第27話「時間を喰らう者」
安全な迎賓宿の静けさから一転、荒れ果てた森の暗闇に冷たい風が流れていた。
へし折れた木々。
焦げた魔法の跡。
踏み荒らされた土。
ヴォルが『アサルト・ドライブ』の修練をした跡が、そこにはまだ残っていた。
その地面を、デレンの大きなブーツが踏み潰す。
グシャッ……!
地面に残った跡を睨みつけるデレンの目は、獲物を追う獣のように血走っていた。鼻がヒクつき、ヴォルたちの匂いを探る。
「……痕跡が新しい。近いはずだ」
デレンの肩越しに、森が途切れた先の街道が見えた。王国によって整えられた、広い石畳の道だ。
デレンはハッとして顔を上げる。
「この先はララーブラトか!」
その時、木陰の闇から、黒装束の邪教密偵が音もなく現れた。まるで影から這い出るように姿を見せ、デレンの前で片膝をつく。
「デレン様。これ以上の追跡はお控えください」
デレンは密偵を睨み殺すように見下ろした。その目には、狂気と苛立ちが渦巻いている。
ゴォォッ……と、強い殺気が放たれた。
「……あ?」
密偵は冷や汗を流しながらも、早口で報告した。
「王国軍が動いております。荒野での戦闘の痕跡も、既に辺境伯の調査部隊に回収されました。ここで大都市に手を出せば、教団の存在が表に引きずり出されてしまいます」
密偵の顔が、さらに恐怖で引きつる。
「それに……王国には、あの方も……」
ズガンッ!!!
デレンは怒りに任せて、巨大なツルハシを地面に叩きつけた。凄まじい音と共に、地面に亀裂が走る。
「…あのイカれ野郎か。……胸糞悪ぃ」
ツルハシを引き抜き、デレンは森の奥に続く街道を睨み据えた。
ギラッ、と血走った瞳に、怒りが燃える。
「……チッ。次は逃がさねぇ……」
獣のような重い足音を響かせ、デレンの巨体は再び深い森の暗闇へ消えていった。
*
迎賓宿のダイニング。
食後の温かい茶を飲みながら、ヴォルは呼び出した騎士隊長に切り出した。
コトッ、とカップをソーサーに置く音が響く。
「で、近くにダンジョンはあるか?」
ピタッ、と隊長の思考が止まった。
間抜けな声が漏れる。
「……は?」
ヴォルのオッドアイが、隊長を真っ直ぐに射抜く。
「早馬の返事を待つだけなら、時間の無駄だ」
ガタッ!
隊長は慌てて手振りで制止した。
「な、何をおっしゃるのです! ヴォル様を危険地帯へお連れするわけには参りません!」
ドンッ、とヴォルもテーブルに両手をついた。立ち上がって顔を近づけ、逃げ道をふさぐように言葉で迫る。
「俺を守りたいなら、俺が『強くなる時間』を奪うな」
気迫と正論に押され、隊長は額に汗を浮かべた。
「っ……」
しばらく苦しそうに考えた末、騎士隊長は深いため息をついた。
「……分かりました。ですが、それならば護衛隊を編成いたします。最低でも精鋭の一個小隊を付け、安全を確保した上で――」
軍人らしい真面目な提案を、ヴォルは冷たく切り捨てた。
「いらない。邪魔だ」
隊長は信じられないものを見るような目をした。
「じゃ、邪魔……?」
オッドアイを細め、ヴォルは本音を口にする。
「俺の目的は『経験値』を稼ぐことだ。護衛に横取りされるのも困るし、何よりダンジョン内で足音のうるさい鎧の護衛は『足枷』にしかならない」
隊長は頭を抱えた。胃を痛めた苦労人のような顔で、悲鳴に近い声を上げる。
「しかし! 完全に自由行動を許すわけには……万が一のことがあれば、私が腹を切ることに……!」
ヴォルは人差し指を立てた。妥協案という形をした要求を突きつける。
「なら、案内役を『一人だけ』つけろ」
必要な条件を、淡々と並べていく。
「地元の地形に詳しく、足音が小さく、俺たちの戦闘の邪魔をしない奴だ」
ハッと、隊長が何かに気づいたように顔を上げた。
「……適任が、一人おります」
*
一時間後。
コンコンッ。
ヴォルの私室の扉を叩く、短いノック音が響いた。
ギィ……と扉が開き、人影が入ってくる。
「辺境伯軍斥候、ティカだ……です」
現れたのは、青みがかった灰色の狼耳と、ふさふさの尻尾を持つ獣人の女性だった。
年齢は二十代前半。
動きやすい軽装の斥候服を着て、腕を組んでいる。ツンとした鋭い目つきで、少し不機嫌そうにヴォルを見ていた。
隙のない立ち姿だ。
「案内役だ。足を引っ張るなよ……です」
ピコンッ……!
