第六話:例外の証明
夕方。
「……また来たらどうするかな……」
神谷 恒一は大学のベンチに座り、スマホをいじっていた。
未読は、増えていない。
「……逆に怖いんだよな、それはそれで」
「誰の話」
「うわっ」
顔を上げる。
「……七瀬さん」
「またそれ」
「呼びやすいので」
「やめて」
「善処します」
「しなくていい」
いつも通りの温度。
その“普通さ”が、やけにありがたい。
「で?」
「え?」
「さっきから挙動不審」
「そんなことないです」
「ある」
「……あります」
「で、何」
「……正直に言うと」
「うん」
「昨日の人がまた来るかもで」
「来るでしょ」
「断言しないでくださいよ!」
「だって来るタイプじゃん」
「否定できない……」
七瀬はため息をつく。
「警察は?」
「ギリ呼んでないです」
「なんで」
「そこまでじゃないというか……」
「もうそこまで」
「……ですよね」
「甘い」
「すみません」
「謝らなくていい」
そのとき。
――ブブッ。
スマホが震える。
表示。
『今どこ?』
「……来た」
「例の人?」
「はい」
「見せて」
「え?」
「いいから」
「……はい」
差し出す。
七瀬は一瞥して――
「うわ、重」
「ですよね!?」
「これは来るわ」
「やっぱり!?」
「今どこ?」
「大学です」
「じゃあもう近いね」
「なんでそうなるんですか!?」
「こういう人、来るから」
「やめてください予言者みたいなこと!」
その瞬間。
「見つけた」
「――っ」
背筋が凍る。
振り向く。
「……」
いた。
あの女。
「やっと会えた」
「……いや、昨日会いましたよね」
「足りなかった」
「だから足りてください!」
「無理」
距離を詰めてくる。
だが――
「ちょっと」
七瀬が一歩前に出る。
「なに」
「近い」
「……誰?」
「関係ないでしょ」
「ある」
「ない」
初めての対面。
空気が張り詰める。
「その人、私の」
「違います」
「違うの?」
「違います!」
「……」
女は七瀬をじっと見る。
「……邪魔」
「そっちがね」
「……」
神谷は気づく。
(あれ……?)
女の視線。
七瀬に対して――
(“引っ張られてない”?)
本来なら。
この能力の影響で、全員が神谷に集中するはず。
なのに。
目の前で、視線が分散している。
「……あんた」
女が言う。
「なんで平気なの」
「何が」
「この人のこと、好きにならないの」
「ならないけど」
「……」
明らかに動揺する。
「なんで」
「なんでって」
「普通は好きになる」
「ならない」
「なる」
「ならない」
「……」
女の表情が歪む。
「おかしい」
「そっちがね」
「おかしくない」
「おかしい」
「……」
空気が、さらに険悪になる。
「……神谷くん」
「は、はい」
「これ、マジでやばいよ」
「はい……」
「逃げる準備して」
「はい……」
そのとき
――カチン。
頭の奥で、何かが外れる音。
「……あれ?」
『あーあ』
「……神様?」
視界が歪む。
次の瞬間。
――白。
「……っ?」
立っている。
何もない空間に。
「……七瀬?」
振り返る。
誰もいない。
「……あいつも……いない?」
「うん、君だけ」
「……!」
前を見る。
いた。
あの神様。
「……一人?」
「一人」
「なんで」
「個別対応」
「サポートセンターかよ」
「クレーム対応中」
「笑えないんですけど」
神谷は周囲を見回す。
「……現実は?」
「止めてる」
「便利すぎるだろ」
「神だからね」
「クソ仕様のくせに」
「それはごめん」
軽い謝罪。
だが今回は流さない。
「ごめんじゃ済まないんですよ!」
「うん」
「警察沙汰一歩手前なんですけど!?」
「知ってる」
「なら――」
「だから呼んだ」
「……」
一拍。
神谷は息を整える。
「……説明してください」
「いいよ」
「なんで七瀬さんにだけ効かないんですか」
「簡単だよ」
神様は指を一本立てる。
「まず前提」
「……はい」
「君の能力は“好意の増幅”」
「それは聞きました」
「じゃあ質問」
「……なんですか」
「ゼロに何かけても?」
「……ゼロ」
「正解」
「……」
