第16話「反転術式と、最悪の第三勢力」
月明かりに照らされた荒野は、絶望的な光景に包まれていた。
バチバチッ! ビリビリ……!
空を覆い尽くすほど巨大な「白」と「黒」の魔法陣が重なり合っている。それらは、不気味な歯車のように逆回転していた。空間がきしみ、大気が悲鳴を上げるような耳鳴りが、荒野一帯に響き渡る。
魔法陣を展開しているセインの片目から、一筋の血の涙が流れていた。
聖と闇。
相反する二つの力を反転させ、融合させる『反転術式』。それは、術者の命そのものを削る禁術だった。
だが、セインの顔に痛みはない。彼はスッ……と力を抜いたまま、静かに人差し指を振り下ろした。
「……『反転術式・極光』」
ズババババッ!!
上空の巨大な陣から、白と黒が螺旋状に絡み合う太い光線が、豪雨のようにネネへ降り注いだ。
「グルルルッ……! ギャウッ!」
狂暴な獣の唸り声。ネネの周囲では、先ほどの戦闘で変異したキメラが、数体残っていた。よだれを垂らしながら、完全に彼女を囲んでいる。
(……同時に相手をするのは流石に骨だな……)
冷静なネネも、セインの魔法と周囲のキメラを前に、額に冷や汗をにじませた。
ドゴォォンッ!
上空からの極光が、ネネの頭上を狙って落ちてくる。ネネは紙一重で後ろへ跳び、直撃を避けて地面へ着地した。
その回避で生まれた、一瞬の隙。
「ギャアアアッ!!!」
残りのキメラたちが、全方向から一斉に飛びかかった。逃げ場のない立体包囲。キメラの鋭い爪が、ネネへ振り下ろされる。
まさにその寸前。
ネネは双剣を構えたまま、自分の足元に広がる『影』の中へ沈み込んだ。まるで液体に溶けるように、音もなく姿を消す。キメラたちの爪は、空しく空を切った。
ドゴォォォォンッ!!
ネネが消えた直後。空振りして密集したキメラたちの頭上に、セインの極光が味方ごと直撃した。強烈な光が爆発し、炎と肉片が舞い散る。味方すら気にしない、セインの無差別攻撃だった。
爆発のすぐ外側。光線から距離を取っていた最後の一体のキメラの足元に、影が伸びていた。そこから、ネネが勢いよく飛び出す。
ザンッ!!
すれ違いざまの一閃。巨大な極光の爆炎を背にして、キメラの首が鮮やかに刎ね飛ばされた。血しぶきが舞う。
だが、着地したネネに、セインが放った強烈な白い閃光が直撃した。
カッ!!!
目を焼くような強烈な光が弾ける。
「くっ……!」
ネネの視界が、完全に白く染まった。目を細めたその一瞬。警戒がわずかに薄れた彼女の背後に、セインがスッ……と染み出すように現れた。魔力反発の強烈な推力を使い、超速移動でネネの背後へ回り込んだのだ。
セインの掌が、ネネの背中へゼロ距離で向けられる。その掌には、白と黒の魔法陣が浮かび上がっていた。
ブォンッ……!
魔力が、空気を歪ませる。
「……散れ」
ズドォォォォンッ!!
至近距離から放たれた魔力砲が、ネネの体を飲み込んだ。衝撃波が弾け、ネネは弾丸のように一直線に吹き飛ばされる。彼女の体は荒野の硬い岩肌を次々と砕きながら、遥か彼方へ飛ばされていった。
*
同刻、荒野の別地点。
ヴォルの脳裏に、先ほどデレンを見据えた時に【鑑定】で確認した情報がよぎる。
『対象:デレン / Lv172 / 異能:虚空の膂力』
(Lv172、《虚空の膂力》……分かってはいたが、改めて受けると馬鹿げた腕力だ。まともに力で張り合う相手じゃない)
ゴォォォォ……ッ!
ヴォルの視界に、見上げるほど巨大なツルハシの刃が迫っていた。
「よそ見してる余裕があるのかァ!?」
デレンの怒号と共に、必殺の一撃がヴォルの頭へ迫る。
ガギィィィィンッ!!
ヴォルは鋼の剣を斜めに構え、ツルハシの直撃を正面から受け止めた。激しい火花が散る。鋼の剣が、折れそうなほどしなった。
デレンの信じられない圧力に、荒野の硬い岩盤が蜘蛛の巣のようにひび割れる。ヴォルのブーツが、地面に沈み込んでいった。
「くっ……!」
ミシミシ……ッ!ヴォルの腕の筋肉がきしむ。歯を食いしばり、額には大量の冷や汗がにじんでいた。
(……重すぎる。このままじゃ、剣ごと腕を持っていかれる……!)
デレンの太い腕の筋肉が膨らみ、血管が浮き上がる。
「オラァッ!!」
ドゴォォォォンッ!!
デレンがツルハシを強引に横薙ぎに振り抜いた。巨大な衝撃波が広がる。ヴォルは剣の腹で衝撃を防いだが、その重すぎる一撃に耐えきれなかった。
後方へ激しく吹き飛ばされる。
バァァンッ!!
