11、光の帝国
応接用の部屋でとりあえずゼロウたちは待つことになった。
あの後、ほどなくしてナスハルトは意識を失った。トルテによれば内面での戦いはまだ続いているという。意識はないが苦悶の表情を浮かべている。
抱えの医師とサイザルとフローラがそばにつくことを許され、ゼロウとアナートンは部屋で待たされた。
「こんなことになるとは思わなかった」
アナートンが言う。
「正直、私は命も捨てる覚悟で来た。しかし今、全ての問題をナスハルト様ただ一人に押し付けているような気分だ」
ゼロウも同じ思いだった。戦っているのは結局、ナスハルト一人だ。このまま意識が戻らず命を失うことも十分ありえるという。
長い時間が過ぎた。
待たされる方も辛いがフローラはもっと辛いだろう。そして地獄の苦しみに晒されているのはナスハルトだ。窓の外はすっかり暗くなっていた。まだ微かに虫の鳴き声も聞こえる。誰もが一晩中寝ずにナスハルトが意識を取り戻すのを待っていた。
テーブルを挟んで備えられた対面の椅子にゼロウとアナートンは向かい合って座り、いつまでも黙って待っていた。その間、トルテからも声をかけられることはなかった。誰かといるときはトルテとは話せない。途中で召使いが温かい紅茶を持ってきてくれた。それを飲みながらただひたすら待っていた。アナートンは紅茶にも手はつけなかった。
やがて窓の外の東の空の方が明るくなり始めた頃、部屋の中にサイザルが入ってきた。
「陛下が目覚められた。お前たちも来い」
そう言われ、サイザルの後をついていき、ナスハルトの私室のドアを開けて中に入ると、ベッドで体を起こしているナスハルトの姿があった。隣には医者と、泣きはらして目を赤くさせたフローラがいた。
ナスハルトはとても穏やかそうな顔をしていた。もう苦悶の表情は跡形もなくなっていた。
「陛下、お連れしました」
サイザルがナスハルトの横に控えると、ゼロウの方を向きながら言った。
「そなたがゼロウだな。この度の働き、まことにご苦労であった」
「いえ、私は何も」
穏やかな口調で話す。どうやらロディアスからの苦痛を完全に退けたようだ。
ナスハルトは左頬が僅かに引きつり、口元が少し歪んでいた。おそらく後遺症のためだろう。ろれつも少し回らないようだ。しかし端正な顔に無骨なその跡が印象的で顔に傷を負った戦士のようにも見えた。
「アナートン、そなたもよくやってくれた。長い間、フローラが世話になった」
予想もしない言葉を投げかけられ、アナートンは一瞬、言葉を失った。
「とんでもございません。私はフローラ様をさらったのです。どのような罰も受ける覚悟です」
「私はそうは思っていない。気にせずともよい」
「しかし、何の咎めもなければこの私の気が収まりません」
「ならば、その責め苦に耐えるのがそなたへの罰だ」
「……陛下」
「ガイゼルに捕らわれていたままでは本当に殺されていたかもしれなかったのだ。感謝している」
アナートンはひざまずきながら目の端に涙を浮かべた。
昔のナスハルトそのままの姿だった。どうやら完全に自分を取り戻したようだ。
「父のことだけが悔やまれる。私が不甲斐ないばかりに」
ナスハルトの命で、先代の皇帝は毒殺されていた。
「ゼロウと申したな。そなたに聞きたいことがある」
「はい。何でしょう」
「私は長い間悪夢を見ていたようだ。その悪夢の最後に、一つの光景が映ったのだ。どこかの部屋の中で、見たこともない白い二つの箱があり、男がその前で笑っている。不思議と懐かしさを感じる光景だった。それを見た後で、私は目を覚ましたのだ」
「……」
「そなたは不思議な男だと、フローラから聞き及んでいる。この国のことを何でも知っていると。この光景にも何か思い当たることがあるのではないか?」
「……いえ、それに関しては何も存じ上げません」
