0042. 閑話:【ルンド】アッタの森の怪異〜ヒュッテ・ルンドの主人は震えが止まらない〜
俺の名はルンド。アッタの森(※通称・北の森)の入り口で、狩人や冒険者のための休憩所「ヒュッテ・ルンド」を営んで三十年になる。
この森は一見のどかだが、少し奥に入れば恐ろしい。ウサギに擬態して人を喰らう凶悪な『白変種ミミックラビット』や、物理攻撃が通じないスライムの群れ……。俺はこれまで、何人ものうぬぼれた若き冒険者たちが真っ青な顔で逃げ帰ってくるのを見てきた。
だから、一時間ほど前。
一人ののほほんとした和服姿の娘が、ちんまりとした子狐を連れて「川遊びに行ってきます」と笑って通り過ぎようとした時、俺は必死に止めたんだ。
「お嬢ちゃん、よせ! あの先には凶悪な白変種のミミックラビットが出たって噂だ。ありゃあ一噛みで人間の腕を食いちぎる化け物なんだぞ!」
だが、彼女は「うふふ、ありがとうございます。気をつけてモフモフしてきますね」なんて、完全に会話が成立していない狂人のようなことを言って行ってしまった。
……ああ、また若き犠牲者が増える。
俺はそう思って、彼女の冥福を祈りながらカウンターで酒瓶を磨いていたんだ。
ところがだ。
(BGM:『忍び寄る恐怖 〜心臓の鼓動のような低音〜』開始)
※時計の秒針が刻む音と、重苦しいインダストリアルなノイズが地を這うように響く 。プロローグの「ブラック企業」を彷彿とさせるダークな空気感が、平和なはずの森を「逃げ場のない監獄」へと変貌させる恐怖の旋律
「ただいま戻りましたー! ルンドさん、これ、心配してくれたお礼のお裾分けです!」
一時間もしないうちに、その娘――琴音が、楽しそうな鼻歌混じりに戻ってきた。
返り血一つ浴びていない。それどころか、彼女の周囲にはキラキラとした……そう、まるで神の後光のような異常な魔力粒子が舞っている。
「……お、お嬢ちゃん、無事だったのか!? ミミックラビットには会わなかったのか!?」
俺がカウンターから身を乗り出して詰め寄ると、彼女は屈託のない笑顔でインベントリから「それ」を取り出した。
「会いましたよ! とっても可愛いウサギさんでした。ちょっと毛並みが荒れていたので、私が持っている銀の櫛でブラッシングしてあげたら、気持ちよさそうに寝ちゃって。これ、その子が落とした(?)毛の束です。お店のクッションにいいかなと思って」
「………………は?」
彼女が差し出したのは、真っ白な、そして聖なる光を放つ毛束。
……三十年鍛えた俺の鑑定眼が告げている。間違いない、白変種ミミックラビットの『極上原毛』だ。
あれは、剣や魔法で強引に討伐した時ではなく、対象が「完全に心を開いて自ら毛を差し出した時」にしか手に入らないという伝説の素材のはず。……それを、人喰いウサギを相手にブラッシングで!?
だが、本当の恐怖はそこからだった。
「あと、川で狐火ちゃんがスライムさんと遊んでいたら、こんな綺麗な石が取れたんです。ピカピカしてて素敵だったので、ルンドさんのお店に飾ってください!」
彼女がカウンターにゴトンと置いたのは、拳大の、虹色に透き通ったクリスタルだった。
(BGM:『演算不能の情熱 〜絶望の静寂バージョン〜』開始)
BGM:『演算不能の情熱〜高速お手玉バージョン〜』のコミカルな木琴の連打が、極端なスローテンポと不気味な音の歪み(ピッチベンド)によって呪詛のように変貌する 。システムの限界を超えた「白変種ウサギの昇天」を目撃したルンドの、理解を絶した絶望と正気(SAN値)の崩壊を促す。
「…………な……っ、な、なななな……ッ!!」
声が出なかった。膝の震えが止まらない。
俺の持つ鑑定眼スキルが、その石から放たれる圧倒的なプレッシャーの前に悲鳴を上げている。アイテムのランクや詳細なんてチャチな文字は表示されず、ただ本能が「これに関わるな」と警鐘を鳴らしていた。
(……間違いない。昔、王都のギルドマスターが酔いどれ話で語っていた神話の産物だ。最下級のスライムが、上位の神獣クラスの干渉を直接受け、概念レベルで極限まで魔力を圧縮された果てに生まれるという奇跡の石……『虹晶スライムの神核』!)
「こ……これ、スライムと『遊んだ』だけで取れたのか……?」
「はい! 狐火ちゃんが九本の尻尾で器用にお手玉してたら、空中でピカッと光ってこれになっちゃったんです。不思議ですよねぇ」
「クゥ(……まぁ、そんなもんだ)」
娘の腕の中で、九本の尻尾をゆらりと揺らした子狐と目が合った。
その瞬間、俺は理解した。
この娘が連れているのは、ただの愛玩用の子狐などではない。この森の生態系を、たった一匹の「お手玉」一つで書き換えてしまうような、とてつもない『神域の化け物』だ。
そして、それを「可愛い」の一言で従え、凶悪な人喰いウサギをブラッシングで陥落させるこの娘こそが、このアッタの森で最も出会ってはいけない『真の怪異』なのだと。
「……あ、あの、ルンドさん? 顔色が真っ青ですよ?」
「い、いや……なんでもねぇ。……お嬢ちゃん、お願いだ。それを持って、早く街へ……ギルドの若菜さんのところへ行ってくれ。俺の店じゃ、そいつ(神話級コア)を置いておくだけで、周囲の魔素が狂って商売ができなくなる……ッ!」
「えぇっ!? せっかくのプレゼントなのに……。分かりました、じゃあギルドに持って行きますね!」
琴音は残念そうに肩を落とすと、再び「虹色の太陽(という名の爆弾)」を懐にしまい、鼻歌を歌いながら街へと去っていった。
彼女の背中が見えなくなった後、俺は店の入り口に『本日廃業』の札を出した。
……無理だ。あんな神話級のオーパーツを「綺麗だから飾って」と無造作に渡してくるような化け物を見た後に、平然と客相手にボアープの肉なんて焼いてられるか。
「アッタの森の怪異……。……いや、ありゃあ『歩く天災(世界規模)』だ……」
俺は震える手で独り言をこぼし、三十年続いたヒュッテ・ルンドのシャッターを、静かに下ろしたのだった。




