承知しました」


 辺境伯は真っ直ぐに国王を見据えた。


 静かに、しかしはっきりと報告を始める。


「ララーブラトにて、片目が金色の男が確認されました。名はヴォル。五百年前の勇者の記録に残る特徴と一致します」


 宰相がスッと目を細めた。


 その奥で、素早く思考が動いている。


「勇者降臨……。真偽不明の記録として、過去にも幾度か文献に残されておりますな」


 辺境伯は頷いた。


「はい。ですが、いずれも断片的な記録に過ぎません。聖教国は勇者に関する詳細を秘匿しており、王国側で確認できる確かな文献は、王家秘蔵の五百年前の記録のみです」


 国王の表情が険しくなった。


 眉間に深いシワが寄る。


「聖教国は、勇者に関わる情報を独占していたということか」


 宰相が冷静に事実を補足する。


「少なくとも、王国には意図的に渡しておりません。勇者の降臨、特徴、扱いに関する詳細な記録は、五百年前を最後にほぼ空白です」


 辺境伯が、国王を力強く見上げた。


 その目には、大貴族としての計算と、迷いのない判断が宿っている。


「だからこそ、判断を聖教国に委ねるべきではないと考えました。聖教国より先に、王国が直接接触すべき相手です」


 宰相が目を閉じ、顎に手を当てて考え込んだ。


「本物であれ、偽物であれ、放置はできませんな」


「さらに、その男は魔族の女を同行させております」


 辺境伯の言葉に、国王と宰相が驚きの視線を交わした。


「魔族を?」


「早馬の報告では、その魔族は彼に敵意を向けておりません。むしろ、彼はその魔族を大切に扱い、自ら盾となってかばったとのこと」


 宰相が低い声で呟く。


 それは、恐ろしい事実だった。


「片目が金色の男。その隣に魔族の女……。聖教国が知れば、黙ってはおりますまい」


 国王が玉座から身を乗り出した。


 鋭い眼光で、辺境伯の判断を問う。


「そなたは、どう扱った」


「ヴォル殿、および同行者ネネ殿を、国賓に準ずる貴人として王都へ迎えるよう命じております」


 辺境伯は、一切迷わず堂々と答えた。


「王都入りまで、無用な刺激を避け、丁重に護送するようにと」


 国王は玉座に深く座り直した。


 重い沈黙が落ちる。


「魔族まで、国賓に準ずる扱いか」


「軽んじれば、王国は彼との接触の機会を失います。そして、その機会をそのまま聖教国に奪われます」


 辺境伯の目には、決して退かない覚悟があった。


 宰相も、静かに頷いて支持する。


「聖教国が勇者の情報を伏せている以上、こちらも独自に確認せねばなりません」


 国王は玉座の肘掛けを強く握った。


 そして、王としての重い決断を下す。


「よかろう。到着次第、丁重に迎えよ。ただし、聖教国にはまだ伏せる」


「御意」


 辺境伯は深く頭を下げた。




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