「そうか。では別な質問をしよう。私はこれからどうしたらいいだろうか。サイザルから聞いたところでは城下でもここのところ実りが悪く、民も苦しんでいるという。そして私が見たあのフローラルという花。先ほどまでの悪夢もどうやらロディアスが関係しているようだった。そなたはロディアスに詳しいと聞く」
ゼロウはとうとう来た、と思った。
この一言をトルテからの助言に従い、皇帝に告げるために、ここまでやって来たのだ。
「国を挙げて第二ロディアスを、撃滅するべきです」
場が静まり返った。緊張感のようなものに辺りが包まれた。この場の誰もが、ある種の覚悟を決めたように感じられた。
「そうか。やはりそうか。いよいよなのだな」
「皇帝陛下との拮抗にたった今、破れたロディアスは僅かに弱りつつあります。再び膨張する前に叩くのがよろしいかと」
「なるほど、そういうことか。ではロディアスを制するため、遠征軍を指揮するとしよう。かまわないな? サイザル」
「仰せのままに」
こうして、ロディアスを消し滅ぼすため、ゼリウス帝国はかつての勢いを取り戻し、進軍する準備が始まるのであった。
この日の午前中、もう少し休むべきだという医者の意見を押し退け、ナスハルトは城のバルコニーに立ち、国民たちに短い復帰を伝える演説を行った。それを聞き城の前には大観衆が集った。
それは城の騎士たちにとっても寝耳に水の出来事だった。あの皇帝が演説を? また気が狂ったのか?
騎士たちも大勢その様子を見守るのだった。
準備を整えたナスハルトが二階へ上がる。バルコニーに姿を現わすナスハルトを見て辺りはどよめいた。屹立するその姿はかつての威厳あるナスハルトの姿だった。騎士たちも驚愕し、思わず息を呑んだ。
そして、ナスハルトの演説が始まる――。
「皆のものには大変迷惑をかけた。心苦しい生活を強いられたことだろう。申し訳なく思う。これより、我が国では全ての民がより豊かに、安心して暮らせるよう、全力を尽くしたいと思う。善き国をつくるため皆にもこれからも力を貸してほしい。我々はこれより、第二ロディアスの討伐へ向かう。どうか、信じて待っていてほしい」
ワアア――。
大歓声が上がる。
陛下が戻った――。
この国は助かるのだ――。
騎士たちは唖然とした表情で一部始終を見守った。涙を流すものも現れた。
それでいい、とトルテが言う。
ロディアス征伐を行うことを告げることで国民に余計な心配をかけるのでは、と危惧されたが、国民の応援は追い風になるという。国全体で戦うのだ。
改めて、騎士たちの前でもナスハルトの声がかけられた。ロディアスを滅する。
騎士たちの士気は高かった。待ち望んでいた皇帝の復帰だ。命を投げ打ってでも戦うという気概に満ちていた。
ここまではゼロウとトルテのシナリオ通りだ。途中少し予想外のこともあったが、ナスハルトが正気を取り戻し、帝国は一丸となり戦う準備を整える。そして、第二ロディアスの撃滅。それはすなわち、マリア王女の俯瞰能力に光を映し出す出来事となる。元凶の一角が崩れるのだ。マリア王女の中から背水の覚悟は消え失せる。
つまりそれは第四王女、アイネを救うことになる。
騎士の詰所の中で長椅子に横になり、天井を見つめるヨウヤ。そして黙って腕を組んで座り目を瞑っているザスト。
皇帝が元に戻った。
願ってもないことだ。危うく早まったことをするところだった。ヨウヤは天井を見つめながら、あることを考えていた。
城内の噂によれば、皇妹殿下が戻られたという。
アナートンはあの後、サイザルの部下として臣下に就くことを許され、フローラとのことも本人の強い希望もあり、概ね認められた。
何故、死んだと思われていた皇妹殿下が突然戻ったのか。
ヨウヤだけでなく、ザストもその思案に暮れていた。しかしその答えはやがて得ることになる。
皇帝のそばにいる、あのときのあの男の姿を再び目にすることによって。




