95 精霊騒動【南方遠征、みんなで南へ行こう!10】
馬車の乗客たちがハンターギルドの大広間で男女に分かれて雑魚寝した翌朝、ユリが寝苦しさを覚えて目を覚ますと、鎧戸の窓からわずかに差し込んでいる陽の光があるばかりで、部屋の中は薄暗かった。
ここで見えていない天井に対して「知らない天井だ……」とボケを噛まそうかと思ってみたところで、身体の違和感に気づいた。
「……ううぅっ、動けない……」
ユリは、金縛りにでもあったのか、誰かに押さえつけられているかのように、首から下の体を動かすことができなかった。
(えっ? 何で?)
彼女に心霊現象という考えは端からない。彼女は未だかつて金縛りの経験がなかったが、それが体調や心理的な問題であるという知識はあった。それに、丑三つ刻の深夜ならともかく、幽霊が出るには陽が登り過ぎている。
なので、何事が起きたのかと、頭を持ち上げて、その視線を天井から自分の身体の方に向け直すと……、白い悪魔がそこにいた。
(なんじゃこりゃ?)
白い衣装のクレアが、ユリに覆い被さるように抱きついて寝息を立てていた。傍目には可愛らしい姿であったが、何せ体重二百四十キロのクレアである。上に載られて圧死していないのが不思議なくらいで、非力なユリが身動きできるはずもなかった。
「くっ……クレアさん……おっ……起きてください……重い……です……」
ユリは体表に次元操作の防護障壁を常時張ったままにしているので、クレアに上に乗られたからといって潰されることはなかったものの、クレアの重みで腹式呼吸できなくなっていたので、声を出すのが難しくなっていた。声を出せないから心で叫ぶ。
(もうっ!
猫じゃあるまいし、クレアさんったら、何で私の上で寝てるんですか!
さっさと退てくださいよ!
可愛いからって、何をしても許されると思わないでください!
ああっ、もうっ。
周りに人がいるけど、このまま魔法で吹っ飛ばしてやろうかしら)
「ふみゃ?」
ユリが何やら物騒なことを考え始めると、クレアが気の抜けた声を上げて、目を瞬かせて覚醒し始める。
「ふはあぁ~~」
目覚めたクレアが、ユリの上に手をついて、そこに全体重をかけて大きな欠伸をしながら猫のように伸びをする。その結果……。
「ぐえぇ~~っ!」
クレアに頭を押さえつけられたユリが、踏まれたウシガエルのような声を上げていた。
「クレアさん!!
寝る前に、くれぐれも寝返り打って他の人の上に足を上げることのないようにって、私、言いましたよね!?」
ユリはクレアが離れた拍子に起き上がると、クレアを廊下の隅の物陰に連れて行って、防音処置を施した後、いたずらっ子を前にした母親のように、クレアを叱りつけていた。
「五月蠅い奴じゃのぅ。
言われた通り、おぬしの上に足は上げとらんかったじゃろうが」
ここにユリとクレアの二人しかいないからなのか、クレアの話し方は爺モードになっている。
「重さでいったら、胴体の方が足よりもっと悪いでしょうが!!
普通だったら圧死してますよ!!」
「おぬしは普通ではないじゃろうが。
何の問題も無かったのじゃから、それでいいではないか」
「よくありませんよ。
圧死こそしませんでしたけど、寝返りも出来ずに同じ格好で寝ていたせいで、身体の節々が痛くなりましたよ」
「年寄り臭い奴じゃの」
「そんな年寄り臭い話し方の人に言われたくありませんよ。
そんなことより、今後、死人が出るかもしれないんです。
アルバートさんにも、クレアさんの寝相の悪さを注意しておかないと……」
「おいおい、小僧に変な告げ口をするでない。
第一、儂は寝返りを打っておぬしに覆い被さったわけではないぞ。
最初から覆い被さって寝てやったのじゃからな」
「はあっ? 最初から?
クレアさん、何を言ってるんです?
最初から私を潰すつもりだったって言うんですか!?
それは殺意の告白ですか?
まだ探偵が登場すらしてないのに、いきなり崖のシーンの撮影ですか?」
ユリが興奮して、おかしな言動を始めると、クレアが呆れ顔で返答する。
「何を言っておるのじゃ、おぬしは。
小僧もそうじゃが、おぬしも相当あれな奴じゃな。
そもそも、おぬしは変な魔法を使っとるから、儂が百人乗っても潰れんじゃろうが」
「ひとのことを物置みたいに言わないでください。
それに、いくらあの物置だって、クレアさん百人なら潰れちゃいますよ。
そもそも、何であんなことしたんですか!?」
「おぬしが悪いのじゃ。おぬし、普段から、人心に作用する、何やら奇っ怪な力を垂れ流しておるじゃろ?
儂や、離れた所におる者には影響ないようじゃが、昨晩のように大勢で寄り添って寝ていたら、周りの者たちがどうなるか分かったものじゃかなったからの。それで儂が、おぬしから漏れ出す力に蓋をしておったのじゃ」
それはユリにとって、とんでもない告白であった。
(えっ……うそっ!? イオトカ君のことバレてたの!?)
