8、銀色の希望
ゼリウスの田舎町、コロでは今日も住人たちがひっそりと慎ましい生活を営んでいた。
森の近く、小さな平屋の木でできたこの家にも、ゼロウとトルテ、そして母の生活する姿があった。
「母さん、俺の部屋には勝手に入らないでくれよ」
「はいはい、ゼロウも年頃ですからね」
母親はすっかりよくなり、起きて家事をこなすようになっていた。薬も自分で煎じて飲んでいる。
今日は十月二十二日。
あれから二晩ゆっくり休み、また新たなミッションのために明日の朝から出かけるという。
『少し昔話をしよう』
ゼロウの部屋の中でトルテが画面で映像を見せながら言う。画面には鉢植えの一輪の花が映っていた。
『ナスハルトにはかつて、年の離れた妹姫がいた。名をフローラという』
「知ってる。確か病気で亡くなったんだったよな。五年前に」
『表向きはそうなっているが、真実ではない。昔ある夜、城に盗賊が入った。盗賊はまだ十三歳だったフローラを捕らえて城外へ逃げ出した。盗賊自体にとっては金目当ての犯行だった。しかし実際は皇帝のやり方が気に入らない重臣の一人による犯行だった。盗賊はその犯人にフローラを売り渡してどこかへ消えた。重臣は部下を使い要求を飲まなければ娘を殺すと皇帝を脅した。フローラはその間、薬で眠らされていた。そんな中で、隠れ家にフローラは匿われ、そこでフローラの身の回りの世話をしていたその重臣の若い部下がフローラに段々思いを寄せるようになっていった。囚われのフローラに恋をしてしまったのだ。そしてある日、目を覚ましたフローラを連れてその部下は隠れ家を抜け出した。行方不明となったフローラがさらに行方不明となってしまったのだ。重臣は国中を探し回ったが、ついにその部下とフローラは見つけられなかった』
「それは知らなかった」
『フローラは長い間薬で眠らされ、その後遺症で記憶を失ってしまった。哀れに思ったその若い部下は好きになったフローラと帝都を抜け出し、郊外のボロ家に身を隠してそこでフローラと暮らすようになった。一方、妹を溺愛していたナスハルトはひどいショックを受けた。その後、重臣の犯行であることが明るみになり、その重臣は国外追放となった。重臣はフローラは死んだと言った。その男にとっての最後の反抗だったのだろう。ナスハルトは食事も喉を通らなくなり、ふさぎ込んで嘆き続けた。愛する妹姫は死んでしまった。長い時間をかけてナスハルトは弱っていった。そんなときに臣下に元気になるようにと届けられたのが一輪の鉢植えだった。フローラルという花だった。ナスハルトはその花の前で項垂れ続けた。そしてある日それは起こる』
ゼロウは黙って話の続きを待った。
『フローラルは魔の花だった。臣下は遠征で森に入った際、奥深くでその美しい花を見つけたのだが、それはロディアスの瘴気を受けた魔の花だったのだ。弱った状態でその花の前で俯き続けたナスハルトがその後どうなるかは想像に難くないだろう。瘴気と陰気に負け、優しかった精神はボロ雑巾のようにされ、あとに残ったのは狂気だけだった。今もその狂気がナスハルトを支配している。もはやそれに抗う力はナスハルトには残っていない』
「ちょっと待って。今の話だと妹姫はどこかで生きているということか?」
『そうだ。記憶を失ったフローラは若い部下と今も暮らしている。ここまで言えばもうわかるだろう。明日からの俺たちのミッションの内容が』
「フローラを、連れ戻す」
『その通りだ』
トルテの画面には美しい一輪の花が映っていた。その花のように美しい皇妹を連れ戻す。
外はすっかり日が暮れてきた。ゼロウは橙灯を一つつけて部屋を少し明るくした。台所では母が夕飯の支度をしている。シチューの香りが漂ってくる。
ナスハルトを元に戻せるかもしれない。
フローラと若い部下はクスモというゼリウス領の外れ、遥か南西の小さな村に住んでいるという。コロからは歩いて四日ほどかかる。
夕食を食べ終えると旅の支度を整え、ゼロウは明日に備えて眠った。
