0037. 普通には始まらないのは何かの補正か
(……あ、またあの時の声)
アンネさんと作った虹色の『高濃度浄化溶媒』。その最後の一滴が、魔法炉の中で赤熱する古銀へとポトリと落ちた、その瞬間のことだった。
チリン、と。
まるで天上の鐘を鳴らしたかのような、清らかで澄んだ音が工房内に響き渡った。
次の瞬間、私の視界は圧倒的に温かく、神々しいほどの光の奔流に完全に塗りつぶされた。
魔法炉で荒れ狂っていた青白い炎は瞬時にかき消され、代わりに淡い桜色と七色のオーロラが混ざり合ったような、優しくも凄まじい光の渦が工房全体を包み込む。超高温だったはずの炉の熱気は嘘のように消え去り、陽だまりのようなぽかぽかとした空気が満ちていった。
図書室で読んだ初心者向けガイド本によれば、魔導具製作の開始時には、プレイヤーの目の前にシステムの補助による『青い光』が発生し、一定の成功率に基づいた『工程表』が表示されるはずなのだ。……しかし。
私の視界の中央にポップアップしたはずのその半透明なウィンドウは、表示された直後に凄まじい紫色のノイズを走らせ、(ピキィィンッ!)とガラスが割れるような音を立てて一瞬で消し飛んだ。
(BGM:『【警告】魔素共振現象・UI崩壊エラー』開始)
※サイバーなバグ音の直後、唐突に「アーメン…」と無駄に壮大な天使のコーラス(賛美歌)が鳴り響く神聖なギャグBGM。システムが琴音の「愛着」を拒絶できず、強制的に神話級の事象へ書き換えられていく様子を象徴する楽曲。
代わりに、視界の端で見たこともない深紅のエラー文字列が滝のように乱舞し始める。
そして、狐火ちゃんと出会った時に聞いた無機質な音声に続いて、システムメッセージがかつてないほどの勢いで警告のログを流し始めた。
【System Log:Production Process Interfered(生産工程への極度な干渉を検知)】
【Warning:Compatibility measurement failed.(警告:素材親和性の計測不能)】
【Reason:Affection Overflow(原因:テイマーの『愛着』のオーバーフロー)】
【現在の親和性は計測上限の999%を超過。これより、システムによる強制的な『運命補正(神話級フルオートマチック)』が適用されます】
(……また『愛着』のオーバーフロー? 警告って出てるけど、なんだかすごく心地いいわ。この古銀たちが、狐火ちゃんの一部になりたがってるのがビンビン伝わってくるみたい)
「な……!? 何だこの光は! 魔法炉の炎が『虹色の奔流』に飲み込まれてかき消されただと!? お嬢ちゃん、お前、一体どんな神の加護を受けてやがるんだ!」
光の外側から、顔を分厚い腕で覆いながら絶叫するバルガスさんの声が聞こえる。
Wikiに載ってた八百幻の製作システムなら、ここでタイミングを合わせて魔力を調整したり、指定されたポイントに魔力を注ぎ込んだりする『ミニゲーム的な作業』がプレイヤーに課されるはずだ。
けれど、私にはそんな必要は一切なかった。
私が「狐火ちゃんに一番似合いますように」「最高にフワフワで、ずっと快適にいられますように」と、ただただ頭の中で愛しいモフモフの姿を思い描いて願うだけで、虹色の光が勝手に最適解を導き出していくのだ。
「おいおいおい……! 冗談じゃねぇぞ! 俺はまだ、ただの一回も金槌を振るっちゃいねぇんだぞ!?」
バルガスさんが、信じられないものを見る目で魔法炉の中を凝視し、金槌を取り落とした。
ガラン、と重い金属音が響くが、今の私にはそれすら遠く聞こえる。
「銀が……古銀が、まるで意志を持ったスライムみたいに自ら形を変えて、最高純度の翡翠魔石を自ら包み込むように飲み込みやがった! 普通は魔力反発で吹き飛ぶもんなんだぞ、このランクの素材同士は! 火力調整も、叩きによる不純物排除もなしで、なんで水と酒みたいに完璧に混ざり合ってやがるんだ!!」
バルガスさんは頭を抱えたまま、呆然と立ち尽くしていた。
彼が今まで数十年という歳月をかけて、血のにじむような努力で磨き上げてきたドワーフ職人としての「常識」や、「この世界の絶対的な物理法則」が。
目の前で微笑んでいるゆるふわ和服お姉さんの、「愛着(モフモフへの異常な執念)」という名の暴力によって、音を立てて木っ端微塵に崩壊していく。
「お嬢ちゃん……お前、もしかして神話に名を残す『聖女』の生まれ変わりか何かか!? それとも、人間に化けて遊びに来た上位精霊か!?」
「えっ? そんな大層なものじゃありませんよ。ただの初心者です! でも、狐火ちゃんが大好きっていう気持ちなら、この世界の誰にも負けない自信はありますけど!」
私が光の中でニコニコと胸を張って答える横で、虹色の奔流はさらに神々しい輝きを増していく。
指輪、ネックレス、ブレスレット、ピアス、銀の櫛、そして勾玉。
6つのアイテムは、職人の手すら一切借りることなく、空中にふわりと浮かび上がった。
そして、神代の文字のような複雑怪奇な魔法陣が空中で何重にも展開され、森の主から貰った『王の雫(定着液)』が光の糸となって、それぞれのアイテムを完璧なネットワークで繋ぎ止めていく。
普通には始まらない、どころではない。
ゲームシステムそのものが「彼女の規格外の愛(執念)を形にするため」に、通常ならあり得ない裏側のアルゴリズムを引っ張り出し、サーバーの全演算能力をこの一点に注ぎ込み始めていることに、私はまだ気づいていなかった。
「……いよいよ、完成しちゃいますね。私たちの、最高に快適なお揃いグッズ」
光の渦の中心で、私はこれから出来上がるものが、国家を揺るがすほどの『神話級オーパーツ』になることも知らずに、ただ愛しい家族の顔を思い浮かべて微笑んでいた。