嫌な予感がする。
神谷は七瀬を想像する。
「つまり……七瀬さんは俺にまったく興味ゼロってことですか」
「うん」
「はっきり言いますね!?」
「事実だから」
「ぐさっとくる!」
神様は続ける。
「……元から興味ない人には効かない」
「そう」
神谷は頭を抱える。
「……俺、完全に興味ゼロなんですね」
「そうなるね」
「地味に傷つく!」
「事実だからね」
「優しさは!?」
「ない」
「即答!」
神様は続ける。
「でも、それだけじゃない」
「まだあるんですか……」
「普通、人は完全なゼロにならない」
「……」
「多少は興味や好奇心がある」
「はい」
「でも彼女は違う」
「……」
「“干渉耐性”がある」
「干渉耐性?」
「外部から感情を操作されない性質」
「……そんな人いるんですか」
「たまにいる」
「どれくらい」
「かなり少ない」
「じゃあなんで俺の近くにいるんですか!」
「運。簡単に言うと、外部から感情をいじられない」
「……そんなのアリですか」
「たまにいる」
「レアすぎるでしょ!」
「SSRだね」
「ガチャで言うな!」
「大当たりだね」
「クソ仕様!」
「ごめんね」
神様は軽く謝る。
「嬉しくない!」
神様は肩をすくめる。
「で、問題はここから」
「……」
「君の能力、強すぎる」
「……はい」
「本来は“ちょっと好かれる”程度のもの」
「え?」
「でも君に渡った個体は“上振れ” 特級だから効果が特に強い」
「最悪じゃないですか」
「うん、最悪」
「認めるな!」
「だから暴走してる」
「……」
神谷は思い出す。
あの視線。
あの距離。
「……あれ、止められないんですか」
「止められない」
「なんで」
「仕様」
「クソ仕様!」
「ごめん」
「軽い!」
神様は指を鳴らす。
空間に、ぼんやりと人影のイメージが浮かぶ。
「見て」
「……」
「通常の好意」
穏やかな波。
「君の影響」
一気に跳ね上がるグラフ。
「……怖」
「で、制御しないとこうなる」
グラフが振り切れる。
「……昨日のあれですね」
「そう」
「……じゃあどうすれば」
「簡単」
「絶対簡単じゃないやつだ」
「観察と距離」
「またそれですか」
「それが全て」
「具体的に」
「近づくほど増幅する」
「……はい」
「だから距離を測れ」
「……」
「そして基準を持て」
「基準?」
「影響を受けない存在」
「……七瀬」
「そう」
神谷は黙る。
「彼女は“変化しない”」
「……」
「つまり、君の能力の影響を測る“定規”になる」
「……なるほど」
「彼女と他人の差を見ろ」
「差……」
「それが危険ライン」
「……」
神谷はゆっくり息を吐く。
「……つまり」
「うん」
「自分で管理しろ、と」
「そう」
「……」
沈黙。
逃げ道はない。
「……一つだけ聞いていいですか」
「どうぞ」
「なんで俺なんですか」
「……」
一瞬だけ。
神様の表情が変わる。
「それは」
「……」
「まだ教えない」
「なんでだよ!」
「そのうち分かる」
「一番信用できないやつ!」
「物語的にね」
「メタやめろ!」
神様は軽く手を振る。
「時間だ」
「ちょっと待――」
「頑張って」
「雑!!」
――暗転。
気づけば。
「……っ」
ベンチ。
夕方の空気。
現実。
「……戻った……?」
「ねえ」
「うわっ」
横。
七瀬。
「急に黙るから怖いんだけど」
「……あ、すみません」
「今、何してたの」
「……ちょっと、現実逃避を」
「顔やばいよ」
「マジですか」
「うん」
少し離れたところに、あの女。
――距離がある。
さっきより、確実に。
「……」
神谷は小さく息を吐く。
「……やるしかないか」
「何が」
「距離、測ります」
「意味わかんない」
「ですよね」
でも。
さっきとは違う。
逃げるだけじゃない。
「……七瀬さん」
「なに」
「ちょっと協力してもらえません?」
「やだ」
「即答!」
「面倒」
「そこをなんとか!」
「……」
七瀬は少しだけ考えて――
「……じゃぁ一回だけ」
その一言で。
現実に、足場ができた気がした。
「……これ、ほんとに制御できるのか……」
空を見上げる。




