第11話「人族の制限と、邪教の影」
深夜。
森を抜けた二人の前に、見上げるほど巨大な壁がそびえ立っていた。
ルワール王国の国境を守る、強固な防壁だ。
壁の上には多くの兵士が配置され、松明の光が等間隔に並んでいる。
警備はかなり厳しい。
物陰に身を隠しながら、ネネが小声で言った。
「正面の門から入れば確実に入国記録が残り、足がつく。壁を越えるが、生憎私の隠密魔法は一人用でな。何か良い方法はあるか?」
「俺に任せろ。出来るだけ音は出さないようにだけ気を付けてくれ」
ヴォルは自信ありげに指を鳴らした。
そして、【闇魔法】を発動する。
二人の姿が闇に包まれ、夜の景色に溶け込むように薄れていった。
影に紛れた二人は、ほとんど垂直に近い壁を音もなく駆け上がる。
壁の頂上では、見張りの兵士がすぐ近くにいた。
だが、兵士は二人の存在にまったく気づかない。
二人はその背後を通り抜け、王国内側の暗がりへ軽やかに着地した。
それから軽い休息を挟みながら、夜通し歩き続けた。
視界が開けた頃には、すでに昼前になっていた。
丘を下りながら、遠くに見える街を見据える。
ネネは目立たないように、マントのフードを深く被り直した。
「なぁネネ。この世界の『強い奴』は、大体どれくらいのLvなんだ?」
歩きながら、ヴォルが情報を引き出す。
「魔族は比較的Lvが高い者が多いな。長命種ということもあって、100Lv超えも珍しくない」
フードの奥から、ネネが淡々と答えた。
「だが、人族はそもそもLvが上がりにくく、鍛え抜かれた者でも50Lv前後だ。100Lvを超えるのは、『異能』や『成長加速』系の特別な恩恵持ちくらいだと聞いている」
ヴォルは顎に手を当て、怪訝な顔をする。
「上がりにくい……? なぜだ。鍛錬に差があるならともかく、種族全体に『見えない上限』のようなものがあるのは不自然じゃないか?」
ネネは少し遠くを見るような目をした。
そして、自分が仕える魔王から聞いた話を語る。
「かつて魔王様は、こう推察されていた。人族は他種族に比べ、異常なほど繁殖力が高く、圧倒的に数が多いと。その上で個々の力まで天井知らずになれば、世界の均衡が崩れる。ゆえに、神が意図的に人族の成長に制限をかけているのではないかと」
(……数の暴力と引き換えに、個の質が制限されたシステムか)
ヴォルは、自分の現状を冷静に分析する。
そのオッドアイに、強い焦りがにじんだ。
(俺は複利の力でその制限を突破しかけている。だが、一週間でLv82になった俺と、Lv212のネネの圧倒的な強さの差。強くなった気でいたが、勘違いだった。ネネの戦いを見てわかった。教会を相手取るにも、魔王との交渉材料にするにも、今の俺ではまだ力が足りない)
ヴォルの焦りを察したのか、少し前を歩いていたネネが立ち止まった。
歴戦の強者として、静かにヴォルを見る。
「……だがヴォル。戦いはLvが高い方が確実に勝つというものではない」
ネネは静かに続けた。
「ステータスの差は絶対的な有利を生む。だが、それだけで勝敗が完全に決まるほど、命のやり取りは単純ではないからな。戦術、地形、心理……あらゆる要素が絡み合う」
「ああ、分かってる。だが、今後の強敵との戦いを考えれば、基礎的なLv自体は高いに越したことはない」
ネネの忠告を理解したうえで、ヴォルはまっすぐ前を見た。
「だからネネ、街に入ったら『ダンジョン』に行かせてくれないか? 魔族領へ向かう前に、少しでも確実にレベルを底上げしておきたい」
「……わかった。魔族の私は目立つからな。街での行動はヴォルが主導しろ」
二人は、活気ある街の市場へ足を踏み入れた。
【ルワール王国 辺境の街『サルファン』】
商人たちの威勢のいい声。
冒険者たちの荒っぽいやり取り。
街の中には、にぎやかな喧騒が広がっていた。
その中で、ヴォルは油断なく周囲を観察する。
(まずは、この街の調査だな。【鑑定】)
息をするように自然に、ヴォルは群衆へ鑑定を使った。
すれ違う人々の頭上に、次々とステータスウィンドウが浮かび上がる。
(すれ違う冒険者の平均レベルは10〜20台ってとこか。教会関係者も今のところ見当たらないな)
街の中心に、ひときわ大きな建物があった。
入口には、ギルドの看板が掲げられている。
それを見つけ、ヴォルはニヤリと笑った。
「見つけたぜ。まずはあそこで、美味い『ダンジョン』の情報を仕入れるとしよう」
*
ルワール王国の明るく活気ある街から一転。
地の底深くに、巨大な地下神殿があった。
光の届かないその場所は、教会と相反する『邪神ラフィストス』復活を目論む邪教の拠点である。
空気は重く、黒い気配が漂っていた。
祭壇の最奥。
フード付きのローブで顔を隠した教祖が、玉座で頬杖をついている。
その周囲には、ただならぬ気配をまとった五人の幹部たちが、静かに控えていた。
教祖の前で、密偵が片膝をつき、地上の情報を報告する。
「教祖様。聖地ティティーリアにて『勇者』の降臨を確認。しかし……勇者は教会の包囲を抜け、逃亡したとのことです」
予想外の報告に、幹部の一人であるレイモンドが、歪んだ笑みを浮かべた。
そして、玉座に座る教祖の口元も、喜びを抑えきれないように三日月形へ歪んでいく。
「……逃げただと? あの唾棄すべき教会が、百年に一度の要となる生贄を、取り逃がしたというのか?」
教祖が、玉座から立ち上がった。
その全身から吹き出した濃い闇の魔力が、神殿全体をビリビリと震わせる。
「ククッ……ハハハハッ!! 傑作だ! 一般の愚民どもは知らぬだろうが、奴らが四百年もの間、血塗られた儀式で紡いできた鉄壁のサイクルが……今、崩れたのだ!」
教祖が腕を振り上げる。
幹部たちは一斉に深く頭を下げた。
「邪神の復活を阻む絶対の要。それが祭壇に捧げられる前に我々の手で破壊されれば、教会の忌まわしき封印の根幹は完全に消滅する!」
教祖は右手を前へ出し、命令を下した。
「教会の犬どもより先に勇者を見つけ出し――確実に、殺せ」
避けられない衝突と絶望をはらんだ命令が、地の底に響き渡った。




