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13 ヒトミゴクウ

「ひっ……あ、ああ……ッ!?」


目の前に佇むおぞましきそれに向かって、取り巻きの一人の口から、あまりの恐怖に情けない悲鳴が漏れ出た。


「お、落ち着け! たった一体だ。思い出せ、俺たちはこれまでに、異中を何体も倒してきただろうが!」


リーダーの男は幾分か冷静さを保ち、動揺する仲間を怒鳴りつけるようにして声を掛けた。


「ただ不意打ちを受けただけで、あいつの攻撃は大したことないはずだ。その証拠に、頭をやられたあいつが、まだ生きてピクピク動いてるだろ!」


「そ、そうですね……。はい、そうです、大したことない……!」


リーダーの力強い言葉に、取り巻きもどうにか落ち着きを取り戻していく。

彼らの歪んだ経験則からすれば、異中の不意打ちをまともに食らえば人間などほぼ即死するはずだった。

それゆえに、二人はこの異中の力は大したレベルではない、不意打ちでなければ、数撃は耐えられるはずだと、都合よく結論づけたのだ。


本来、通常の熊一頭を相手にしても、人間が肉薄して生身で戦い勝つのは至難の業。ましてや、この世界にはそれよりも遥かに恐ろしく凶暴な『異中』が跋扈ばっこしている。


そんな絶望的な化け物を前にして、人間である二人が、未だにこれほどの自信を抱き続けられるのには――明確な理由があった。


二人は地を蹴って後方へ跳び、即座に異中を正面の視界へと捉え直した。リーダーの男は腰の剣を、もう一人は低く這わせるように槍を構える。

そのまま異中を中心とした円を描くようにして散り、およそ二メートルほどの距離を保った真横から、挟み込むようにして位置取った。


完璧な挟撃の陣を敷かれてなお、異中には焦る様子など微塵もなかった。これから始まる遊びに想いを馳せる子供か――あるいは、犬のように楽しげな表情を浮かべ、左右の二人をキョロキョロと頭を動かして見つめている。


――だが、ある変化を境に、異中の頭の動きがピタリと止まった。リーダーの男が突き出した、その武器へと完全に視線が固定される。


男が構えた剣の切っ先は、まるで独自の生命を宿しているかのように小さく揺れ動いていた。左右へ、あるいは円を描くように不規則にのたうつ刃は、松明の橙色の光を乱反射させながら、獲物を前にして濡れた舌を這わせる毒蛇のようだった。


これは、戦士として異中との戦いを想定した過酷な教育から学び取った、対化け物用の戦闘技術。


ただの無機質な鉄剣であっても、先端が動くだけで他の生物にはそれが「生き物」に見え、揺れ続ける刃先は正確な位置の把握を困難にさせる。それによって野生の本能へ強制的に警戒心を植え付け、攻撃を躊躇ちゅうちょさせて容易には近づけなくさせるのだ。


何より、この世界に蠢くほとんどの異中には、激しく動くものを執拗に追う追尾本能が刻まれている。男の狙いは完璧に嵌まった。目の前の異中の意識は今や、ゆらゆらと動く切っ先へと、完全に釘付けになっていた。


ーーここだ!神衣(カムイ)


男の力強い一歩の踏み込み。それは一瞬にして異中との剣の間合いへと入り込み、鋭い突きが放たれる。


――神衣。


それは、人類が異中に対抗するため、コルタクの神より授けられたとされる恩寵。この世界の人類の「戦士」と呼ばれる役職に就くための、絶対の条件でもあった。

神衣は、神への深い信仰と死線を超える厳しい訓練を経て、ようやくその身に宿すことができる超常の力とされている。

その発現能力は個人によって差がある。発動時に一時的に、肉体の強度、力、反射神経、動体視力のいずれかが向上する。先ほど彼らが暗闇の深林で正確に少女へ槍を突き刺し、すぐさま追いつくことができたのも、この神衣の力を使った恩恵によるものだった。


力の覚醒によって放たれた突きは高速で、切っ先のフェイントに目を奪われていた異中は、この唐突な緩急の変化に反応できていないようだった。


――いや。男にとって、この渾身の一撃はかわされても一向に構わなかった。


異中の完全な視界の外、その背後から、もう一人の男が神衣を宿した絶妙なタイミングで、槍の一撃をすでに解き放っている。


リーダーの男の剣による突きは意識の誘導であるため、すぐに防御か回避とカウンターに備えられており、敵の視界外から確実に最初の一撃を叩き込み、意識がそちらへ向いた瞬間に、もう一方が致命の追撃を見舞う。それこそが、彼らの常套手段。

たとえ一人減っているとはいえ、神衣を宿した二つの方向からの同時挟撃は強力に違いないはずだった。


だが――眼前の異中は、微動だに動く気配すら見せなかった。


カウンターを繰り出してくる予兆が一切ないことに、男の胸に一瞬の疑問が過る。しかし、攻めない手はない。


そのまま前後から同時に剣と槍の突きが鋭く解き放たれ、完璧な精度で異中の頭部と脚を捉えた――はずだった。


――ヌルッ。


確かに、切っ先が怪物に当たった感触はあった。

だが、手応えが全く存在しない。


それはまるで、実体のない水面に向かって全力で突きを放ったかのようで……。


必死の手応えを完全にすかされ、困惑に歪むリーダーの男の表情。異中は再び「ンナッ」と仔猫のように間の抜けた声で鳴いた。


――ドバキィッ!!!


何が起きたのかを捉えさせる間もなく、背後を狙った男の身体が、まるで紙切れのように奥へと吹き飛ばされた。

反撃を予期したリーダーの男は、神衣の反射神経を限界まで絞り出し、左腕を顎の位置まで瞬時に跳ね上げていた。直撃のコースをどうにか腕の防具で防御することに成功し、凄まじい衝撃に顔を歪めながら後方へと激しく転げながら後退ずさる。


吹き飛ばされた男は、最初に不可視の衝撃を浴びた大男と同様に巨木の根元へと転がり、ピクピクと全身を不気味に痙攣させていて、もはや動けそうにない。


その無惨な戦況を遠目で確認し、リーダーの男は切っ先を正面の異中へと再び向けたまま、先ほどと同じように円を描くようにして、ジリジリと横へ動き……。


――そして、次の瞬間。


男は突如としてきびすを返し、全力のスピードでその場から猛ダッシュで離脱した。


男はその場の獲物(しょうじょ)を、仲間を容赦なく見捨て、脱兎のごとく逃走する選択をしたのだ。

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