17、老騎士
日が暮れる頃、ゼロウはアイネを客室に見送った。その帰りの廊下で前方に一人の男が立っていた。シャイニングスだ。
「少しよろしいか」
鋭い目つきの男だ。そう言うと背を向けて歩き始めた。ゼロウはその後をついていく。
たどり着いたのは騎士の訓練場だった。この城にはこれまでも来たことがあるのだろう。場所をよく知っていた。二本の木剣を武器庫の中から持ってくると一本をゼロウに渡した。辺りはもう暗くなっていたので、橙灯をいくつか作り照明にした。
「突然のことで申し訳ない。ある事情があって、このような申し入れを行わないわけにはいかないのだ」
「ある事情?」
「俺は次の戦いでおそらく命を落とすことになる。俺はアイネ王女を幼少の頃よりずっと見てきた。少なからず悲しむことにもなるだろう。他の三人と違いまだ幼い部分も多く残っている。後のことだけが心残りなのだ」
「……」
「そなたの話は聞いた。王女も心を寄せ始めているようだ。彼女のことを任せたい」
そう言うと持っている木剣に力を込めた。
「その前にやっておかなければならないことがある」
場に緊張が漂い始めた。
「俺は剣しか知らない男だ。だが、剣のことなら誰よりもわかる。俺が知りたいのは剣の腕前ではない。人間が知りたいのだ」
どうやら打ち合いを行ってゼロウのことを知りたいようだ。
ゼロウは剣術は素人だ。しかしここは断るわけにもいかないようだ。
木剣とはいえ思い切り打ち込めば怪我もするし命を落とすこともある。それは手に持った感触でゼロウにも理解できた。気を抜くわけにはいかない。
「では、参るぞ」
右手にぶら下げていた木剣を反動をつけ、振りかぶり上段から打ち下ろしてきた。流れるような錬磨の身のこなしだ。
ゼロウは咄嗟に両手を上げ両手で握る木剣の柄元の辺りでそれを受け止めた。重い衝撃が叩き込まれる。訓練場に乾いた音が響いた。
木剣で防がなければ頭が割れていたぞ――。
殺気はないが勢いは全く殺していない。ゼロウは一瞬待て、と言いかけた。
しかしここで引くわけにはいかない。体勢を少し崩し、がら空きになった胴に横薙ぎの木剣が襲い掛かる。
ガードは間に合わないし、避けるのも無理だ。ゼロウは咄嗟にそれを放った。
訓練場に甲高い音が鳴り、シャイニングスの全力の木剣は空間で止まっていた。
ゼロウの左側の空中に黒い「禁」の文字。見えないガラス窓が木剣を受け止めていた。
空の筆跡。ゼロウの特異超能力が発動された。
「!?」
一瞬、面食らったシャイニングスの左面に隙ができた。
そこを目がけてゼロウが木剣を振り下ろす。
少し無理のあるような体の動きでシャイニングスはそれを打ち払った。
これが当たらないのか――。
本物の戦闘者の動きだ。常人の動きではない。
特異超能力がくるとは思わなかった。
二人の思考が交錯する。
ゼロウは木剣の構えを解き、横に滑るように移動した。
そこから思い切り木剣を振り下ろす。
「むっ」
照明の一つが背にくるように動き、シャイニングスから見て逆光になった。思わず目が眩む。
カッ、という乾いた音が鳴り、シャイニングスの木剣が弾かれて床に転がった。
シャイニングスが丸腰になる。しかし、構わず踏み込んでくる。
全身の勢いと共に右腕を引き、ゼロウの腹にボディブローを叩き込んだ。
「がはっ」
突然のことに対応が遅れた。体がくの字に折れ、木剣を床に落とした。
さらにその場で背を向けたかと思うと上段の後ろ回し蹴りが放たれた。ゼロウは右腕でガードする。
流れるようなフリーファイトだ。あまりの状況の速さに理解が追い付かない。
気がつくとシャイニングスの体は赤く発光していた。
間髪入れずに左フック、当たれば決め手となる右面打ちだ。それと交差するようにゼロウも左ストレートを放った。
