第四話:境界線の崩壊
夜。
「……はあ……」
神谷 恒一は自室のドアにもたれかかった。
「マジで疲れた……」
鍵をかける。
ガチャ。
確認。
「……よし」
靴を脱ぎ、部屋に入る。
「……静かだな」
当たり前のことに、妙に安心する。
(昼間のあれは……完全にアウト寄りだろ)
頭を抱える。
「“見てた”って何だよ……」
スマホを見る。
未読メッセージ、12件。
「……誰だよこんなに」
開く。
『無事帰れた?』
『今どこ?』
『さっきの人と一緒?』
『返事して』
『なんで返事くれないの?』
「……同じ人かよ」
背筋が冷える。
「いやいやいや……」
そのとき。
――カタン。
「……?」
小さな音。
「……気のせいか?」
キッチンの方を見る。
暗い。
「……」
一歩、近づく。
「……誰かいる?」
自分でも、声が低くなる。
返事はない。
「……だよな」
苦笑しかけた、その瞬間。
「いるよ」
「――っ!?」
声。
後ろ。
振り向く。
「……なんで……」
そこに、いた。
昼間の彼女。
「どうやって入った」
「合鍵」
「持ってないだろ!?」
「作った」
「犯罪だろそれ!?」
「でも必要だったから」
「必要じゃねえよ!」
距離が近い。
異常に近い。
「会いたかった」
「昼会ったばっかりだろ!?」
「足りない」
「足りるわ!」
「足りないの」
真顔。
笑っていない。
「……出てってください」
「やだ」
「出てってください」
「やだ」
「警察呼びますよ」
「呼べばいい」
「……」
「でもその前に」
一歩近づく。
「ちゃんと話して」
「……何を」
「なんで、あの人といたの」
「……は?」
「私がいるのに」
「……」
(やばい、話が通じてない)
「俺たち、まだ知り合って二日目です」
「関係ない」
「大いにある!」
「ない」
「あります!」
「ない」
平行線。
そのとき。
スマホが鳴る。
「……っ」
着信。
昼間、もう一人の女性。
「出て」
「……は?」
「出ていいよ」
「……」
「逃げないから」
「信用できるか!」
「じゃあスピーカーにして」
「なんでだよ!」
「聞きたい」
「無理!」
「聞きたい」
「無理です!」
「……」
沈黙。
視線が刺さる。
「……わかったよ」
神谷は、通話を取る。
「……もしもし」
『神谷くん!?』
「はい」
『今大丈夫!?』
「……まあ、一応」
『今さ、家の前にいるんだけど』
「……は?」
『なんか、嫌な感じして』
「……ちょっと待て」
血の気が引く。
「家の前って、マジで言ってます?」
『うん』
「……」
ゆっくり、目の前の彼女を見る。
「……お前」
「なに」
「来るって知ってた?」
「うん」
「なんで」
「だって、さっき連絡してたから」
「……見たのか?」
「うん」
「どこで」
「ここで」
「……」
(終わってる)
『神谷くん?どうしたの?』
「……今、出れません」
『え?なんで』
「ちょっと……トラブルで」
『トラブル!?』
「すみません、後で――」
通話を切る。
「……」
静寂。
「……これ、ほんとにヤバいぞ」
「ヤバくない」
「ヤバい!」
「大丈夫」
「何が大丈夫なんだよ!」
「私がいるから」
「それが原因だよ!」
「……」
彼女は、少しだけ首を傾げる。
「ねえ」
「なんですか」
「なんでそんなに怖がるの」
「……」
「好きなだけなのに」
「……度が過ぎてる」
「過ぎてない」
「過ぎてる!」
「……」
そのとき。
――ドンドン!!
「神谷くん!!」
「……っ」
ドアの外。
もう一人の女性。
「いるんでしょ!?開けて!」
「……最悪だ……」
「開けないで」
「……」
「開けたら」
「……」
「壊れるから」
「もう壊れてるよ!」
「壊れてない」
「壊れてる!」
ドンドン!!
「神谷くん!!大丈夫!?」
「……」
(どうする……)
頭の中で、あの声が響く。
『観察しなさい』
「……っ」
(違いは何だ)
(こっちは暴走してる)
(外のやつは……まだ理性がある)
「……決めるしかない」
「なに」
「線を引く」
「……線?」
「そう」
神谷は、深く息を吸う。
「ここは俺の家です」
「うん」
「無断侵入は犯罪です」
「……」
「今すぐ出てってください」
「……やだ」
「出てってください」
「やだ」
「出ていかないなら」
「……」
「本当に警察呼びます」
「……」
初めて、表情が揺れる。
「……本気?」
「本気です」
「……」
沈黙。
ドアの向こうでは、まだ声がする。
「神谷くん!!」
「……」
彼女は、ゆっくり後ろに下がる。
「……わかった」
「……」
「今日は帰る」
「……はい」
「でも」
「……」
「終わってないから」
「……終わらせます」
「終わらない」
「終わらせます」
「……」
数秒のにらみ合い。
やがて。
「……また来るね」
「来なくていいです」
「来る」
「来ないでください」
「来る」
「来ないでください!」
「……」
ふっと笑う。
そして――
「鍵、変えたほうがいいよ」
「……は?」
「もう合鍵いらないから」
「……」
ドアが開く。
出ていく。
すれ違いざま、外の女性の声が一瞬止まる。
――静寂。
「……はあ……」
膝が抜ける。
「……警察沙汰一歩手前だろ……」
ドア越しに声。
「神谷くん!?大丈夫!?」
「……はい」
「開けて!」
「……今開けます」
ゆっくり、鍵を外す。
「……」
(これが、“特級”かよ……)
手が震える。
「……洒落になってねえ」




