第12話「俺の女と、強くなる理由」
神が住む天上界。
白く美しい柱が、どこまでも並ぶ神殿。その中には、いつも以上に冷たく重い空気が漂っていた。
この世界ディタリアの管理者である女神フライヤは、普段の冷たい顔を苛立ちに歪めていた。忌々しげに、親指の爪をギリッと噛む。
「……あの異世界人、やってくれましたね」
空中に浮かんだ光のウィンドウには、ヴォルが教会の聖騎士部隊を壊滅させた、森の惨状が映し出されていた。
「教会の部隊を返り討ちにして、まんまと王国の壁を越えるとは」
管理者であるフライヤにとって、想定外の出来事だった。その瞳が、怒りを通り越して、冷たく細められる。
「最初に『めんどくさい男』と思った直感は……どうやら間違いではありませんでしたね」
*
天界から放たれた強い神託の光が、地上の大聖堂へ降り注いだ。
聖地ティティーリアの教会。
巨大な女神像の前にひれ伏していた大司教の背中を、神々しい光が包み込む。
「おお……! 女神フライヤ様からの直々の神託……!」
光を浴びた大司教の顔が、喜びに震えた。その表情は、狂ったような歓喜に満ちている。
「王国……! 辺境の街『サルファン』!!」
大司教は興奮したまま勢いよく振り返った。背後に控える神官へ向けて叫ぶ。
「勇者の現在地が判明しました! 奴は王国へ逃げ込みました!」
大司教は神官へ歩み寄った。今にも胸倉を掴みそうな勢いで、唾を飛ばしながら命令を下す。
「直ちに『ホーリーナイツ』へ連絡を取りなさい! 即応可能な者を、至急サルファンへ向かわせるのです!!」
「は、はいっ! ただちに!」
異常な気迫に圧倒され、神官は震える手で懐から通信用の魔道具を取り出した。
大司教の顔には、目的のためなら手段を選ばない狂気が張り付いている。
「王国領への武力介入になるが、構わん! 勇者(生贄)の確保が最優先だ!」
ギリッ、と大司教の歯が鳴った。その瞳は、憎しみと執念で燃えていた。
「今度こそ……絶対に逃がさんぞ、偽勇者め」
*
教会の濁った狂気とは反対に、ルワール王国の辺境街・サルファンは、抜けるような青空と活気に満ちていた。
冒険者ギルドの大きな木製の扉から、ヴォルと、深くマントのフードを被ったネネが出てくる。
「よし、これで身分証明の確保は完了だ。冒険者『ヴォル』の誕生だな」
面倒な手続きを終えたヴォルは、不敵に笑った。
「ああ。魔族である私が表立って動くわけにはいかないからな。助かる」
周囲の目を気にしながら、ネネがフードの奥で頷く。
ヴォルは真新しいギルドカードを見つめた。そして、懐にしまうふりをして、アイテムボックスへ収納する。
「さて、どうする? まずは飯でも――」
次の行動を決めようとした、その時だった。
「おいおい、見ない顔だな。新入りか?」
ヴォルたちの前に、三人の男たちが立ち塞がった。
使い込まれた粗末な武具を身につけた、見るからに柄の悪い冒険者たちだ。
リーダーらしい大男は、身長が二メートルほどもある。筋肉だらけの体でヴォルたちを見下ろし、下品な笑みを浮かべていた。
そのいやらしい視線は、ネネのフードの奥から覗く美しい顔や、マントの上からでも分かる胸元へ向けられている。
「お前みたいなガキが、随分と上等な女を連れてるじゃねえか」
その言葉を聞いた瞬間、ヴォルの顔から笑みが消えた。先ほどまでの余裕は消え、氷のように冷たい目つきへ変わる。
「……道を開けろ。用はない」
「まぁ待てよ。こんなガキより、俺たち『大人の男』とパーティーを組んでやるって言ってんだよ、なぁ?」
大男はヴォルの警告を無視した。下品に笑いながら、ネネの肩へ太い腕を伸ばす。
――大男の汚い手が、ネネに触れる寸前。
ガシッ!!
ヴォルの黒いハーフグローブをはめた手が、大男の太い手首を掴み止めていた。万力のような力だった。
「あ?」
大男は不思議そうに眉をひそめた。自分の腕が止められたことに、ようやく気づいたらしい。
「……おい」
前髪の隙間から覗くオッドアイに殺気が宿る。ヴォルは静かに、低い声で言った。
「人の女に手を出すとは、随分と良い度胸だな」
周りの空気が凍りついた。
メキィッ!!
次の瞬間、ヴォルは顔色一つ変えず、大男の腕をあり得ない方向へへし折った。
骨が砕ける生々しい音が、ギルド前の広場に響く。
「ギャアアアアアッ!?」
大男は白目を剥き、口から泡を吹いた。激痛に顔を歪め、絶叫しながらその場に崩れ落ちる。
残りの二人が慌てて武器を抜こうとした。だが、ヴォルが冷たい目で見ただけで、二人は恐怖に固まった。
「……まだやるか?」
「ヒィッ!?」
二人は腰を抜かした。そして、泡を吹いて気絶した大男を両脇から引きずり、土煙を上げながら逃げ出す。
「お、おぼえてろよォ!!」
典型的な捨て台詞を聞き流し、ヴォルは殺気を収めた。
いつもの余裕ある表情に戻り、ふぅ、と息を吐いて首を鳴らす。
「やれやれ。どこの世界にも、ああいう手合いはいるもんだな」
逃げていく冒険者たちとヴォルを交互に見ていたネネが、静かに隣へ並んだ。フードの奥から、少しだけヴォルの顔を覗き込む。
「ほう。……私は、貴殿の女だったのだな?」
ネネの口元が、ふっと上がった。
からかうような微笑み。普段の無表情からは想像できない、悪戯っぽく魅力的な笑顔だった。
「……っ」
予想外の笑顔とからかいに、ヴォルは雷に打たれたように固まった。
心臓が大きく跳ねる。
大人の余裕は完全に崩れ、顔がわずかに赤くなった。ヴォルは気まずそうに視線を逸らす。
「な、違……っ! ああいう手合いを一番手っ取り早く追い払うための、ただの『建前』だ!」
必死に照れ隠しをするヴォル。その反応を楽しむように、ネネはクスクスと小さく笑った。
「ふふ……冗談だ。助かったよ、ヴォル」
和やかな空気が流れる。
だがすぐに、ヴォルは照れを引っ込めて真剣な顔になった。
「……ネネ。少し無茶なやり方をするが、これからダンジョンでのレベル上げに付き合ってくれ」
自分の力がまだ足りないことを、ヴォルは冷静に理解していた。その手を、強く握りしめる。
「この世界には、まだ俺より強い奴がいくらでもいる。このままじゃ確実に生き残れない」
ヴォルの冷静な判断に、ネネは少し驚いたようだった。だが、すぐに頼もしそうに頷く。
「……己の立ち位置を正確に把握しているのだな。いいだろう、付き合うぞ」




