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ハジャルの祈り  作者: ちよ【kindleペンネーム:白井ちよ】


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7/7

第七話

 夜明けの風を切り裂くように、一羽の伝令鳥が三部族の集落へ舞い降りた。

 朝靄の残る集落を眼下に、一直線に向かった先は族長の屋敷である。庭先へ舞い降りた鳥は、慣れた様子で止まり木へと翼をたたんだ。


「おや」


 手元を止めた初老の男性は、鳥の足に結ばれた小さな筒を手際よく外す。ハサンの養父である。

 筒から取り出した紙片の封蝋を目にし、深く刻まれた眉を小さく跳ね上げた。


「ハサンだ」


 押されていたのは、王都へ送り出した養子だけが用いる私印であった。


「珍しいねぇ」


 ぽつりと呟き、指先で丁寧に封を切る。広げた便箋に躍るのは、几帳面で隙のない、見慣れた息子の筆致だった。


 養父殿

 急ぎご報告申し上げます。

 昨日、陛下より王配にご指名を賜りました。

 正式な返答は、家長ならびに一族と相談の上でお返ししたく、猶予を頂戴しております。

 数日中に帰郷いたします。

 なお、王家より正式な使者ならびに書簡が届く予定です。

 お迎えのご準備をお願い申し上げます。

 ハサン


 養父は最後まで目を通すと、無言のまま最初の行へ視線を戻した。もう一度読む。さらにもう一度、噛み締めるように読む。裏に何か追記でもないかと返してみるが、白紙のままだ。再び表へと戻し、そのまま固まる。


「……母さん」


 低く呼ぶ声に応え、台所の奥から養母がひょっこりと顔をのぞかせた。


「どうしました、旦那様」


 養父は便箋から目を離さぬまま、乾いた声で応じる。


「落ち着いて聞いてくれ」

「はい?」

「ハーちゃんがな」


 静寂の中、一拍の溜めを置いて言葉を紡ぐ。


「陛下のお婿さんになるらしい」

「…………はい?」


 静けさに満ちた朝の空気が、何事もなかったかのようにふたりの間を流れていた。一瞬の静寂の後、養母は手にした布巾をそのままに、パンと軽快に手を叩いた。


「まあ! 国のいちばん偉いお方のお相手だなんて、あの子ったら大出世じゃありませんか」

「母さん、感心してる場合じゃないぞ。王配だよ、 あの固くて生真面目なハサンが。宰相に任命された時だって大変だったのに……。また、胃薬送った方がいいなあ」


 風通しの良い頭をポリポリ搔き始めた族長に、養母は朗らかに微笑むばかりだ。


 そこへ、朝の騒がしさを纏って長男一家が顔を出した。幼い孫たちが「じいじ!」「ばあば!」と庭から駆け込んできて、父の膝にしがみつく。普段なら破顔して「お前たちは今日も砂漠の太陽より眩しいなぁ!」と孫を抱き上げるはずの父が、困り顔で明後日の方向を見つめているのを見て、長男は怪訝そうに眉をひそめた。


「どうしたんだよ親父、朝からそんな干し肉みたいな顔して。水場の利権争いでも起きたか?」

「……違う。これを見なさい」


 父から手渡された紙片に目を通した長男は、二度見どころか三度見し、盛大に吹き出した。


「ははっ! ハサンの奴、王都で何やってんだよ! 『ご指名を賜りました』って、相変わらず砂漠の風も固まるような文章だな!」

「笑い事じゃないってば」


 父は膝の上の孫を慈しむように撫でつつも、血相を変えて立ち上がった。


「ハサンは昔から苦労を自分ひとりで背負い込む癖があるんだ。息子としてうちに引き取られてからもずっと遠慮して……。 王都の腹黒い貴族どもに利用されてるんじゃないだろうな?」

「親バカの限界突破だな……あいつのあの鉄壁の塩対応を突破して利用できる奴がいたら、逆に見てみたいわ」


 長男は呆れつつも顎を擦り、少し真面目な顔になった。


「で、 王家から使者が来るんだろ。三部族を束ねる長としてどう迎えるつもりだ?」

「どうするもね。族長としてじゃなく、ハサンの『親』として、その使者とやらを限界まで吟味しなきゃ。……もしハサンを泣かせるような話なら、例え王家の全権大使だろうがオアシスの外まで蹴り飛ばしてやる」

「旦那様、それならお祝いのご馳走の準備もしないとですね。あの子が好きだったナツメヤシと羊乳の甘い粥、たくさん炊いておきましょうねぇ」

「母さん、王家の使者に最初に出すのが甘い粥はちょっと……。」


ズレたところでふわふわと張り切る母と、息子のために腕をまくり上げる親バカな父。長男は天を仰ぎ、「ハサン、頼むから早く帰ってきてこの二人をどうにかしてくれ……」と大きな溜息をついた。


 



 さて、いきなり王家の使者が訪問するとなり、気が気ではない者が居た。


「お義母様、王家からの使者様方をお迎えするとなると……おもてなしのお料理はどういたしましょう? 集落の蓄えだけでは足りないかもしれません」


 長男の嫁が、控えめながらも引き締まった面持ちで尋ねてきた。


 はそれまでの柔和な表情を削ぎ落とし、三部族を裏で束ねる族長屋敷の大幕の女主人としての気迫を宿す。


「案ずることはありません。伝令鳥が今朝ついたなら、あの子が帰ってくるのは早くても四日後。王家の使者まで来るなら、五日は見ておけばいいでしょう。ええ、十分すぎる猶予があります」


