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12 母親の暴力


 次の日、エルクはクルトから買ってもらった靴を履いて部屋を出た。


 まだ寝ている両親の部屋を横切り、朝食を作るために台所に立つ。窓からは、上り始めたばかりの太陽の光がまっすぐに差し込んでいた。


 やがてエルクが朝食を完成させ、食卓に並べ終わる頃、両親が起き出してくる。


 母親はエルクを一瞥し、何も言わずに食卓についた。父親に至っては、エルクの存在をはなから無視している。


 彼らは会話もないままめいめいエルクの作ったものを食べ始めた。

 エルクは食事の同席を許されていない。エルクがいると食事がまずくなると以前母親は言っていた。

 そのため、いつもエルクは両親が食べ終わった後に食べるか、食事を作る合間に簡単に食べているだけである。


 いつも通りの光景が、クルトと会った後だとより寂しい。


(靴のこと、何も言われなかった。きっと私がなくしたことすら忘れているんだわ……)


 それもまた切ないが、怒られないだけましだと結論付けて、エルクは次の仕事である玄関掃除をするためにその場を後にした。



 しかし、平穏だったのは玄関掃除を終え、朝の水汲みを終わらせたときまでだった。


 エルクは家に入ろうとしたところを、母の渾身の平手打ちで阻まれた。

 焼きゴテを当てられたかのように痛む頬を抑え、エルクは地面に倒れ伏す。

 おそるおそる母を見上げれば、母親はエルクを視線だけで殺せそうなほどの目つきで睨みつけていた。


「お前、あんなに言ったのに、おととい聖騎士様のご一行を見に行ったね……?」


 母の言葉にエルクはひゅっと息をのむ。

 肯定するかのようなエルクの反応に、母親はますます目を吊り上げて、倒れたままのエルクを勢いよく踏みつけた。


「どうして言いつけが守れないんだい!?お前が余計なことをするから、隣の家の婆にお前がまだ生きてることがばれちまったじゃないか!!」


 母親は怒鳴りながら、エルクを何度も何度も踏みつけた。


 エルクは必死で体をかばいつつ、心の中で反論する。


(お母様、この村の人はみんな私がまだこの家にいることを知ってるわ。みんな波風を立てないようにお母様たちに話を合わせているだけよ)


 エルクの両親はいつもこれだけエルクを中でも外でもこき使っているのだ。

 姿を全く見られないことなど難しい。


 それでも、エルクと目が合うとみな何も見なかった顔をして目を逸らす。話題にも出さない。

 それはエルクの両親のためでもあるし、村の平穏のためでもあるように見えた。


  隣に住む老女は最近痴呆が進行してきていたため、たまたま街道で見かけたエルクのことをうっかり両親に尋ねてしまったのだろう。


「ハズレのむすめを掴まされたあたしの気持ちになってみろ!くそっ!娘が転生者だからって、クラウゼのとこのバカ女め、散々自慢しやがって!」


(テンセイシャ……?)


 母親は言い終わってからも、しばらくエルクを蹴り続けた。

 その間エルクは耳慣れない言葉に疑問を持ちながらも、丸くなって耐えるしかない。


 エルクの腕や背中があざだらけになるころ、やっと母親は疲れたのか蹴るのをやめた。

 

 エルクは痛みからか悲しみからかわからない涙を流しながら静かに顔を上げる。

 母親は欠片も心配していない様子でエルクに尋ねた。


「聖騎士様のご一行には会わなかっただろうね?」


(聖騎士っぽい人一人には会ったけれど……一行には会ってないわ)


 エルクが小さく首を横に振ると、母親はふん、と鼻を鳴らして何も言わずにエルクの横を通り過ぎ、外に出て行った。



******


 その日の夜、エルクは湖に行こうか悩んでいた。


 あざだらけの顔や体を見られたら、きっとクルトを心配させてしまうだろう。

 エルクはクルトにこんなみじめな姿を見られたくなかった。


(だけど……もしかしたら、今日もクルトは私を座標にして飛んでくるかもしれない。そしたらどっちにしろ見られることになるわ。それなら外の方が暗くて見えづらいかも)


 エルクはどうしようか散々悩んだ末、結局湖でクルトを待つことにした。



 しかし実際には、エルクが湖に着いてみるとすでにクルトがそこで待っていた。


「やあエルク、遅かったね」


 クルトはぼーっと湖を眺めていたようで、エルクがたてた足音に反応してエルクの方を振り返る。


(もう来てたの……)


「え?あ、うん。やっぱり君を座標にして飛ぶのはやめた。君が着替え中だったりお風呂に入ってたりしたら困るからね」


 クルトがそんな気遣いをしてくれるとは思わなかったエルクは、今日初めて顔に笑みを浮かべる。

 そうしてみて初めて、表情筋が凝り固まってしまっていることに気が付いた。

 それくらい、今日は一日感情が動かなかった。


 ぎこちない笑みを浮かべるエルクを見て、クルトは首を傾げ一歩エルクに近付いた。


「どうしたの?なんだか元気ないね」


(あっ……だめ、近寄られたらばれちゃう)


 思わずそう考えながら後ずさったあと、エルクははっとなった。

 案の定クルトは怪訝な顔でエルクを見ていた。


「ばれちゃう?何が?」


 今までありがたいとしか思ってこなかったクルトの心を読む能力が、今日ばかりは憎い。

 これでは、隠したいのに自分でばらしてしまう。


(きょ、今日はもう帰るね……!)


 これ以上余計なことを考える前に逃げ出そう、と踵を返すエルク。

 しかし、エルクが走り出す前にクルトは素早くエルクと距離を詰め、エルクの腕を掴んだ。


(あっ、痛っ……)


 掴まれたところにも大きなあざができていたため、思わずエルクは言葉を漏らす。


「ごめん。このあざどうしたの?」


 クルトはすぐにエルクから手を離したが、あざはしっかり見てしまっていた。

 エルクの腕のあざのない部分を掴み直し、眉をひそめて続ける。


「よく見たらあちこちあざだらけじゃないか。顔もひどい。唇が切れてる。……何があったのか、もしよければ教えてくれない?」


 優しい声でなだめるように言われ、エルクは心に作った壁がどろっと溶けていくのを感じた。この先のことを考えたらこれ以上彼に寄りかかってはいけないとわかっていても、甘えてしまう。


 どうしても彼に嘘はつけなかった。


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