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9 ヒトミゴクウ

選定者として名を告げられたその瞬間から、私の世界のすべてが変わっていった。


ついさっきまで、ただの村娘だったというのに、周囲の大人は私を「■■様」と呼ぶようになった。私は否応なしに、あの寝殿造の社へと連れて行かれ、身体を洗われた後、敷布団と座布団、そしてコルタクの実が詰められた籠のある机――それだけが置かれた部屋に閉じ込められた。


外からかんぬきをされ、幽閉の身となった。それからは、用を足すときと、舞の稽古、そして朝夜の入浴時以外で、部屋の外に出ることは一切許されなかった。


トイレに立つ僅かな隙に確認したが、部屋の四方を囲うようにして常に侍女などの見張りが立っており、抜け出すことなど到底叶わないのだとすぐに理解した。話しかけても、予定などの呼び掛け以外で声が返ってくることはなかった。部屋の中に一切の会話はなく、ただ少しの寂しさを感じながら過ごす日々。


家に帰ることもできず、両親にすら会えないまま一週間ほどが過ぎた頃、私の身体に決定的な『変化』が訪れた。


――排泄を、しなくなったのだ。


尿意も、便意も、ある朝を境にピタリと感じなくなった。意識して出そうとしてみても、身体の奥が完全に閉ざされたように何も出てこない。


なぜ、と冷たい戦慄とともに思い至ったのは、毎日食べている「コルタクの実」のことだった。


これまでは野菜や麦などを調理したものを食べていたが、主食がコルタクの実のみに制限されてから、徐々に排泄の回数が減り、ついには完全に消失した。それ以外に理由は思いつかなかった。


私は自分の身体に起きた異常に、思わず底知れない恐怖と気持ち悪さ、不気味さ、そして、すべてが手遅れなのだという諦めを抱いた。


私の身体は、内側から変質してしまった。まるで、人間ではない生き物へと。


なら私は、一体何になったのだろう。何になろうとしているというのだろうか……。


それからは何一つ変わらない、死を待つだけの一年を送り――そして、現在に至る。


森へ入ってから十数分ほどの間、なんとか異中に襲われることもなく、真っ暗な道なき道を歩き続けていた。


一体、これはどこへ向かっているのだろう。この先に何があるというのか。このままずっと、森が続くのだろうか。それとも、本当にコルタクの下へと繋がる何かが実在するのだろうか――。そこまで考えて、己の馬鹿馬鹿しい思考に頭を振った。


そのとき、遠くから人の声が聞こえた気がした。


幻聴だろうか。そう疑いながらも周囲を見渡し、歩んできた道を振り返ったその瞬間、遥か彼方の闇の奥から、ひとつの橙色の明かりがゆらゆらと上下に揺れながら、こちらへ向かって来ているのが見えた。


すぐさま、傍らの木の影に身を隠した。息を潜める胸の奥で、自分でも驚くほど身勝手な「期待」が、微かに跳ねるのを感じていた。


だが数秒後、その明かりを掲げて近付いてくる三人の姿を捉えた瞬間、私の心は急速に冷え切れ、激しい落胆とともに木の影から姿を現した。


目の前に現れたのは、急いで走ってきたのだろう、肩を大きく上下させて酷く息を切らしている三人の男たちだった。


「良かった……。まだ無事だったんだな」


松明の炎で顔を赤く照らし、私の無事に安堵の表情を浮かべたそのリーダーらしき男は――確か、村長の実の孫であり、双子の兄の方。つい先ほど、私を森の入り口まで冷酷に送り届けたのが弟の方だったかな。


「間に合ってよかったんだな」

「ええほんとに」


そして、大きく太った男と、反対に細く小さな男の二人の取り巻き。

息を整えながら一歩近づいてきたので、私はすかさず一歩下がり、「待って」と言って手のひらを向け、彼らをその場で制止させた。


「何しに来たの?」


「そう警戒するなよ。俺達はお前を助けに来たんだよ」


「助けに?」


「ああ。選定者は常に部屋に閉じ込められるし、厳重に見張りが着いていた。それが無くなるのは祭りの最後、コルタクの下へと森の中に入った後しかないだろ」

「そうそう。見つからないよう、抜け出すの大変だったんだな」

「まぁ、助ける為ですから。これくらいの苦労、なんて事ないですけどね」


彼らの言う通り、私の監視が完全に無くなるのは、私が生贄として森へと足を踏み入れた後だけだ。そして、村の門前にほとんどの人間が集まっているとはいえ、村には最低限の見張りが残されている。

