97 精霊騒動【南方遠征、みんなで南へ行こう!12】
ユリがクレアと内緒話していたら、ウルフが驚くことを言いだした。
「昨日からずっと、南の街から王都に向かう馬車にも伝令にもすれ違ってないが、それが関係しているのか?」
「そういえば見てないわね」
「私、全然気にしてませんでした。すれ違うはずだったっていうなら、南の街の馬が全部出払っちゃったんでしょうか?
でなかったら、いろは坂みたいに上りと下りで道を分けてるとか」
「そんなわけないでしょ!
だいたい、いろは坂ってどこの坂よ!」
「じゃあ、この先でも崖崩れがあって道が塞がってるとか?」
「その可能性なら無くはないが、どうだろうな」
「ダイダラボッチとか砂食王あたりが道を塞いで昼寝してるっていうのも、あるかもしれませんね」
「あのなあ、ダイダラボッチってのが何なのか知らんが、砂食王は砂漠地帯にしか出現しないから、あいつがこの街道に出ることはないぞ。ただ、この先で別の魔物が待ち構えている可能性は十分にあるな」
その後もいろいろと話し合ったが、議論の結論が出ることはなかった。
* * *
昼休憩の後、再び出発して数時間、ユリたちの乗った馬車は、周囲を警戒しながら進み、いよいよ南の街が見える辺りまで来ていた。
ユリは、南の街に入る前の景色のことを、あらかじめアルバートから馬車の中で訊き出していた。それによれば、南の街は石作りの城壁に囲まれ、その北側には幅六十メートルほどの川が流れているという。元々は自然の川だったものを、定期的に浚渫して水堀としての機能を保つようにしているそうだ。そして、大きな石橋を渡って街に入る構造になっていると聞いていた。
その話を聞いたとき、そんな構造物をこの国の人間に造れるものかとユリは思った。石橋と言うのは、ただ石を積めばいいというものではない。崩れないように積むには、経験に基づく高度な技術を要する。それに対し、王都にあった最近建てられたと思しき建造物は、それほど高度な造りではなかった。
それに、設計技術だけあればいいというわけでもない。石を切り出すところから始め、それを運び、川の水を堰き止め、足場を組んで石を積み、積んだらまた足場を組みなおして石を積む。膨大な予算と大勢の人足、それも熟練の職人が必要だ。
その疑問を示したら、城壁も橋も、その建造は数百年前のことで、今は補修を繰り返して現状を保っているのだという。
「古代ローマのファブリキウス橋だって紀元前数十年の頃に造られてたんですから、十分にありうることですね。この国が建国された数百年前は、奴隷やそれに近い立場の人間が大量にいたから出来たんでしょう。
その頃の橋が今も残っているのは、川の流れが静かで、流されることがなかったんでしょうね」
と、そんなことも言っていた。
しかし、さらに馬車で南の街の城壁に近づいたとき、話に聞いていた、その手前にあるはずの川や橋がなかった。それに城壁のデザインが城壁らしくない。
それを見たマリエラとミラが怪訝な顔をしている。他の南の街に来たことのある乗客も同様だ。ユリは、彼らが川や橋が無くなっていることを気にしているのかと思ったが、じつはそうではなかった。
「ちょっと、ウルフ!
前を見てよ。何なのよ、あれ」
マリエラの言葉で、後方警戒していたリーダーのウルフが前方を見回して叫ぶ。
「ジェイク! 馬車を止めろ!」
ユリたちは、街の数百メートル手前で止まった馬車から降りると、改めて街道を塞ぐ正面の壁を見る。街道はその壁で突き当たるように途切れていて、そのすぐ手前では、先行していた馬車が何台も立ち往生している。街道の脇に移動してテントを張っている人たちがいるところを見ると、だいぶ前からそうなっているようだ。
ここにきて漸くユリは、それが城壁ではないことに気がついた。壁の前にいる馬車や人と比べて、その高さが十五メートルほどあることが分かる。
(川の手前にあるってことは堤防?
でも、あれが堤防なら、法面が急斜面だから、ジグザグの坂で上れるようにしてないといけないのに、それが無いのよね。階段もないし。完全に街道を塞いじゃってる。街を広げて、城壁か土塁を新設してる途中なのかな)
そうユリは考えていた。
念のためAI搭載ドローンのドロンチョにも訊いてみたが、判断不能だという。
(どういうこと?)
「面白いものがいるじゃない」
そう言ったのはクレアだ。
「いるって、壁があるだけですよ。
言葉は正しく使ってくださいね。生き物じゃないんだから」
「生き物よ。見て判らないの?」
「はっ?」
「これは多分、大蛇の魔物の類ですね。
聖獣、あるいは幻獣の可能性もありますけど」
こんどの発言はアルバートだ。
「なに!」
「「えええええっ!!」」
「あら、まぁ」
「ふむ」
言われてみれば、その壁だか堤防だかの表面には草が生えておらず、青緑を帯びた金属光沢で陽の光を反射していた。それを直接見ていても分からないが、地面に映った反射光をよく見れば、微かだが波打っていることが分かる。
あれが胴体だとすると、頭と尻尾が東の地平線の先と西の地平線の先にあるので、全長が十キロメートル以上はあるだろう。地面の上に見えているのは十五メートル程の高さだが、斜面になっていることを考えると、胴体の大半は地面の下にあって、胴の太さは最低でも五十メートル。へたをすれば百メートルを超えている可能性もある。
(さっき、砂食王が横たわってるんじゃないかって思ったのも、あながち間違いじゃなかったんだ……)
ユリがあんぐりと口を開けて、その光景を眺めていると、アルバートが言った。
「ヨルムンガンド、ヨルムンギャン、ヨムンゲン。近隣の国によって微妙に呼び方が違うんですが、北欧神話に地球規模の大蛇の伝説があります。また、ギリシャ神話にも、ゼウスに逆らった下半身が蛇の怪物テュポンが逃げたときの跡が深い谷となって川になったという話があります。
中国の黄河や長江も、大蛇や竜の這った跡だという伝説がありますし、日本の信濃川や天竜川で似たような伝説が残されています。川ではありませんが、山より大きな大太法師の足跡が湖になったという伝説の残っている場所もあります。
そんなことが現実にあったとは思いませんが、今、目の前にいるのは、そういった伝説の元になったような大蛇か何かでしょう。
この国での呼び名は知りませんが、頭と尻尾、始まりと終わりが見えてないので、ウロボロスのような存在なのかもしれません」
「ウロボロスですか?
