10、再会
その晩はアナートンの家で栗を食べ、壮行会のような様相になった。栗の他にもフローラの手料理を御馳走になった。
三人での戦いだ。何しろ、相手は狂気のナスハルトだ。どのような展開になるかは予想もつかない。真実を知り過ぎている。それは知らないものにとってはときには脅威に映るかもしれない。素性の知れない存在が内部の事実を知り過ぎている。問答無用で処刑されるかもしれない。アナートンも然りだ。相手は暴君となり下がった男だ。フローラでさえ、偽物が名をかたり国を乱そうとしているなどといい殺されるかもしれない。
どうしたものだろうか。
トルテにも、確実な安全な策は提示できなかった。危険を覚悟で行くしかないのだ。
アナートンとフローラはリビングで寝ると言ったがゼロウは自分が厄介者だと言って床に寝た。二人は寝室で寝ている。
とりあえず最初の関門は突破した。本番はこれからだが、道はまだまだ長い。ゼロウたちにとっての最初であり最後でもあり最大のミッションは第四王女、アイネを守ることだ。そこまでの道はまだ険しい。
しかしそこまでこぎつければあとは王国、帝国、人類が一丸となってロディアスに立ち向かえる。そこまで行ければゼロウの長い長い、そして重い役目も終わりを迎えられるだろう。
まだまだ楽はできない――。
世界を守るためだ。そう言い聞かせながらゼロウは眠りについた。
明くる日の朝、アナートンとフローラは少しの荷物だけを持ってゼロウの歩く後に続いた。村を出てまず最初は山を越える。山道の木々は少しずつ色づき始めていた。山道を越え、草原を越え、長い旅路の途中で二泊した。一日目は往路で泊まった同じ宿に、二日目は帝都の手前の町で宿を取った。帝都はコロの町よりも南東の方にある。コロ、クスモ、帝都は丁度地図の上で三角形を描くようなかたちになる。
いよいよ帝都に足を踏み入れる。フローラは町並みを見上げ、意気込んだ。記憶には無い風景だった。
帝都に入れば何が起こるかはわからなくなる。帝都で機能中の現行の法はそういった危険を持つものだ。つまり殺しを助長するようなものだ。フローラは念のため、スカーフで顔を隠していた。皇帝の妹だと騒がれると面倒だ。三人は旅人の格好だ。
町並みは見たところ普通だ。住民も穏やかに往来を行き交っている。空は最初は曇り空だったが段々歩いていくうちに雲の隙間が見えるようになってきた。城門に着く頃には雲も薄くなり、西の空に赤い夕焼けが見えるようになった。
門番にゼロウは二等国民証を提示し、城の中に入りたいと言う。
門番の答えは許可のないものは二等国民であっても入ることはできないというものだった。
ゼロウが困っていると、横からアナートンが「サイザル様に通してほしい」と伝えた。
門番が何の用ですか、と問う。
仕方あるまい――。
アナートンがため息をつき、フローラのスカーフを外し、改めて門番に向かって言った。
「消息不明のフローラ皇妹殿下がお戻りだ」
「?」
門番が呆然とする。銀色の髪の気品をたたえた美しい娘だが、フローラの顔は知らないようだ。まあ無理もない。フローラは十三歳のときに国の民の前から姿を消している。おまけに病死という体で国民には周知されていた。
「サイザル様に言えばわかる。皇妹殿下がお戻りだと伝えてほしい」
「わかりました」
そう言って門番は城の中の方へ消えていった。
それから少しして、門番が屈強な体躯の初老の大男を連れて戻ってきた。
皇帝を補佐している、ゼリウス帝国の宰相に該当するものだ。
「サイザル様。アナートン・フュエル戻りました。どのような処罰をも受ける所存です」
「……確かに、皇妹殿下だ。ついて参れ」
門をくぐり、奥へと入っていく。三人も後に続く。門番は何も言わずにまた持ち場に戻った。
「五年か。長かったな」
「申し訳ありません」
「長すぎる。もはや手遅れかもしれん。お前たちも心しておけ」
