第六話
女王ラズィーヤの華々しい戴冠式。土地の半分を砂漠に覆われた砂漠の民が沸き立ち、国中が祝祭に包まれたあの歴史的瞬間から、まだ一か月しか経っていない。本来ならば、新体制の発足を祝う余韻と緩やかな祝賀ムードが王宮を包んでいるはずの時期なのだ。
それなのに、中央政府の心臓部たる宰相執務室だけは、まるで戦場そのものだった。
「おい、水利権の係争案件、第四部族の領地境界に関する過去三年分の基礎情報を揃えろ!」
「無茶を言うな!こっち案件同時に五つ抱えてやってんだよ!?」
「泣き言を言う暇があるなら手を動かせ」
「いやー!!」
「あ!!この書類期限一昨日じゃねえか、財務部にカチコミいってくらあ!!」
「シャムシールは置いていけ」
飛び交う怒号、凄まじい勢いで運ばれていく書類の束。現代の副首相秘書官クラスに相当する五名の優秀な補佐官たちは、寝不足で充血した目を擦りながら徹夜の作業に没頭していた。
そんな地獄のような空間の片隅で、一人の若い補佐官が手元の膨大な引継ぎ資料を見つめたまま、がっくりと肩を落として呟いた。
「俺たちの陛下って、たった一か月前に戴冠式終えたばかりですよね!?」
その言葉は、全補佐官の思いを代弁する悲痛な叫びだった。
「お前それを言うな……」
もう一人の補佐官が、乾いた笑いを浮かべて書類を束ねる。
「戴冠式の一週間後に、宰相が女王から直々に求婚されて、そのまた三週間後に『じゃ、あとは頼む』って引継ぎ表を置いて消える国なんて、世界のどこにあるんだよ……」
「ハサン様にとっては、国家の最高位の婚姻も命の水(水利権)を整えることも、すべて同じ『業務』なんだろうな。あの鉄のメンタル分けてほしい」
筆頭補佐官が、背後から音もなく現れて彼らの書類をひったくった。
「雑談の時間は終わりだ。ハサン様が馬を飛ばして実家に向かわれてから、すでに三日が経過している。ハサン様の予測通りなら、あと二日で王家からの正式書簡が第三部族へ届き、あちらは大パニックになるはずだ。我々がここで滞れば民の生活が止まる。ーー動け」
「「「「「……っはい!」」」」」
三日前、引継ぎを三週間で無理やり終わらせて女王に暇乞いをしたハサン。文字通り嵐のように去っていくハサンの背中を見送りながら、ラズィーヤはこめかみを指で押さえた。あまりの想定外だった。彼女は最短で三か月、長くて半年で引継ぎを行うようハサンに指示していた。なのに、これだ。
彼女の後ろに筆頭補佐官を筆頭に、魂の抜けたような顔をしたエリート部下たちが並んでいた。
彼らもまた、ラズィーヤと同じ気持ちだった。
ちなみに、これがハサンなりの動揺だったのだが、ハサンの親族以外誰も気づいていない。




