第七話:例外の理由
「……で、何するの」
七瀬は一歩後ろで腕を組んでいる。
完全にやる気はない。
でも帰らない。
(それでいい)
「まず、距離を取ります」
「もう取ってるけど」
「さらにです」
神谷は数歩下がる。
視線の端に、あの女がいる。
こちらを見ている。
(……来ない)
さっきより明らかに動きが鈍い。
「……もう少し」
さらに下がる。
五メートル。
七メートル。
女は――
動かない。
「……止まった」
「へぇ」
七瀬は興味なさそうに相槌を打つ。
「……じゃあ次」
「まだやるの」
「ここからが本番です」
神谷は一歩、前に出る。
その瞬間。
女の肩が、ぴくりと動いた。
「……やっぱり」
もう一歩。
女が一歩、こちらへ。
「……反応してる」
「犬みたい」
「例えやめてください」
さらに一歩。
今度は、はっきりと距離を詰めてくる。
さっきまでの“静止”が嘘みたいに。
(ラインがある)
神谷は足を止める。
女も、止まる。
「……なるほど」
「何が」
「一定距離までは“弱い”」
「それ超えると?」
「引っ張られる」
七瀬は少しだけ目を細める。
「不便だね」
「……かなり」
神谷は苦く笑う。
(でも)
さっきより、確実に違う。
ただ逃げるだけじゃない。
「……測れた」
「よかったね」
「はい」
七瀬は興味を失ったように視線を外す。
「じゃ、もういい?」
「……あ、はい。ありがとうございました」
「一回だけって言ったし」
そう言って歩き出す。
(本当に一回なんだな)
でも。
「……七瀬さん」
「なに」
「たぶんまた頼みます」
「断る」
「ですよね」
即答。
でも。
完全には、拒絶されてない。
(ゼロじゃない)
それだけで十分だった。
神谷はもう一度、あの女を見る。
一定距離の外で、こちらを見ている。
来れない。
でも、離れない。
「……制御、できるかもしれないな」
小さく呟く。
空を見上げる。
さっきと同じ空なのに、
少しだけ、現実が軽くなっていた。
夕方の公園。
人気の少ないベンチに、神谷と七瀬が並んで座っていた。
「……変なんだよね、私」
七瀬は、缶ジュースを手の中で転がしながら言う。
「変って?」
「普通さ、もっと……意識するじゃん。距離とか、雰囲気とか」
神谷は少しだけ苦笑する。
「それ、俺に言う?」
「うん、言う」
即答だった。
「だって神谷くん、明らかに“何かある”のに、私だけ平気なの」
少しの沈黙。
風が木の葉を揺らす。
「……昔からなんだよね、これ」
七瀬は遠くを見たまま、ぽつりと続ける。
・回想
小さい頃。
まだ幼稚園に上がる前だった気がする。
どこかよく分からない場所にいた。
白い……いや、白すぎて形が分からない空間。
夢だったのかもしれない。
「くじ、引く?」
男の声がした。
姿ははっきり見えない。
ただ、“大人の男”だということだけは分かった。
目の前には箱。
中に手を入れるように言われた。
「一本だけだよ」
意味は分からなかったけど、言われるままに引いた。
細い棒。
そこには何か書いてあった。
「……なんて書いてあるの?」
読めなかったから、そう聞いた。
すると男は、少し笑った。
「“干渉耐性”」
聞いたことのない言葉。
「当たりだね」
「これ、なに?」
「そのままの意味だよ」
よく分からなかった。
でも――
「ま、君には必要なものだ」
その言葉だけが、妙に記憶に残っている。
・現在
「……っていう夢、昔見たことあるんだよね」
七瀬は軽く笑った。
「変でしょ?」
神谷は、言葉を失っていた。
(……干渉耐性)
聞き覚えがありすぎる。
というか、まさにそれだ。
(まさか……)
「それ以来なの。なんかこう……変な空気とか、圧とか? そういうの、あんまり感じないの」
七瀬は肩をすくめる。
「だからかな。神谷くんといても、普通なの」
神谷はゆっくり息を吐いた。
(偶然……じゃない)
明らかに“そういう存在”が関わっている。
だが――
七瀬は、それを知らない。
ただの「夢」だと思っている。
「……いいことじゃん」
神谷は、できるだけ自然に言った。
「少なくとも俺は助かってる」
「でしょ?」
七瀬は少しだけ嬉しそうに笑う。
「だからさ、これからも普通に接していい?」
「むしろ助かる」
「よかった」
軽い会話。
だが神谷の内心は、まったく軽くなかった。
(“当たりだね”……か)