翌朝、母親がまだ寝ているうちにゼロウは家を出た。持ち物は二等国民証と金だけだ。部屋のトルテが宿る実機はキルトの布をかけ、端の方に置いた。これで大分目立たなくなった。
『そこそこの長旅だな。天気は通して晴れだ。王女が殺されるXデーまで、先のことを考えるとそんなに猶予はない。急いで歩いた方がいいぞ』
そうだ、自分の手に第四王女の命が懸かっているのだ。ゼロウはできるだけ急いで歩いた。
コロの町を出ると南方面にはしばらく草原地帯が続いた。所々に遊牧をしている小さな集落がある。大陸の東側、及び南東方面には広大な海洋があり、西には山岳地帯がある。それを越えた先は未開の地となっており、人間は存在していないと言われている。これまでにも探索に旅立った者はいるがいずれも行方不明になったり、あまり深くは入り込めずに戻ってきたものが僅かにいるだけだ。いずれにしろ大陸の人々を養うのに必要な資源は各国のその豊かな国土に潤沢に存在するため、外地への開拓の必要性は現在のところない。
試しにトルテにこの世界のことを聞いてみたが、大陸の外側にはおそらく人間はいないと答えた。主なその根拠としてはロディアスは人間を標的にしており、三つのロディアスが取り囲むようにしていることがその範囲にしか人間がいないという何よりの証拠だという。
牧草を食べている山羊の群れを傍目に見ながらトルテとそんな話をしていた。
やがて広大な草原地帯を過ぎると向きを少し西に移し、前方に迫ってきた山の麓に町が現れた。今夜はここに泊まることにした。宿を探して一晩部屋を借りる。明日は山越えのようだ。この山の向こうにクスモの村があるらしい。
歩き通しだったので疲れた。しかし大体二日分くらい歩けたという。ゼロウは足腰は丈夫な方だ。十八歳という若さもあろう。この分なら明日の夜には着けるかもしれないとのことだ。
晩飯に干し肉とパンを食べ、それを水で流し込んで早々に寝てしまった。明日も朝早くに出立する。
旅の二日目。
宿の台所でパンとチーズを安く譲ってもらった。昼飯にすることができる。
いよいよ山越えだ。そこまで高い山ではなく、険しくはない。しかし坂道だ。昨日よりペースは落ちる。やがて頂上の辺りまで来るとそこから遠くまで景色を見渡すことができた。素晴らしい眺望だ。遥か先にはかなり高い山脈がそびえ立っている。あれがこの大陸の果てのようだ。視界の手前の方には人家が見渡せる。あれがどうやらクスモの村のようだ。所々に煙が上っているのも見える。炊事の煙だろう。
手頃な倒木に腰かけて昼飯を食べた。空気は澄み渡っている。
『何か手土産がほしいな。いきなり押しかけるわけだからな』
トルテがそう言って、下山の途中で栗の実を拾っていくことにした。
ゼロウはパンとチーズを入れてもらった袋に一杯に栗の実を集めた。集め終わる頃にはすっかり日も暮れてしまった。
夜になり、栗を手土産にクスモの村に到着した。道中はトルテの案内が常にある。道に迷うという心配はゼロウにはないのだ。村では客は珍しいようで終始、好奇の目で見られた。道を行く農夫のような中年の男にまず驚かれた。見慣れない男が一人で夜の道を歩いていたからだろう。村はひっそりと自給自足の生活をしているようだった。家の数は頂上から見てざっと五十ほどだった。近くにはそこそこ大きな川も流れている。
「アナートン、という人を訪ねたいのですが」
誰だあんた、と聞かれ手短に名乗った後、そう聞いてみた。すると農夫のような男は親切に家まで案内してくれた。
「国から来たのですか?」
農夫に尋ねられたが違うと答えた。国というのは帝都のことだ。もしかしたら帝都から来るものは警戒しているかもしれない。
「ここですよ。私が呼んできましょう」
そう言って家の敷地内に入っていった。掘っ立て小屋のような古い木の家だった。その戸口に人影が現れた。
それは仕事着を着て腕をまくり、たった今まで炊事をしていたというような若い娘だった。後ろにひっつめた髪は美しい銀色だった。
「こんばんは、どなた様ですか?」
それはまごうことなき、フローラ姫その人であった。