ヴォルの瞳の奥に魔力の光が宿り、システム音が静かに鳴った。ティカの横に、半透明のウィンドウが展開される。
『対象:ティカ (Lv38) / 思考の深層(目的の断片):対象の案内、監視、および辺境伯への報告』
ウィンドウ越しに、ヴォルは相手の手の内を知った。ニヤリと余裕の笑みを浮かべる。
(Lv38……ただの案内役の斥候にしては、随分と腕が立つな)
「無理に敬語は使わなくていい。……俺たちの監視と、『報告役』も兼ねてるんだろ?」
ティカはわずかに眉をひそめた。舌打ちしそうになるのをこらえる。
狼耳がピクッと動いた。
「……嫌な男だな」
スッと鋭い視線が、部屋の奥へ向けられる。
「で、そっちの魔族も連れていくのか?」
部屋の暗がりから、ネネが半歩進み出た。無表情のまま、鋭い視線を返す。
「不満か?」
ティカは腕を組んだまま、つまらなそうにフッと鼻で笑った。あっさりと、その問いを否定する。
「不満じゃない。ただの確認だ。腕が立つ奴は使う。それだけだ」
ネネはわずかに目を見張った。それから、スッと殺気を収める。
(亜人を斥候の要職に就けているだけあって、王国は実力主義ってわけか)
ヴォルはソファから立ち上がった。気さくな笑顔を浮かべ、右手を差し出す。
「話が早くて助かる。俺はヴォル。で、こっちがネネだ」
ティカは無愛想なまま、しかし力強くヴォルの手を握り返した。
ガシッ。
「ティカだ。……道中、勝手な真似はしないでくれよ」
ネネも少し離れた位置から挨拶を返した。
「……よろしく頼む」
*
翌朝。
青空の下。
城塞都市から少し離れた岩山の麓に、ぽっかりと黒い口が開いていた。
ヴォル、ネネ、ティカの三人は装備を整え、その入口の前に立っている。
ザッ……と、足元の砂利が鳴った。
少し離れた場所では、騎士隊長がオロオロしながら心配そうに見送っている。
スッ……と、ティカが素早く入口の前で身をかがめた。足元の土を指ですくい取る。
スンスン……。
指先の土の匂いを嗅ぎ、プロの斥候の顔つきで奥の暗闇へ鋭い視線を向けた。狼耳がピクピクと動き、細かな音を拾う。
土を払い落とし、ティカは淡々と見立てを告げた。
「……ブラッドバットの糞の新しい匂い。それに奥からロックワームの這う振動がする。中層の魔物が、かなり上層まで上がってきてる……」
ホゥ、とヴォルは感心したように口角を上げた。
(入り口に立っただけでそこまで分かるのか。……腕は確かだな)
ティカは表情を引き締め、厳しい声で改めて警告する。
「この先は、ララーブラト外郭の上級『旧坑道型ダンジョン』だ。罠も多いし、魔物の匂いも濃い。……素人なら入口で確実に死ぬ」
ポキッ。
指を鳴らし、ヴォルは戦闘の準備を整えた。
ニヤァ……と、危険を楽しむような獣じみた笑みを浮かべる。
「ちょうどいい」
フッ……と、ティカの警戒が少しだけ解けた。面白そうに笑う。
「本当に、嫌な男だな」
ザッ!!
ヴォルは迷いなく、ダンジョンの暗闇へ一歩を踏み出した。
その横顔には、時間を惜しんで力を求める、強い野心が燃えていた。
「案内しろ、ティカ」
「待ってるだけの時間を、全部レベル『力』に変える」