フローラが不安そうな表情になる。狂気のナスハルトとの対面だ。緊張で手が震えそうになる。
サイザルは城の大玄関を越え、中へと入っていく。やがて空っぽの玉座の間を通り過ぎると奥の皇帝の私室へと向かっていった。
城の中には狂気の気配は感じられない。暴力的な跡はどこにもなく、時々すれ違う召使いたちも落ち着いている。少し意外だった。しかし油断はできない。肝心のナスハルトの姿を見るまでは。そしてこちらの要求を通さなくてはならない。
「誰であろうと今、陛下への目通りはかなわん」
低い声でサイザルがそう言う。
「しかし、皇妹殿下なら話は別だ」
大きな部屋の前に来た。ノックをして両開きの扉を開ける。すると――。
「ぎゅううううう~~ん。ぷっぷ~~」
まるで子どもが上げるような奇声が部屋の中に響き渡った。
中では背の高い一人の男が天井に手を伸ばし、こちらに背を向けていた。上質な寝間着を着ている。
「おん?」
男がこちらに気づいた。
「ぎゃはははは、何だお前~~!!」
唖然としていたゼロウを指さして叫ぶ。
「くっぴゃああああ、たまらんぽ!!」
両手を尻に当てて滑稽なポーズを取った。
サイザルが男に近づいていくと、「陛下、お客様です」と言う。
今目の前にいる、この滑稽の極みとも呼べる男こそが、皇帝ナスハルトのようだ。
「ぼよよよよお~~ん!!」
「トルテ……。これは、一体……?」
思わず周りにアナートンやフローラがいるのも忘れて声に出してしまった。幸い二人はゼロウの方はよく聞いていない。二人もナスハルトを見て呆然としている。
『悪い。ナスハルトの醜態は知っていた。お前たちが殺される余地なども全くないことも。だがお前たちにはずっと緊張感を保ってほしかったのだ。何故なら……』
トルテの声音が少し低くなる。
『ナスハルトに申し訳がないからだ。このまま安心しきってここに向かってしまうのは』
どういうことだ――?
銀のコップでサイザルに水を飲まされた後、お客様と呼ばれた方をナスハルトが見る。そこには困惑して立っているアナートンとフローラの姿があった。
『よく見ているんだ。これから起きることを』
ナスハルトがフローラの方を見た。そして目が合う。
その瞬間――。
ドクンッ。
何かが部屋の中で大きく脈打つ気配がした。
「がっ!? はあっ!!」
突然ナスハルトが体を崩し、床に手をついた。
「がっ、あっ、ぐがああああああああああっ!!」
その場で絶叫し、床にうつ伏した。
一体何だ。何が起こったのだ――?
『よく見ていろ。これが、ロディアスに一度負けたものの姿だ。ナスハルトはこれから地獄の苦しみを味わう』
ゼロウはトルテの言葉と目の前の光景に思わず息を吞んだ。
「がああああああああああ――――ッ!!」
「お兄さま!?」
フローラが叫ぶ。記憶が交錯している。ナスハルトに駆け寄ろうとする。
「来るなっ!!」
「ッ!!」
フローラが口に手を当てる。実の兄が死に瀕している。それが妹である自分にはわかった。
『たった一人で、ナスハルトはこれからたった一人の精神で、第二ロディアスの大部分を削り取るのだ』
何だって――?
「があぐううああああああああああああっ!!」
精神世界での戦いが始まった。
ナスハルトはロディアスの陰気を溜めすぎたのだ。それをこれから清算する。
『俺もこの先のことはわからない。ここからは祈るしかない。ナスハルトが、ただ一人で地獄から戻ることを』
「!?」
フローラの目に涙があふれる。アナートンも驚愕の表情を浮かべている。
『泣け。一滴でも多く。少しは足しになるかもしれない。お前たちのその涙は陽の気になる。しかし、おそらくは焼け石に水だろう。何しろナスハルトがいる場所。そこにあるのは、ロディアスの深淵なのだ――』
暗黒のときを彷徨った。精神が地獄の淵を漂った。
ナスハルトは途方もない、絶望ともいえる暗く深い闇の中でその心を蹂躙されるのだった。