だから、たった三人とは言え、誰にも気づかれずに村を抜け出してここまで追ってくるのは、それなりに大変だったのだろう。――知らないけど。


「何で、私を助けに来てくれたの?」


単純な疑問だ。選定者は成人(十二歳)を迎えた者から選ばれる。そして選ばれるのは大抵、女だ。つまり彼ら男たちは、自分が選定者に選ばれる心配など最初からほとんどない。おまけに眼前の男に至っては、兄という立場ゆえにいずれ村長の座を継ぐ立場にある。普通にしていれば、村の中でそれなりに贅沢な生活を送れるはずなのだ。


私をどう助けるつもりなのかは知らないが、その道を捨て、あの村には二度と帰らないという選択を彼らはしたのだろうか?――それは、余りにも釣り合っていない。


だから、その真意を、私は聞き出さなければならない。


「前からずっと、おかしいと思ってたんだ。一人で森の中へ向かわせるなんて死ねって言ってるようなもんだろ。こんな事、間違ってるに決まってる!」


「そもそも、コルタク様が本当に村を訪れてるって言われても。私たちには見えないから、いまいちピンとしませんし」


「お供え物って言ってもさ、翌朝になっても全然減ってないし、無駄になってて、ずっと勿体ないって思ってたんだな。後で捨てるくらいなら、オデが全部食べちゃうのに」


最後の一人の食い意地の張った発言に、二人が「おい、違うだろ」と呆れたようにツッコミを入れて小突く。


「まあ、つまりなんだ……。いるかどうかも分からない奴のために、毎年一人の命を犠牲にするなんて、馬鹿のすることだ。だからそんなのは、俺たちの代で終わらせるんだよ」


「……どうやって?」


「俺たちも、ただ成人を迎えたわけじゃない。今日までの間に仲間を増やしたんだ。こうして抜け出せたのも、コイツらの他に、新しく戦士になった仲間がいるからさ。そいつらの協力があって出てこられた。告げ口されないよう、これからも少しずつ慎重に仲間を増やしていけば、今後も犠牲を無くせる。そして俺が村長になった時、俺だけじゃなく多くの声が上がれば、こんな馬鹿げたことは終わり、楽しい祭りに変わるはずだ。いや、俺が変えてみせる。――今日が、その始まりの時なんだ」


舞台の演説さながらに熱弁を振るう男の言葉を聞きながら、私は脳内で素早く状況を整理した。少数とはいえ、見張りが仲間ならそれ以外に気をつける必要はあるが、ほぼ出入りが自由になったと言っていい。そして彼の考え方で言えば、将来自分の大切な家族が選定者に選ばれる可能性があるなら、彼の考えに同調して仲間に加わるものは増えていき、きっと今の宣言を果たすだろう。


「そっか……。色々と頑張ったんだね。助けに来てくれて、ありがとう」


私は、とびきりの笑顔を向けて彼らに感謝を伝えた。少女からの感謝の言葉に、男たちは「いいってことよ」と急に互いの顔を見合わせ、照れくさそうに頭を掻いたりして相好を崩した。


「助けに来てくれたのは分かったけれど、さすがに私は村に帰れないでしょ。それはどうするの?」


「ああ、それなら俺たちが所有している倉庫があるから、当面はそこに隠れて住んで貰うことになるな。バレたらまずいから外出とかは出来ないが、そこは安全のためだ、理解して我慢してもらうことになるが……」


「トトとカカに会えないのは寂しいけれど……。まぁ、仕方ないわね……」


「……すまないな」


「いいえ。貴方は悪くないわ」


「それじゃあ森の中は危険だからな。安全のために一緒に行こうか」


「ええ」


男が差し伸べる手を見て、和やかに微笑んで答え、一歩を踏み出した。


――その瞬間。


鋭い回頭で真後ろへと完全に身体を反転させた。男たちとは真逆の方向――不気味に口を開ける、深い、深い森の奥の方へと向かって、全速力で駆け走った。


唐突なその出来事に、差し伸べた手を虚空に残したまま、男たちはただ呆然とその背中を見送るしかなかった。

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