第三十三話:人の感情を売る会社が存在した
一週間後。
神谷と七瀬は、大学の担当者から新しい資料を見せられた。
「人間関係研究会について、公開情報の範囲で調べました」
資料には、複数の関連会社の名前が並んでいた。
イベント企画。
広告代理。
人材紹介。
市場調査。
どれも、単独では珍しくない業種だ。
「……普通の会社に見えますね」
神谷が言った。
担当者は頷く。
「表向きはそうです。ただ、共通する役員や連絡先があり、同じ団体につながっている可能性があります」
七瀬が資料を指差した。
「この会社、前に神谷くんに接触した男の名刺と同じ名前」
「はい。ただし、会社側はその人物を社員だと認めていません」
神谷はため息をついた。
「また偽物か……」
担当者は続けた。
「ここから先は、大学だけで調べられる範囲を超えています。脅迫や無断撮影の記録は、すでに警察への相談資料にまとめています」
「分かりました」
神谷は資料を受け取った。
昼休み。
二人は学食の端の席に座った。
「……人の感情を売る会社、か」
神谷が呟く。
七瀬は首を傾げる。
「売るっていうより、感情を動かして利益を得ようとしてるんじゃない?」
「たとえば?」
「広告。イベント。商品を好きにさせて買わせる」
神谷は顔をしかめた。
「それ、俺が第12話で断ったやつだ」
「うん。だから、あの男は組織の一部だったのかも」
神谷はノートを開いた。
『能力者の勧誘』
『能力の商業利用』
『拒否した相手への脅迫』
『七瀬への監視』
書いていくほど、気分が悪くなった。
「……これ、放っておけないな」
七瀬が箸を止める。
「放っておかない。でも、私たちだけで解決しようとしない」
「分かってる」
「本当に?」
「……努力します」
「第6話から進歩してない!」
二人は少し笑った。
そのとき、学食のテレビで企業イベントのニュースが流れた。
『新商品の体験会で、来場者の購入意欲が大幅に上昇――』
神谷は何となく画面を見た。
会場のロゴに、見覚えがある。
「……あれ」
七瀬も顔を上げた。
イベント運営会社の名前が、資料に載っていた企業と一致している。
「偶然かもしれない」
七瀬が言った。
「うん。でも、気になる」
神谷はテレビの画面を写真に撮ろうとして、止めた。
放送局のサイトで記事を確認したほうが正確だ。
スマホで検索すると、イベントの記事が見つかった。
来場者の満足度は九割以上。
購入希望率は通常の三倍。
数字だけ見れば、成功した企画だった。
しかし、記事の写真には、会場の隅で来場者を見つめる一人の女性が写っていた。
「……朝倉さん?」
七瀬が覗き込む。
確かに似ている。
だが、画像は小さく、断定できない。
「これだけじゃ証拠にならないね」
「うん」
神谷は記事のURLと公開日時を保存した。
「相談室に共有しよう」
「そうしよう」
その夜、神谷は一人で考えた。
自分の能力があれば、商品を好きにさせることはできるかもしれない。
でも、買った人はどうなる。
あとから冷静になって、なぜ買ったのか分からなくなるかもしれない。
家族と揉めるかもしれない。
借金をするかもしれない。
(……俺の能力で、そんなことをさせるつもりなのか)
スマホが震えた。
佐伯からだった。
『お前、七瀬さんと仲直りした?』
神谷は苦笑した。
『少しずつ』
すぐに返信が来る。
『じゃあデートしろ。
人間関係はメンテナンスが大事』
「……珍しくまともなこと言うな」
さらに一通。
『俺の恋愛経験はゼロだけどな』
「説得力返せ!」
神谷は笑った。
そして七瀬にメッセージを送った。
『今週末、時間ある? 普通に出かけたい』
しばらくして返事が来る。
『普通って、能力対策なしのやつ?』
『うん。
二人で』
『……考えておく』
神谷は画面を見つめた。
断られたのかと思った。
だが、数秒後。
『うそ。
行く』
翌日、神谷は大学図書館の新聞データベースを調べていた。
七瀬が隣に座る。
「何してるの?」
「関連会社の名前を調べてる。公開記事だけ」
七瀬は画面を覗いた。
「……過去にも似たイベントがあるね」
「うん。ただ、普通の広告効果かもしれない」
神谷はメモを取った。
『確認できる事実:イベント開催、会社名、記事の数値』
『推測:能力の使用』
七瀬は頷いた。
「ちゃんと分けてる」
「第10話で学んだからな」
神谷は画面を閉じた。
「これ以上は俺たちが勝手に調べても限界がある。相談室に渡す」
「うん。それがいい」
図書館を出ると、空が赤く染まっていた。
神谷が言う。
「……でもさ。あの人たち、本当に何がしたいんだろう」
七瀬は少し考えた。
「人の気持ちを動かせるなら、お金だけじゃなくて、立場や評判まで手に入れられる」
神谷は足を止めた。
「……選挙とか?」
「そこまでできるかは分からない。でも、悪用の範囲は広いよね」
神谷は頷いた。
自分が嫌われないようにするだけで精一杯だった能力が、誰かの手に渡れば、もっと大きな問題になるかもしれない。
「……絶対、協力しない」
七瀬は笑った。
「それは分かった。だから今日は帰ろう」
「まだ五時だけど」
「五時だから帰るの。大学生は睡眠も大事」
神谷は肩をすくめた。
「急に保健室の先生みたいだな」
「ジュース一本で相談に乗る先生だよ」
「その料金制度、まだ続いてたのか!」
帰りの電車で、神谷は広告を見上げた。
『あなたの毎日を、もっと幸せに』
どこにでもある宣伝文句だった。
以前なら、何も考えずに読み流していたはずだ。
だが今は、もし誰かがその言葉を好きになるよう操作されていたら、と考えてしまう。
七瀬が隣から言った。
「広告、全部疑うつもり?」
「……顔に出てた?」
「すごく」
神谷は苦笑した。
「普通の宣伝と、能力を使った誘導って、どうやって見分けるんだろう」
七瀬は少し考えた。
「分からないからこそ、決めつけないことが大事なんじゃない?」
「……そうだな」
神谷は窓の外を見た。
人の多い街には、いろいろな欲望がある。
何かを売りたい人。
買いたい人。
誰かに認められたい人。
それ自体が悪いわけではない。
ただ、その選択が自分のものではなくなる瞬間が、恐ろしい。
「……俺、七瀬さんが自分で選んでくれてよかった」
七瀬は一瞬、言葉を失った。
「……電車でそういうこと言わないで」
「何で?」
「顔が熱くなるから」
神谷は窓に映った七瀬の横顔を見て、慌てて視線を逸らした。
神谷は声を出して笑った。
誰かの感情を操る会社があっても。
誰かが自分の能力に値札をつけても。
このやり取りだけは、誰にも売り渡したくなかった。