両方の顔面にほぼ同時にヒットした。大きく仰け反った後、そのままシャイニングスが後ろに倒れた。
「はあ、はあ」
床に大の字になりながら天井を見上げていた。
ゼロウの背後にはいつの間にか黒い「壱」の文字が浮かんでいた。
「参った」
そう言ってゆっくりと起き上がる。
「いやあ、大したものだ。思わず俺もクラシックを使ってしまった」
ゼロウも息を切らしている。
「ゼロウよ。姫をよろしく頼むぞ」
そう言って落ちていた木剣を二つ拾い上げると武器庫に戻した。
「こういうことがあると死ぬのも惜しくなってしまうな」
笑いながらシャイニングスが言う。
「ただ一つだけ難点を挙げるとすればお前は少し優しすぎる。剣は向かないな」
最初に袈裟に振り下ろしたとき、ゼロウは僅かに躊躇した。木剣で骨を折るかもしれないと。
「しかし殴りは申し分ない。では俺はこれから忍耐の時間なのでな。またいつか会おう」
そう言うと、一足早くシャイニングスは訓練場を後にした。
能力の代償の時間だ。多少の負荷が襲うだろう。
ゼロウは照明がまだ残る訓練場の中で呆然と立っていた。
『大丈夫か、ゼロウ』
飯を食っていたら吐いていたな。殴られた腹をさする。
「次の戦いで死ぬと言っていた」
どうやらそれが気になっていたようだ。
『それなら心配ない。やつは死ぬことはないよ』
「本当か?」
『騎士は死を覚悟すると、その通り死に急ぐ生き物だ。しかしあいつは今の戦いで意識が変わったのだ』
「そうか」
ゼロウはそれを聞いて一安心した。王国の騎士団長というわりには随分と気さくな人物だった。
しかし、次の戦いというのがやはり気になる。何の戦いだったのだろうか。
まるで心を読んだようにそれに対してトルテが説明し始めた。
『お前は聞いていないだろうが、まだ明るいうちにナスハルトはアイネからマリアの意向について話を聞いたのだ』
「意向?」
『マリアはこのまま残る二つのロディアスも消すつもりだ。ここしばらくないくらいに世界では今、陽の気が高まっているのだ。ナスハルトが元に戻った。ロディアスが一つ消えた。そして人の心に恋や愛といった陽の感情が芽生え、それを育む時代にもなりつつある』
アイネの顔が思い浮かんだ。確かにアイネのことを思うとそれだけで周りの陰気も薄れて透き通っていくような気分になる。
『まずは北東の第一ロディアスだ。ここを任されるのは主に王国の東部側だ。ガステルという公国があるのだ。それが済めばあとは第三ロディアスとの最終決戦だな。ここで王国の全勢力が投入される。あの男の言っていた次の戦いとはそのことだろう』
やはり戦いは避けられないのか。どれぐらいの犠牲が出るだろう。戦うことに関してはゼロウはあまり意欲的ではなかった。トルテの言うように絶妙なバランスを保ったまま、このままやっていく方がいいのではないかと思っていた。ロディアスの正体も知っているからだ。
「ところで、あのロディアスの残骸はどうなったのだろう?」
『第二ロディアスか? 修道院の一室に封印されるように安置されているよ。この世界の人々はあれが何なのか知らないからな。何が起きるかわからないという気持ちもあるのだろう。実際はもう何も起きないが、ナスハルトがアイネたちにも見せたようだな。その確認もマリアから頼まれていたのだろう。まあでも誰が見ても何もわからないよ』
この世界でその正体を知っているのはゼロウとトルテだけだった。
月明かりの庭園を見渡せる城の廊下を自分の部屋へ向かって歩いているとき、シャイニングスはあることに気がついた。
つい少し前まで感じていた死の予感のようなものが消えている。
何かが変わったようだ。訓練場での打ち合いが終わってからだ。
不思議な男だ――。
シャイニングスは一つ、肩の荷を下ろせたような気分になった。それはもちろんアイネ王女のことだ。




