第四十九話:人生最大のモテ期が終わったので、普通のデートをした
日曜日。
神谷は駅前の時計の下で、腕時計を見つめていた。
待ち合わせまで、あと十分。
以前なら、知らない女性に話しかけられ、連絡先を聞かれ、気づけば人だかりができていた。
今日は、誰も来ない。
(……平和だ)
神谷は深く息を吸った。
すると、背後から声がした。
「お待たせ」
七瀬だった。
淡い色のワンピースに、小さな鞄。
神谷は一瞬、言葉を失った。
「……どうしたの?」
「いや、似合ってるなって」
七瀬の頬が赤くなる。
「……ありがとう」
神谷も照れくさくなった。
付き合い始めてから、初めてのデート。
今までも何度も出かけた。
映画も見た。
手も繋いだ。
それなのに、今日は全部が違って見える。
「……行こうか」
「うん」
二人は歩き出した。
神谷が手を差し出すと、七瀬は少し笑って握った。
「今日は能力対策じゃないね」
「うん」
「偽装カップルでもない」
「うん」
「……本物だね」
神谷は頷いた。
「……本物だ」
七瀬は少しだけ手に力を込めた。
映画館では、恋愛映画を選んだ。
七瀬がポスターを見て言う。
「これ、泣けるらしいよ」
「……また?」
「恒一が泣くところ、見たいから」
「趣味悪くない!?」
「冗談」
「絶対半分本気だろ」
七瀬は笑った。
上映が始まる。
主人公が、長いすれ違いの末に恋人へ気持ちを伝える場面。
神谷は思わず、自分たちのことを思い出した。
能力がなければ、七瀬と出会わなかったかもしれない。
でも、能力があったからこそ、何度も間違えた。
守りたいと言いながら、勝手に距離を取った。
信じていると言いながら、相手の気持ちを疑った。
そのたびに、七瀬は自分の言葉で向き合ってくれた。
(……本当に、ありがとう)
気づくと、目元が熱くなっていた。
隣から、ハンカチが差し出される。
「……泣いてる?」
「……泣いてない」
「嘘」
「……ちょっとだけ」
七瀬は笑った。
「やっぱり」
神谷はハンカチを受け取った。
映画が終わる頃には、七瀬の目元も少し赤くなっていた。
「……七瀬も泣いてるじゃん」
「これは、目に何か入っただけ」
「何が?」
「……感動」
「それ、泣いてるって言うんだよ!」
二人は笑いながら映画館を出た。
昼食は、駅から少し離れた小さな洋食店だった。
神谷はオムライスを注文した。
七瀬はハンバーグ。
「……普通だね」と七瀬。
「何が?」
「デート」
神谷は周囲を見た。
静かな店内。
窓から差し込む日差し。
隣の席では家族連れが楽しそうに話している。
誰も神谷を見ていない。
誰も騒がない。
「……普通だな」
「つまらない?」
神谷は首を横に振った。
「最高に楽しい」
七瀬は少し驚いたあと、笑った。
「……私も」
食事を終え、二人は公園へ向かった。
ベンチに座ると、七瀬が空を見上げた。
「ねえ、恒一」
「何?」
「能力がなくなって、後悔してない?」
神谷は少し考えた。
「……してない」
「本当に?」
「うん。確かに、便利なこともあったかもしれない。でも、俺はずっと、普通に誰かと話したかった」
七瀬は頷いた。
「今は?」
「今は、普通に話せる」
神谷は七瀬を見た。
「……七瀬と」
七瀬は少し照れたように笑った。
「……それなら、よかった」
神谷は続けた。
「でも、ひとつだけ後悔してる」
七瀬が顔を上げる。
「何?」
「もっと早く、好きだって言えばよかった」
七瀬は一瞬、固まった。
そして、小さく笑った。
「……それは、私も」
二人は顔を見合わせた。
「……好きだよ、七瀬」
「……私も、好き」
風が吹いた。
木の葉が揺れる。
誰も拍手しない。
誰も祝福しない。
ただ、二人だけが笑っていた。
公園を出る前、二人は小さな売店に立ち寄った。
神谷が温かい飲み物を二本買うと、七瀬は一本を受け取って言った。
「今日はおごってくれるの?」
「初デートだから」
「じゃあ、次は私がおごる」
「別に気にしなくていいよ」
「私が気にするの。対等でいたいから」
神谷は少し考えて、頷いた。
「……分かった。じゃあ次はお願いする」
「うん」
ベンチに戻り、二人は缶を両手で包んだ。
夕方の空気は冷たかったが、不思議と寒くなかった。
「普通のデートって、こういうことなのかな」と神谷。
七瀬は笑った。
「普通かどうかなんて、誰が決めるの?」
「……俺たち?」
「正解。私たちが楽しかったら、それでいいでしょ」
神谷は頷いた。
以前なら、誰かの気持ちが自分へ向かってくるだけで身構えていた。
今は、隣にいる人が自分の意思で笑っている。
それだけで十分だった。
その夜。
神谷は久しぶりに、白い空間の夢を見た。
神様が、いつもの抽選箱の前に立っている。
「やあ。元気そうね」
「……おかげさまで」
「デート、楽しかった?」
「見てたんですか!?」
「神様だから」
「プライバシー!」
神様は笑った。
「冗談よ。あなたが幸せそうだから、そう思っただけ」
神谷は少しだけ安心した。
「……能力、ちゃんと封じられたんですね」
「ええ。もう、あなたの意思とは無関係に好意を増幅することはないわ」
「……よかった」
神様は少し寂しそうに微笑んだ。
「最初は、あなたを幸せにするつもりだったの」
「……はい」
「でも、幸せの形を勝手に決めてしまった」
神谷は黙って聞いた。
「誰からも好かれることが、幸せだと思っていたの」
「……違いましたね」
「そうね」
神様は頷いた。
「あなたが教えてくれた」
神谷は少し考えた。
「……俺も、七瀬に教えてもらいました」
神様は微笑んだ。
「いい人に出会えたわね」
「はい」
「じゃあ、最後に一つだけ」
神谷は身構えた。
「……また能力ですか?」
「違うわ」
神様は笑った。
「恋人の誕生日、忘れないでね」
「最後までそれ!?」
白い空間が光に包まれた。
神谷は笑いながら目を覚ました。
もう、神様に会うことはないかもしれない。
でも、それでいい。
これからは、自分で選んだ人生を生きていく。