そもそも本当に蛇なんですか? あれ。
頭が見えてないから、ナマコの親戚かもしれませんよ。
それに、笄蛭じゃあるまいし、細長過ぎませんか?
あとですね、蛇は爬虫類なんですから、あんまり長いと酸素や栄養が尻尾の先まで届きませんよ」
太さ数十メートルの生物を細長いと表現するのはどうかと思われるが、全長十キロを超えるとなれば、全体像として細長いと言うのは間違っていない。ただ、生物としてありえないという考察は、砂食王が存在している時点で、魔物には当てはまらないのであった。
「盲目の男が象の身体の一部に触れているようなもので、それだけで全体像を想像するのは無理なんだけど、多分あれは蛇でしょうね。
一枚一枚が大きすぎて分かりにくいですが、よく見れば鱗もあります。
酸素や栄養は……、そうですね、普通の大蛇なら全長十メートルが限度でしょう。ただ、六千万年前に生息していたと言われるティタノボアは最大十五メートルあったっていいますし、一億年前に生息していたアルゼンチノサウルスは化石から全長四十メートル以上あったようです。それでも数十メートルが限度で、十キロは桁が違い過ぎますよね。現実を超越した存在だから、生物の限界は適用されないとしか言いようがありません」
「あれって、いつからいるんでしょうね?」
「馬車の溜まり具合からして、二日前あたりからでしょうね」
「地響きの原因はこいつだったってことか。
だが、今は全然動いてないし、動き出す様子もないな」
「死体ってことはないですよね?
死体ならガス抜きしないと大変なことになりますよ」
ユリは、海岸に打ち上げられた鯨の死体が、腐敗した結果、腹に溜まったガスで爆発する動画を見たことがあるのを思い出していた。
そのユリの発言により、ウルフたちは壁に手で触れられる距離まで近づいて様子を見ようとし、クレアは既にべたべたと触っていた。
「ちょっと、クレアさん。魔物だからって乱暴に触らないでくださいよ。殴りつけるなんて、絶対に駄目ですからね。爆発するかもしれないし、怒らせたら数キロ先にある頭が文字通りマッハで襲ってくるかもしれないんですから」
「そうなったら、避けてもソニックブームで吹き飛ばされますね。地震も起きるかもしれません」
ユリとアルバートがそう言うと、クレアが怒ったように返す。
「あんたたち、巫山戯たこと言ってるんじゃないわよ。
そんなことより、この子、死にかけてるわよ」
「じゃ、やっぱり爆発するんですか!?」
ユリは、クレアの言い方が邪気のある魔物に対するものじゃないことも気になったが、まずは『死にかけてる』ことを心配した。
「ここはお尻の穴より尻尾側で、内臓がないから爆発はしないですね。爆発するのは内臓のある部分です」
そうアルバートが説明する。どうして尻尾側と分かったのかは問い質したいところだ。
「言い方が悪かったわ。
死にかけてるんじゃなくて、石化しかかってる」
「えっ?
メデューサもバジリスクもコカトリスも、石化するのは相手ですよね?
なんで自分が石化しようとしてるんです?」
「知らないわよ。
ただ、この子は邪気が全くないの」
「そんなことより、この後どうするの?
さすがにこんなの退治できないでしょ。
それに、街にはどうやって行くの?
ユリに橋でも掛けてもらう?」
闘技場でのスタンピード騒ぎのとき、ユリは防護障壁を応用して、恐竜のスケルトンの首元まで丘のようなものを作っていた。マリエラはそれを想定して言ったのだが、ユリはその提案を断った。
「いつまた動き出すかも分からないですから、それは危険すぎます。
それに、岩盤が割れてるかもしれないので、ちゃんと固定できない可能性が高いです」
ユリの次元操作による防護障壁は、起点とする対象を定めて、それに対する座標を固定する。壁や坂を作るときは、地中の岩盤を起点としているので、岩盤が崩れていると、その方法が使えなかった。
「完全に石化した後なら平気?」
「完全に石化したんなら、上を通るより、トンネルを掘ったほうが馬車にとってはいいと思いますけどね」
結局、その日は、少し離れたところで一泊して様子見することとなった。
乗客たちが持っていた携帯食料も残り少ないので、ユリがデストピアの携帯農場で野生化した鹿を一匹引っ張り出して提供した。さすがにいきなり出すわけにはいかないので、街道脇の林に行って、そこで捕獲したことにしてある。ラッシュ・フォースの四人、クレアとアルバートには、それが嘘だ勘づかれているが、幸いなことに、とくに詮索されることはなかった。




