第28話「背中を預ける者たち」
薄暗く、じめじめとした空気が漂う旧坑道型ダンジョン。
壁には発光ゴケがわずかに生え、ゴツゴツした岩肌が奥まで続いている。
突入したばかりの低層エリアを、ヴォル、ネネ、ティカの三人が慎重に進んでいた。
先頭を歩くティカは、ピンと立てた狼の耳と、ヒクヒク動く鼻で周囲を探っている。
ガラッ……。
左側の壁から天井にかけて走るヒビから、小石がパラパラと落ちた。
「……右の壁沿いを歩け。左は落盤の気配がする」
前を歩くティカの背中を見ながら、ヴォルは感心したように口角を上げた。
「さすがだな。罠の察知も索敵も、文句のつけようがない」
その時、薄闇の奥から数匹の巨大なコウモリ――ブラッドバットが襲いかかってきた。
キィィィッ!!
耳障りな鳴き声が、坑道に響く。だが、ヴォルは歩みを止めなかった。
片手をスッと前に出す。指先から『闇の矢』が、正確に連射された。
シュバババッ!!
闇の弾丸が空間を撃ち抜き、コウモリたちは一瞬で地面に落ちた。
「だが、低層の魔物じゃ経験値が少なすぎるな」
*
ザッ、ザッ、と足音が一定のリズムで響く。
「ティカ。ここから中層へ降りる『最短ルート』を案内しろ」
歩みを止めず、ヴォルが背中に向かって声をかけた。
ティカはピタッと足を止め、勢いよく振り返る。呆れたような顔をしながらも、その目にははっきりとした警告があった。
「馬鹿言え。中層は『ロックゴーレム』や『デス・スパイダー』がうようよいる。素人が焦って降りる場所じゃない」
双剣を軽く構えたまま、ネネが無表情に応えた。
「……素人の足手まといなら、心配無用だ」
ヴォルもまた、余裕が混じった笑みを浮かべた。
オッドアイの奥が、わずかに光る。
「案内人の腕を信じてるんだ。……行けるだろ?」
ティカは腰の筒から古びた坑道図を取り出し、カサッ……と地面に広げた。
「通常なら、この外周坑道を回って中層へ降りる。時間はかかるが、崩落も罠も少ない」
ティカの指が、地図の中央を縦に貫く細い旧搬送路を指した。
「最短はこっち。旧搬送路だ。ただし、何年も使われてない。崩落、落とし穴、古い鉱山罠、全部残ってる」
地図を覗き込み、ヴォルはすぐに判断した。
「距離は?」
「通常の三分の一」
「なら、そっちだ」
ティカの狼耳がピクッと跳ねた。信じられないと言いたげな顔になる。
「危険度は三倍以上だよ」
「経験値効率も上がる」
「……本当に嫌な判断するね」
ティカは軽口を叩きながらも、斥候として本気の警戒を顔に出した。まっすぐヴォルを睨む。
「いいかい。私は罠を嗅ぎ分ける。死ぬかどうかはあんたたち次第だ」
「それで十分だ」
「……その返事が一番怖いんだよ」
ティカは深いため息をつき、ガシガシと頭を掻いた。
「……死んでも私のせいにしないでくれよ。…こっちだ」
*
中層へ続く旧搬送路には、古びたレールの跡が残っていた。
壁には、さびた鎖がぶら下がっている。
ギシ……ギシ……。
古い金属が風に揺れ、不気味な音を立てていた。
突然、ティカがしゃがみ込んだ。地面すれすれに張られた細い金属の糸を、指でピタリと止める。
「止まれ。足首の高さに糸だ」
ヴォルがその先を見ると、壁にさびた矢筒のような仕掛けが並んでいた。
「ダンジョン罠か」
「ダンジョンの罠じゃない。人間が昔作ったやつだ」
ティカは短剣で糸を慎重に押さえながら、壁にある小さな留め具を外した。
カチ……。
小さな金属音がした瞬間、反対側の壁から古い鉄の杭が一斉に飛び出した。
ガガガガンッ!!