その力のことは、まだ誰にも話していない重大な秘密だった。万が一、それが公になるようなことがあれば、人々から白い目を向けられ、ユリが悪魔の使いとして討伐対象にされかねないのだ。
「ほうっ、『イオトカ君』と申すのか、その怪異は」
「ちょっと、当たり前のように、他人の心の中を覗かないでくださいよ」
「心の声を大声で叫ばれたら、聞きたくなくても聞こえてしまうと何度も言っておろうが。
今朝も儂の耳元で大声で叫びおって。
おぬしはもう少し、相手への思いやりというものを学んだ方がよいのではないか?」
「それは、クレアさんのせいで、声が出せなかったからでしょ。
だいたい、イオトカ君の力に蓋をするって、そんなこと出来るんですか?」
「儂には森ひとつ分の精霊たちが纏わりついておるからの。怪異の力は精霊の壁を越えることは出来ん。
ま、精霊たちは嫌がっておったがの。こいつら、儂が寝ている間、ずっと騒ついておったわ。おぬし、普段から精霊たちに避けられておるじゃろ。みな、その力が嫌なようじゃな。嫌われ者は辛いのぅ」
「なっ……、気にしてるんだから、放っといてください!
私には精霊の姿を見ることができませんけど、部屋の隅っこにいた可愛らしい猫にそっと手を差し伸べたら、手を引っ掻かれて逃げられたときみたいな、そんな寂しい思いをずっとしてたんですよ。
まったく……、こんなところで、長い間の謎が解けたのは良かったですけど、それが理由だったんですか。それにしても、そうですか、クレアさんはイオトカ君の力に蓋をできるんですか……。
はっ! もしかして永久封印できるとか!?」
封印できるなら、もう二度と、この呪われた力に悩まされずに済むのではないか……、そう思ったユリであったが、現実はそう甘くはなかった。
「封印は無理じゃな」
あっさりと否定されてしまった。
「そんな、もう少し考えてから言ってくださいよ」
「変に期待させてから地獄に落とす方がよかったのか?」
「そうじゃなくって、優しさが欲しいって言ってるんです。
それにしても、次からどうしようかしら。
毎回、クレアさんを上に乗せて寝るわけにもいかないし」
それが家猫だったとしても、胸の上に乗られて寝るのは結構辛いのだ。体重二百四十キロのクレアを乗せて寝るのは考え物だ。それに、寝ている間に防護魔法が解ける可能性が無いとは言えない。
ユリは、術が解けてグシャっと潰された自分の姿を思い浮かべると、ぶるぶるっと頭を振って妄想を払い除けた。
(縁起でもないことを考える暇があったら、もっと建設的なことをかんがえなきゃ)
ユリは、これまでのことを、改めて思い返して考える。
今まで、ユリの周りではいろいろな人間が悪事に手を染めていったが、ラッシュ・フォースの四人にイオトカ君が作用することは無かった。それは底抜けのお人好し集団だからなのか、それとも別の理由があったのか。
例えば、対象の者が邪気を帯びているかどうか、という理由だったらどうだろうか。ラッシュ・フォースの四人は、頻繁にミラの浄化魔法の影響を受けて邪気を払われている。しかし、ミラは王都で大規模な浄化魔法を使って以来、周囲の邪気を払っていない。もしかして、そろそろラッシュ・フォースにも、イオトカ君の影響を受ける可能性が出てきている、ということはないだろうか。
(そうだ!
今後、みんなで馬車に乗る前と雑魚寝する前は、適当な口実でミラさんに浄化魔法を掛けてもらいましょう! そうしましょう!)
そうやって他力本願な決意をするユリであった。他力本願とは、本来は仏教用語で、阿弥陀仏の慈悲に身を委ねることよって救われるという意味であるが、ユリが聖女のようなミラの力に頼るというのは、それに近いものがあるのかも知れなかった。
* * *
広間の中央に戻ると、他の連中も起き出して、寝床を片付け、旅の支度を始めていた。ラッシュ・フォースの四人はといえば、馬車の出発前に、道中の食料を補充するために朝市に行くと言うので、ユリも一緒についていくことにした。
ギルドの建物を出て陽の光を浴びると、リーダーのウルフが歩きながら大欠伸を始める。
「ふあぁ~~」
ユリはそれを見て、クレアの猫のような欠伸に比べると、かなりオッサン臭いなあと思いながら、不思議そうに訊ねる。
「リーダー、随分と眠そうですね。
ああいった所での雑魚寝には慣れてそうですけど、夕べは眠れなかったんですか?」
「んんっ?
ああ、一晩中警戒していたから、ほとんど寝れてないんだ」
「ええっ?
警戒しないで寝られるって、マリエラさんが言ってませんでした?」
「警戒しないでいいのは魔物や盗賊集団な。そういったのにいきなり襲われることはないが、周りは見ず知らずの連中で、そこに暗殺者が入り込んでることはあるからな。出発して以来、おかしな襲撃が続いてるんだから、そういうことも考えなきゃならん。
馬車では少し休ませてもらうから、その間の警戒は頼む」
「まあ、そのぐらいは構いませんけど」
ユリは、馬車での移動中はAI搭載の鳥型ドローンであるドロンチョを飛ばして警戒しているので、視認できるような襲撃ならばウルフがいくら居眠りしていようと、全く問題なかった。