ヴォルの体が宙を舞った。猛スピードで弾き飛ばされる。
ドガッ! ズササササッ!
地面を何度もバウンドし、荒野の土を派手に巻き上げながら転がった。
「ヴォル! 無事か!」
吹き飛ばされた先へ、傷だらけのネネが『シャドウステップ』で駆け寄ってきた。ハァッ、ハァッ……と荒い息をしている。
ヴォルもまた、ゆっくりと立ち上がる。口の端から流れる血を乱暴に拭った。だが、その顔から焦りは消えていた。元の冷たい表情に戻っている。
「……ああ。だが、最悪の盤面だな」
ザッ……ザッ……。
もうもうと立ち込める砂ぼこりの中から、重い足音が響く。デレンとセインが、別々の方向から一歩ずつ近づいてきた。二人とも、圧倒的な威圧感を放っている。
「しぶとい勇者だ。だが、次でその頭を確実にカチ割ってやる」
デレンは巨大なツルハシを肩に担ぎ、虚ろで残酷な笑みを浮かべていた。その瞳は、殺意に光っている。
パチパチパチッ!無言のセインは、再び両手に白と黒の魔力を集めていた。両手から、黒と白の稲妻が放電している。
ヴォルはかすかにオッドアイを光らせ、セインへ『鑑定』を発動した。
ピコンッ……。
無機質なシステム音が、脳内に響く。セインの横の空中に、半透明のシステムウィンドウが表示された。
『対象:セイン/ Lv121』
(レベル121!? ツルハシ野郎よりかなりレベルは低い……だが、Lv212のネネすら苦戦する、あの魔法は異常だ。明らかにこいつの方がヤバいぞ……!)
ヴォルの額から、冷や汗が流れ落ちる。驚きながらも、目は油断なく敵の隙を探っていた。
迫る、邪教の幹部たち。荒野に完全に孤立したヴォルとネネは、構えを取り、敵を警戒する。ジリッ……と、ヴォルが剣の柄を握り直した。
(ネネの体力も限界に近い。ここで俺の手札を全解放して凌ぐか……? いや、それでは俺の生存確率が極端に落ちるし、ネネが逃げ切れる保証もない)
ヴォルのオッドアイの奥で、状況を打開するための計算が高速で回っていた。
(何か……この絶望的な状況を、ひっくり返す『何か』はないか……!?)
*
数分前。
荒野から遠く離れた街道。そこを、三つの白銀の影が走っていた。
ドドドドドッ!!
残像を残すほどの速度で地を蹴り、疾走している。常人離れした脚力。力強く踏み込むたびに、街道の土が爆ぜる。教会の最強武力、ホーリーナイツの三人である。
ズザァァァァッ!
先頭を走っていたウォーデンが、地面を深くえぐりながら急停止した。土煙が上がる。彼は遠くの夜空に上がる漆黒の閃光を、蛇のように細い目で見つめた。
「……おや。目標のサルファン街の外郭で、何やら派手な魔力の衝突が起きていますね」
*
そして現在。
デレンがツルハシを高く振り上げる。セインの反転魔力も、限界まで高まっていた。敵の圧倒的な殺意が、ヴォルとネネを押し潰そうとしている。
その瞬間。
ズバアァァァァァンッ!!!!!
上空から飛来した巨大な斬撃が、荒野の大地を切り裂いた。隕石のように落ちてきたその一撃は、デレンとセインを分断するように、ヴォルたちとの間へ突き刺さる。大地が真っ二つに割れた。
「チッ!? なんだァ!?」
ドォォォォ……ッ!
凄まじい衝撃波と砂ぼこりが吹き荒れる。デレンの突進は強引に弾き返され、セインの精密な術式も衝撃で霧散した。爆風が荒野全体を飲み込む。
カチャ……。
晴れていく砂ぼこりの中で、重い甲冑が擦れ合う音がした。邪教とヴォルたちを挟むように、反対側の砂ぼこりの奥から三人が姿を現す。教会の聖印が刻まれた鎧をまとった者たちだった。
「ハッハッ! アタリだぜ! ネズミ(勇者)が、野良犬に噛まれてやがる! まとめて全員皆殺しだァ!」
巨体のガドが、身の丈ほどある大剣を片手で軽々と肩に担ぎ、凶悪に笑った。
「キャハハッ! なんか面白いことになってんじゃ~ん!」
タムタは巨大な大鎌の柄に顎を乗せ、まったく緊張感のない様子で笑っている。
ザッ……!
一歩前へ出たウォーデンが、細身の聖剣を鞘から抜いた。優雅に微笑む彼の剣が、月光を受けて鋭く光る。
「駄目ですよガド。真ん中の『勇者』は世界を救う大切な供物。……生かして教会に連れ帰るのが、我々ホーリーナイツの『真面目』な任務です」
三人のホーリーナイツが立つ。神聖さと、異常な殺意が入り混じる姿だった。
『聖教国・ホーリーナイツ(教会最強の武力)』
新たな、そして最悪の第三勢力の登場だった。




