0054. 初ダンジョンは人が多すぎます(様子見撤退)
若菜さんの熱烈な――というか、もはや脅迫に近いプッシュに負け、私は北門から少し歩いた草原と森の境目へとやってきた。
そこには、最近発見されたばかりだという、地下へ潜るタイプの遺跡『水響の古跡』の入り口がポッカリと口を開けていた。
「修行だなんて、私には似合わないと思うんだけど……。ねぇ、狐火ちゃん、せめて最初のフロアだけでもチラッと見て帰りましょうか」
「クゥーン(……気が進まないな)」
狐火ちゃんも、私の腕の中でどこか憂鬱そうに鳴いている。
ギルドが設置した簡易受付所を通り抜け、地下へと続くひんやりとした石造りの階段を降りる。長い回廊を抜けると、そこには神秘的な地下遺跡の大きな広間が広がっていた。……けれど。
(BGM:『殺伐とした前線基地 〜重厚なオーケストラ〜』開始)
※地鳴りのようなティンパニの轟音と、低く唸る重厚な金管楽器が織りなす、極めてシリアスで軍事的なオーケストラ楽曲。血眼になってダンジョン攻略に挑む最前線プレイヤー(ガチ勢)たちのピリついた殺気と、戦場特有の息を呑むような極限の緊張感を表現している。お散歩気分の琴音が「あ、これ私がいちゃいけない場所だ」と即座に踵を返すほどの、圧倒的な音の圧力を持った戦闘前のBGM。
「……何、これ。ここ、戦場?」
本来なら静寂と神秘に包まれているはずの遺跡の広間は、いまや異邦人たちの「最前線基地」と化していた。
地下への通路を前に、ゴツゴツとした重装備を整えるガチ勢の方々がひしめき合い、空間に漂っているのはピリピリとした「効率」と「殺気」が混ざり合った、どす黒いオーラだ。
「おい、三番隊! バフの更新が遅れてるぞ! 次の湧き《リポップ》まであと15秒だ、絶対に持ち場を離れるな!」
「ヒーラーのMP効率が悪すぎる! これじゃポーション代で時給換算が赤字だぞ! 無駄な被弾を減らせ!」
通路から戻ってきたばかりの血走った目のパーティや、これから潜る連中が、まるでブラック企業で過酷なノルマをこなすような顔で怒鳴り合っている。
そんな中、のんびりした和服姿でモフモフの狐を抱いた私がぽつんと立っていると、周囲の殺伐とした視線が一斉に突き刺さった。
「……あ? なんだあの女。観光客か?」
「初期装備の和服に、愛玩ペット連れ? おいおい、初心者がこんな『効率狩場』に紛れ込むなんて、ただの邪魔だぞ。さっさと帰れよ」
「遊びじゃねぇんだよこっちは。タゲ(標的)が乱れるから引っ込んでろ」
【System Analysis:Hardcore Toxicity(ガチ勢特有の毒素・殺伐オーラを検知しました)】
【Kotone's Comfort Level:-999%(琴音の快適度:限界突破のマイナス)】
【Status:Unfit for Slow Life(警告:スローライフ完全不適合エリアです)】
(……あ、これ、絶対に関わっちゃいけないやつだわ)
「ごめんなさい、狐火ちゃん。私が間違ってたわ。ここはのんびり修行する場所じゃない……ここは『時給と効率という名の悪魔』に魂を売った悲しき人たちの仕事場よ!」
「クゥッ(……同感だ。空気が悪くて毛並みが傷む)」
狐火ちゃんも、鋭い棘のようなガチ装備をしたプレイヤーたちを見て、自慢の黄金の毛並みを守るように身を小さく縮めている。
私の最大の目的は、狐火ちゃんと一緒にのんびりモフモフして暮らすことだ。
あんな殺伐とした場所に入って、「時給」だの「効率」だの言われながら追い立てられたら、私のメンタルどころか狐火ちゃんの美しい毛並みまでストレスでパサパサになってしまう。
「若菜さんには悪いけど……無理! 絶対無理! 即時撤退よ、狐火ちゃん!」
私はダンジョンの最初の広間を拝んだだけで、光の速さで見事なUターン(回れ右)をキメた。
背後で「……逃げたか」「賢明な判断だな、素人は」「あんな装備じゃ最初のスライムで死ぬぜ」という嘲笑が聞こえた気がした。
(あんな殺気立った人たちの中に、一生懸命作ったピカピカのお揃いブレスレットや、世界一可愛い狐火ちゃんを連れて行ったら、泥や汗で汚れちゃうかもしれないし、何より『そんな派手な格好でウロチョロするな!』って絶対に怒鳴られるわ!)
私なりの立派な「事勿れ主義(トラブル回避)」である。
もちろん、ガチ勢の彼らが「すぐ死ぬ邪魔なペット」と嘲笑った狐火ちゃんが、本気を出せばこのダンジョンを階層ごと物理的に消し飛ばせる上位神格だということなど、彼らも、そして飼い主の琴音自身も知る由もない。
「修行なんてしなくても、街の周辺でのんびりお花やハーブを摘んでいる方が百万倍マシだわ……。ねぇ狐火ちゃん、美味しいおやつでも食べて、今の嫌な空気をリセットしましょう?」
「クゥーン!(大賛成!)」
私は、二度とあんな「お仕事モード」のダンジョンには近づかないと心に固く誓いながら、逃げるように地上へと戻るのだった。
こうして、若菜さんが必死にセッティングした私の『初ダンジョン挑戦』は、地下一階の広間を見ただけで、文字通り「秒」で終了したのである。