 一拍置き、養母は手さばきも鮮やかに指を折りながら、もてなしの構想を朗々と語り始めた。


「まずは我が部族が誇る最高のご馳走、若羊を丸ごと一頭煮込むマンサフを用意します。干し羊乳ジャミードを溶かした濃厚な酸味のスープで骨から肉が解れるまでじっくり煮込み、黄金色のサフランとカーダモンで香りを付けた大皿の米の上に、ドッサリと乗せるのです。それから、ハサンが大好きな干しナツメヤシと羊乳の甘い粥、フレッシュチーズと刻んだミントを薄皮で包んで揚げるサムサ。肉料理には、スパイスと野草で臭みを消した砂漠うさぎの煮込みを添えましょう。王都の使者様方には、我が家に伝わる極上の熟成ラクダ乳酒を振る舞い、砂漠の洗礼を受けてもらいますよ」

「……圧巻の献立ですね。それほどの大宴、すぐに取りかからねばとても間に合いません」


 喉を鳴らす長男の嫁に力強く頷き、養母はすぐさま庭に控えていた屋敷の使用人たちへ、威厳に満ちた声で矢継ぎ早の指示を飛ばし始めた。


「さあ、お前たち、砂漠の風よりも速く動きなさい! 中庭の宴席用に、奥蔵から一番上等な赤と金の絨毯をすべて切り出してお敷き。砂嵐の払いとして大型の天幕を三幕、寸分の狂いもなく張り巡らせるのです。真鍮の香炉には、惜しみなく最高級の乳香と沈香を用意なさい。夜の砂漠は骨まで冷えます。火鉢にくべる椰子の殻炭も、山のように積み上げておくのですよ」

「はい、奥様」


 テキパキと動く使用人たちの背中を見送りながら、養母はすさまず外の回廊に待機していた若き伝令へと視線を向けた。


「そこの若い者、 馬を飛ばして三部族の各集落へ走りなさい!」


 養母の声が、静まり返っていた中庭を突き抜ける。


「『四日後の陽が落ちるまでに、各家から一番大きな銅鍋を持ち寄り、村中のパン焼き窯に火を点けよ』と伝えるのです。香辛料の擂り鉢を叩き、乾燥ミントとタイムを擦り潰し、発酵させた大麦生地の仕込みを急がせなさい。手際の良い女手を集め、屋敷へ寄越すように」


「はっ、直ちに」


 伝令の若者が駆け去ると、養母は長男の元へ歩み寄った。その肩を、手加減なしにバシンと叩く。


「何を呆けているのです、長男でしょう! 男衆をまとめて、すぐに大砂丘の裏手へ出立しなさい。引き締まった肉を持つ大角羊を三頭、それから猟犬を連れて砂漠うさぎを狩ってくるのです。我が一族のハサンを迎え、王家の使者を叩きのめす宴に、古びた蓄えの肉など出せるものですか!」

「お、おう、そうだな」

「それだけではありませんよ。宴の天幕を支える頑丈な椰子の太丸太と、一晩中赤々と燃え続ける乾いたナツメヤシの薪を、山のように集めてきなさい。男たちの腕の見せ所です、遅れを取りなさんな!」

「 すぐに行ってきます!」


 腹の底から父親譲りの怒鳴り声を上げ、長男は村の男衆を呼ぶ角笛を吹き鳴らしながら飛び出していった。


 その声を合図に、静寂に包まれていた族長屋敷の敷地が一変する。合流した男たちが駆け交い、資材を運び出す重い足音が響き渡る。静かだった朝の庭は、三部族の血を滾らせる怒涛の熱気と活気で満たされていった。


 目まぐるしく変化する光景に圧倒され、ただ立ち尽くしていた長男の嫁。ふっと目を細め、どこか悪戯っぽく嫁を見つめる。


「いいですか、よくお聞きなさい」


 養母の声は低く、砂漠の地鳴りのように静かな力強さを帯びていた。


「この厳しい砂を生き抜く私たちにとって、遠方からの客人を迎える宴は、単に腹を満たしてやるためのものではありませんのよ。どれほど厳しい乾きの中にあろうと、我らには人を慈しみ、養う力がある――それを示す『矜持と豊かさ』の儀式なのです」


 長男の嫁は息を呑み、背すじを伸ばして養母の言葉を一字一句噛み締めた。


「相手が王家の全権大使であろうと、名もなき旅人であろうと関係ありません。どれほど突然の報せであろうと動揺の一片も見せず、枯れることのない湧き水と、極上の肉、そして高貴な香で満たして送り出す。これこそが、この酷薄な大地で何世代も命を繋いできた三部族の女主人の誇りであり、誓いなのよ」


 そこまで語ると、養母の瞳から鋭い気迫がふっと抜け、柔らかく温かい光が宿った。


「それにね……あんなに生真面目で、自分の痛みを口にしないあの子のことです。『王配』なんていう果てしない重荷を背負わされて、どれほど心をすり減らしていることか。……だからこそ、帰ってきた時に『ここがあなたの家だ』と誇れる場所で迎えたいじゃありませんか。腹いっぱいの故郷の味と、このやかましい熱気で、あの子の肩の荷を少しでも軽くしてあげたいわ」

「……私、目前の大役に竦んでおりました。ですが、もう大丈夫です。私もこの家の女として、義弟のために最高の宴を作り上げてみせます!」

「なんと、頼もしいこと。ええ、お願いね」

インスタグラム大好きな主婦です。中東の奥様方の投稿動画でものすごい料理が数多くありまして、果物はいっぱい、肉料理もいっぱい、パンも飲み物も甘いデザートもテーブルや絨毯に所狭しと置かれていくのは、圧巻です。羊肉はジンギスカンで一度食べたことがあります、美味しかったです。中東・アジアの世界観がごっちゃになっていますが異世界中東風の世界観のため好きな所を混ぜて炊きこみました。

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