だが、ティカはすでに安全な位置へ退いていた。
「ほらね。素人なら串刺しだ」
突き刺さった鉄杭の動きを、ヴォルは無表情で見つめていた。
「なるほど。魔力感知に引っかからない物理罠か。お前を連れてきて正解だった」
その言葉に、ティカは少しだけ得意げな表情を見せた。
「今さら?」
「評価は更新する主義だ」
二人のやり取りを背後から見ていたネネは、静かな目でヴォルを観察していた。
(ヴォルは、相手が誰であれ使えるものは使う。だからこそ、敵にも味方にもやっかいだ)
その時、中層の広い空洞にさしかかった。
地中から、巨大な岩のゴーレム(ロックゴーレム)が二体、勢いよく飛び出してくる。
ゴゴゴォォッ!!
激しい地響きが起こった。
「遅いな」
ヴォルの体に『光』のバリアが展開される。
同時に、足元で『闇』が爆ぜた。
『擬似・反発推進』。
姿がブレるほどの速さで、ヴォルはロックゴーレムの横に回り込んだ。
ドッゴォォォォンッ!!
関節の隙間へ、高密度の魔力を込めた一撃を叩き込む。
硬い外殻が、内側から砕けた。
ズガァァァンッ!!
同時に、空中へ跳んだネネが逆側から剣を振る。目にも留まらぬ速さの剣閃が、もう一体の頭部を一瞬で切り刻んだ。
ザザザッ!!
空気を裂く音が響く。
ズズン……。
二体の巨体が、土煙を上げて崩れ落ちた。
安全な位置で見ていたティカは、目を丸くして二人の連携を見つめていた。
ピクッ、と鼻が動く。
(……異常だ。あの男、数体のモンスターを倒すたびに、魔力の『匂い』が濃くなってる。戦いながら、急成長している……?)
*
一日目の夜。
中層の岩のくぼみを利用した安全地帯。
小さな魔力灯の光だけが、三人を照らしている。
周囲は深い闇に包まれていた。
ネネは壁際に座り、無言で双剣を布で磨いている。だが、その目は暗闇へ向けられ、鋭い警戒を解いていなかった。
ヴォルは、ネネに背中を預けるように少し離れた場所に立っている。
光と闇の魔力球を手元で明滅させ、黙々と制御の練習を続けていた。
ブゥゥン……。
魔力の唸る音が、静かな空間に響く。
報告書を書いていたティカは羊皮紙から顔を上げ、横にいるネネをじっと見つめた。
「……聞いていいかい」
「内容による」
ティカはヴォルの方を顎でクイッと示した。
「あんた、魔族だろ。なんで人間の背中をそこまで守る?」
一瞬だけ沈黙が流れた。
ネネの横顔は冷静だった。
だが、その目にはわずかな柔らかさがあった。
「利害が一致している」
「それだけ?」
ネネは、修練を続けるヴォルの背中を見つめた。
ヴォルは二人の会話に気づかず、魔力の制御に没頭している。
「……それだけで始まった。だが、今はそれだけではない」
ティカは、不思議なものを見るような目をした。
「魔族が人間を信用するのか」
「人間を信用しているわけではない」
ネネはティカを真っ直ぐに見据えた。
迷いなく、静かに言い切る。
「ヴォルを信用している」
予想外の答えに、ティカは言葉を失った。
ティカは膝の上の羊皮紙に視線を落とした。
少しだけペンを止めて迷う。
だが、すぐに羽ペンを走らせた。
カリカリ……。
紙をこする音が響く。
その音に、ネネがちらりと視線を向けた。
「それにしても、堂々と報告書を書くのだな」
ティカはペンを止めず、肩をすくめた。
「報告役だってバレてるのに、今さらコソコソ書く必要もないだろ」
カリカリ……。
また羽ペンの音が続く。
「それに、嘘を書くつもりもない。見たものを、そのまま書くだけだ」
ネネは少しだけ目を細めた。
「なら、好きにしろ」
「言われなくても、そうするよ」
『報告:片目が金色の男。戦闘力、魔力制御、すべてが異常』
少し離れた場所で修練するヴォル。
そのすぐ側で、周囲を警戒するネネ。
ティカの鋭い目が、二人の不思議な信頼関係を見抜いていく。
(それに、この魔族の女……。男の背後を完璧に護っている。……本当に、背中を預け合ってるんだな)
ティカは報告書の末尾に、斥候としての冷静な意見を書き足した。
『追記:男は同行者の魔族と絶対的な信頼関係にある。魔族の扱いを誤れば、男との交渉は即座に決裂すると進言する』




