第二十一話:線を引く者
昼休みの中庭は、もう以前のような“雑音の空間”ではなかった。
むしろ、特定の一点だけが異様に浮いている。
神谷と七瀬。
そして、それを遠巻きに観察する視線の群れ。
「……来たな」
七瀬が小さく呟く。
神谷が視線を追うと、すぐに分かった。
昨日の“中心人物”の女子が――一人で歩いてきている。
今度は、仲間はいない。
完全に、意図的な距離だ。
「……一人か」
神谷が言う。
七瀬は動かない。
「多分、そういう回」
「回ってなんだよ」
女子はまっすぐ神谷の前で止まる。
そして、軽く笑った。
「ねえ、少し話せる?」
「昨日の続き?」
「うん」
神谷は一瞬だけ迷って――
七瀬を見る。
七瀬は、肩をすくめた。
「行ってきなよ」
「いいのかよ」
「別に。私は関係ないし」
その言葉に、女子が反応する。
「ほらね」
「やっぱそういう関係なんだ」
神谷は小さく息を吐いた。
そして立ち上がる。
「……少しだけな」
中庭の端。
距離が取られる。
七瀬の姿が小さくなる。
女子は、そこでようやく本題に入る。
「単刀直入に言うね」
「七瀬さん、やめたほうがいいと思う」
「は?」
神谷の声が低くなる。
女子は一切ひるまない。
「だってさ」
「あなた、あの人といると面倒増えてるでしょ」
「噂も、視線も、全部」
「正直、得してないじゃん」
神谷は黙る。
女子は一歩近づく。
「それでさ」
「提案なんだけど」
「私と一緒にいたほうがいいよ」
空気が止まる。
「……は?」
「ちゃんと普通だし」
「変な噂もないし」
「あなたにとっては、そっちのほうが楽だよ」
神谷はゆっくり息を吐く。
「それが言いたいこと?」
「うん」
「七瀬を外せって?」
女子は頷く。
「そう」
「あなたが壊れていくの、見てられないから」
その瞬間だった。
神谷の中で、何かが静かに切り替わる。
(ああ)
(こいつは違う)
(“好意”じゃない)
(“所有”だ)
神谷は女子を見たまま言う。
「一ついいか」
「なに?」
「俺のこと、勝手に決めるな」
女子は少しだけ笑う。
「でも実際、そうでしょ?」
「七瀬さんといるの、しんどいでしょ?」
神谷は首を横に振る。
「違う」
即答。
「しんどいのはそこじゃない」
一拍。
「お前みたいに、勝手に他人の関係に踏み込まれることだ」
女子の表情がわずかに止まる。
神谷は続ける。
「俺の問題を、勝手に“最適化”するなよ」
「……じゃあ聞くけど」
女子は声を落とす。
「七瀬さんは、あなたをちゃんと見てる?」
その瞬間。
神谷の中に、また別の引っかかりが刺さる。
(見てるかどうか)
(それは――)
だが、そこで考えを切る。
「それも関係ない」
女子が目を細める。
「関係ないわけないでしょ」
「あるよ」
神谷は一歩前に出る。
距離が逆転する。
「でも、それを決めるのは俺だ」
沈黙。
中庭の空気が、少し変わる。
七瀬の方で、微かに視線が動いた気がした。
女子は小さく息を吐く。
「……じゃあさ」
「最後に聞くね」
「なに」
「あなたはどっちなの?」
「七瀬さん側?」
「それとも、私側?」
神谷は即答しなかった。
一秒。
二秒。
そして――
「どっちでもない」
女子の眉が動く。
神谷は静かに言う。
「俺は俺だ」
一拍。
「それ以上でも、それ以下でもない」
女子は少しだけ笑う。
「逃げてるだけじゃない?」
「違う」
神谷は即座に否定する。
そして、はっきり言った。
「これは俺の問題だ」
一歩。
「君に興味ない」
空気が、完全に止まる。
女子の表情が一瞬だけ揺れる。
だが、すぐに戻る。
「……そ」
「じゃあいい」
軽く背を向ける。
「後悔しないでね」
そのまま去っていく。
神谷はその背中を見送らずに、立っていた。
数秒後。
七瀬が近づいてくる。
「終わった?」
「ああ」
短く返す。
「手を繋げば一時的に解決するけど繰り返しだもんね」
七瀬は横に並ぶ。
「で?」
神谷は少しだけ間を置いてから言う。
「線、引いた」
七瀬は少しだけ目を細める。
「珍しいね」
「そうか?」
「うん」
少しだけ沈黙。
風が通る。
中庭の空気が、さっきより静かになっている。
でも――
完全には戻っていない。
神谷はゆっくり言う。
「これ、俺の問題だもんな」
七瀬は一瞬だけ黙る。
そして。
「今さら?」
軽く笑った。
でも、その目は少しだけ違っていた。




