第17話「盤面の支配者」
ヴォルの目が大きく見開かれ、表情がピクリと固まった。
ギラッ……。
彼の目に飛び込んできたのは、騎士たちの防具に刻まれた教会の聖印だった。
(ホーリーナイツ? 教会の紋章……!! 教会の追手か……早すぎるだろ!)
絶望的な状況に、ヴォルの背中を冷たい汗が伝う。
ピコンッ、ピコンッ、ピコンッ……。
ヴォルはホーリーナイツの三人へ視線を移し、再び瞳に『鑑定』の光を宿した。連続して、システム音が鳴り響く。
三人の騎士たちの横に、それぞれのステータスウィンドウが同時に開いた。そこに表示された数値は、ヴォルに完全な絶望を叩きつけるものだった。
『対象:ウォーデン / Lv198』
『対象:ガド / Lv192』
『対象:タムタ / Lv171』
ヴォルは限界まで歯を食いしばった。
(全員レベル170オーバー……!? ツルハシ野郎と同等以上の奴らが三人も追加だと!? こいつらみんな、化け物か……!)
一方、無表情だったセインの眉が、教会の聖印を見た瞬間、わずかに動いた。だが、それははっきりとした反応だった。
ドクンッ……!
セインの瞳の奥で、深く沈んでいた憎悪が、静かに燃え上がっていく。
武器を構えたまま、ネネがジリッ……とわずかに後ずさった。そして、低く囁く。
「……前門の虎、後門の狼とはまさにこの事だな……」
右には「邪教」の黒い殺意。左には「教会」の白い狂気。その中心で、ヴォルたちは完全に囲まれていた。
静けさの中で、ドクンッ……ドクンッ……と自分の心臓の音だけが、やけに大きく聞こえる。ヴォルは深く俯き、剣を握る拳に力を込めた。
ギュッ……と革手袋が鳴る。
(……いや、待て)
絶望の底で、ヴォルの思考が一気に冷えていく。
(こいつらの目的は「俺の生け捕り」だ。対する黒い奴らの目的は「俺の死」。なら、この盤面を利用できる)
俯いたヴォルの口元が、わずかに吊り上がった。それは、状況を支配しようとする冷たい笑みだった。
ザッ……ザッ……。
ヴォルは邪教側に背を向け、無防備な足取りで教会の三人へ向かって歩き出した。死地を歩いているとは思えないほど、堂々とした足音だった。
「!? ヴォル!」
ネネが驚いて叫ぶ。
ヴォルはゆっくりと顔を上げた。その瞳には、すでにこの場の全員を盤上の駒として見る、冷たい光が宿っていた。
フッ。
ウォーデンを真正面から見据え、ヴォルは挑発するように鼻で笑った。
「……アンタら『教会の人間』だろ? 俺を回収しに来たんだろう?」
ピキッ……。
その傲慢な態度に、ウォーデンが不快そうに眉をひそめる。そして、聖剣の柄を握り直した。
「ええ。あなたが大人しく従うなら、無用な苦痛は与えませんよ」
クイッ。
ヴォルは傲慢な態度のまま、背後にいるデレンとセインを親指で指した。
「なら、そこの狂信者どもをどうにかしろ。奴らの狙いは俺を殺す事だ」
ゴギギギッ!
ツルハシの柄を握り潰すほど力を込め、デレンが怒りで顔に青筋を浮かべる。
「テメェ……調子に乗るなよ、小僧……!」
だが、ヴォルは片手剣を持ったまま両手を広げた。そして、ウォーデンへ言葉を突きつける。
「俺がここで死ねば、大事な生贄が消え失せ、アンタらの任務は完全に失敗だ。それでもいいなら……」
ヴォルは喉の奥に力を込め、声の震えを押し殺した。
「俺の首が転がるのを、そこで黙って見ていろ」
長い沈黙が流れた。
ククッ……と、ウォーデンが陰湿に笑う。その瞳の奥には、狂気が宿っていた。
チャキッ……。
ウォーデンは、静かに聖剣の切っ先をセインへ向けた。
「……癪に障りますが、あなたの言う通りだ。供物の破損は万死に値する。ガド、タムタ。まずはそこの『異端』を排除します」
「ヒャハッ! やっと掃除の時間だぜッ!」
「せっかく、こんなとこまできたんだから……少しは楽しませてよねぇ♡」
大鎌の柄に顎を乗せて笑っていたタムタも、ようやくやる気を見せた。
そのやり取りを見ていたセインの瞳が、騎士たちの胸にある「聖印」を捉える。その瞬間、瞳孔が激しく収縮した。
ドクンッ……!
セインの頭の中で、限界まで膨れ上がった憎悪が弾けた。怒りで顔がピクピクと痙攣している。
ゴゴゴゴゴ……!
荒野の小石が、セインの異常な魔力に当てられて空中へ浮かび上がった。そして、粉々に砕けていく。
セインの背負う闇が、黒いオーラとなって周囲を侵食していく。空の色さえ変えてしまいそうなほどの憎悪だった。
「……教会、の……偽善者共がァ……ッ!!」
セインはホーリーナイツを睨みつけた。この世のすべてを呪うような目だった。
ギリィッ……と、激しい歯ぎしりの音が響く。
「偽善に塗れた貴様らを殺すためだけに! 私はこの術式を創り上げたッ!!」
セインの絶叫と共に、背後に白と黒の魔法陣が展開された。
ギュイィィィンッ!!
セインが両手を突き出す。白と黒がねじれ合う、極太の魔力砲が放たれた。
ドゴォォォォンッ!!
ガドが大剣を構え、真正面から魔力砲を受け止める。ガドの聖力と、セインの反転魔力が激突した。世界が白と黒に明滅する。
ゴォォォォォッ!!
視界を完全にふさぐほどの爆風と砂ぼこりが、嵐のように吹き荒れた。
混乱の中。
ガシッ!
ヴォルはネネの腕を強く掴んだ。
「ネネ! 今だ、走れ!!」
ダダダダダッ!!
二人は砂ぼこりを突き破り、激戦の中心とは反対側へ走った。目指すのは、荒野の先に広がる深い森だ。
風を切って走りながら、ネネは驚きを隠せずにヴォルを見る。
「考えたな……!」
前方には、うっそうと茂る暗い森の木々が迫っていた。ヴォルは冷静に前を見据えたまま答える。
「単純な誘導だ。互いの目的が完全に相反している以上、ぶつけて潰し合わせればいい。……視界の開けた荒野に長居は無用だ、森へ入るぞ」
*
バサァッ!
ウォーデンは純白のマントで爆風を防ぎながら、ヴォルたちの逃走を正確に見ていた。
「……チッ。浅ましいネズミめ。タムタ、ガド! 異端は後回しです。勇者を追います!」
ガドたちが迎撃をやめ、ヴォルの方へ跳ぼうと膝を曲げる。筋肉がグッ……と収縮した。
「逃がすかぁッ!!」
両目から血を流しながら、セインが狂気に満ちた目を見開いて吼えた。
ドバァァンッ!!
セインが両手を荒野の地面に叩きつける。すると、地面から黒い泥のような魔力が放射状に広がった。
「『反転術式・聖縛影牢』!!!」
ジャラララァッ!!
ホーリーナイツ三人の足元に広がった黒い魔力から、突然「黒と白の光の鎖」が噴き出した。鎖は生き物のように、三人の手足や体に絡みつく。あっという間に、がんじがらめに縛り上げた。
鎖が防具に食い込み、聖銀を削るような不快な火花が散る。
「なんだァこの鎖!? 聖力が……吸い取られてやがるッ!?」
ギギギギッ!
ガドが持ち前の怪力で、無理やり鎖を引きちぎろうとする。だが、鎖はまとわりついたまま離れない。激しく軋むだけだった。
「ヤバ……アンタ、潰しがいありすぎなんだけどぉ」
タムタも鎌を振れず、拘束に悪態をついた。
口からポタポタと血を流しながら、それでもセインは悪魔のように笑った。
「聖気で満たされた貴様らは、絶対にこの鎖を抜け出せん!!」
スッ……。
セインは肩越しに、背後のデレンを鋭く見た。血走った瞳には、執念の炎が燃えている。
「デレン! ここは俺が引き受ける! お前は……」
全身から魔力の蒸気を吹き出し、血を吐きながらセインは叫んだ。
「お前は勇者を、確実に殺しに行け!!」
ゴッ……。デレンは、野獣が狩りへ向かう前のように、ツルハシを担ぎ直した。
「……ああ。わかった。絶対にあの首は持ち帰ってやる」
ズガァァァンッ!!
デレンが弾丸のように跳び上がる。その反動で踏み抜いた荒野の地面が、巨大な穴のように陥没した。
激しい土煙を上げて、デレンの巨体が空中へ撃ち出される。
ゴゴゴゴゴ……。
セインは圧倒的な壁となって、鎖でもがく騎士たちの前に立ちはだかった。
「さあ……裁きの時間だ、偽善者共」
*
ダダダダダッ!
ヴォルとネネは荒野を全力で駆けていた。森の境界まで、あと数メートル。
走りながら背後へ視線を送り、ヴォルは密かに安堵する。
(よし、足止めに成功した。あと少しで森に――)
ヒュオォォォォ……ッ!
その時。
巨大なものが空気を切り裂きながら迫る、不気味な低い音が響いた。それを、ネネの鋭い耳が捉える。
ドンッ!!
血相を変えたネネが、ヴォルを横へ激しく突き飛ばした。
「ヴォル! 避けろ!!」
バッ!!
ヴォルは突き飛ばされ、ネネも逆方向へ大きく跳び、地面を転がる。
ギリギリの回避だった。
ズドォォォォォンッ!!!
森の入り口の木々が粉砕され、なぎ倒される。木々が折れ飛び、大爆発のような破壊音と激しい土煙が巻き起こる。
二人が数秒前まで走っていた場所に、家ほどもある巨大な岩が隕石のように突き刺さった。
ダラッ……。
着地したヴォルの頬を、冷や汗が伝った。彼は戦慄する。
(あのでかい岩を、投げてきたのか……!? 完全にバケモノじゃないか……!)
ドンドンドン。
心臓の鼓動のような重低音が響く。土煙の奥から、大地を揺らす足音が近づいてきた。
ズズズズズ……ッ! ガリガリッ!
土煙を突き破り、デレンが猛烈な速さで突進してくる。ツルハシを地面に引きずり、岩盤を削り取る不快な金属音が響いた。
デレンの顔は、凄まじい形相になっていた。血管が浮き上がり、瞳孔は縦に割れている。完全に理性を飛ばし、殺意だけで動く鬼神のような姿だった。
「逃がすわけねェだろうが……クソガキがぁぁあ!!」
死へのカウントダウンを告げる絶叫が、森の入り口に響き渡った。




