84 精霊騒動【休養日には異世界人とお茶を5】
やがて、ユリたちのいる部屋に菓子と飲み物が運ばれてきた。菓子はバウムクーヘンにホイップクリームを乗せたケーキのように見える。バウムクーヘンがドイツで普及したのは中世末期だが、その原型は古代ギリシャに作られていたので、ここにあってもおかしくはない。上に乗っているのはホイップクリームじゃなくてメレンゲかもしれないが、それは食べてみれば分かるだろう。飲み物からは香しい紅茶の香りがしていた。その紅茶は、この世界では高級で希少な部類となるものだった。
「ほう。よく、森を抜ける馬車の中で、貴族の娘たちが口にしていたのとは、また違うものじゃな」
森にいた精霊だから、その中での出来事を全て把握しているのだろうか、相変わらず爺臭い口調で話すクレアに、ユリが問いかける。
「馬車の中では、柔らかい菓子や熱い紅茶を出すことはないでしょうからね。
これみたいにホイップクリームを乗せたケーキなんて、暖かいところじゃ溶けちゃうし、馬車の揺れでぐちゃぐちゃになっちゃいますからね。熱い紅茶も零したら火傷しちゃいますし」
そうユリが言い終わる前に、クレアが子供みたいにクリームを指で掬おうとしたので、注意しようと思ったのだが……。
「いや、十分に硬いと思うが」
「えっ?」
クレアがクリームを指で突くと、コツコツと音がしていた。
「時代錯誤なメレンゲの乾燥焼きかい!!
……いや、失礼しました。これならぐちゃぐちゃにはなりませんが、メレンゲが揺れで剥がれちゃったりするので、やはり馬車の中で出すものじゃないですね」
メレンゲの乾燥焼きが普及するは近代なのだが、この世界ではたまたま出来てしまったのかもしれない。
「それにしても、いろいろとお詳しいんですね。
今日やってたみたいな、人との戦い方も見て覚えたんですか?」
「ああ。森では盗賊も、盗賊を討伐するハンターや兵隊もよく見かけたからな。なかには達者な動きをする奴がいて、何時か真似してみたいと思ってたんじゃが、この肉体を得ることが出来たんで、いろいろと実践しておるのじゃよ」
「ふ~ん、そうなんだ。それじゃ、いっただっきま~す」
放っておいてもクレアは手を出すだろうが、アルバートが高級過ぎる店構えに委縮しているので、ユリが率先して紅茶の器を手に取って口をつけた。自分が食べたかっただけともいう。
おそらくミルクティー用の茶葉で淹れられたであろう紅茶は、蘞味がかなり強かったが、その香りは先日エレノーラに振る舞われたのと同等の上質なものだった。このとき、本来なら砂糖とミルクを入れるのだろうが、ユリは何も入れていない。日本人のユリはその飲み方に慣れていたし、テーブルに用意されたミルクの匂いに結構クセがあり、砂糖も純白ではなくて黒砂糖のような風味が残っていたからだ。
ユリが元いた世界で、ヨーロッパに紅茶が普及しだしたのは近世の十六世紀半ばのことで、ミルクティーが飲まれるようになったのはその百年ぐらい後のこと。最初のうちは中継したモンゴルやチベットのように羊の乳を入れたりバターを入れたりしていたのが、より洗練されたものに変わっていったと言われている。
それに対し、中世ヨーロッパ風文化レベルのこの国に紅茶があるのは、ユリが元いた世界とは地形も国境も違って、気候や植生や流通経路が違うからだろう。世界地図を見てないので断定できないが、ユリが元いた世界でも、地図がまともになったのは大航海時代以降のことで、この世界にそもそも世界地図があるかどうかも怪しいのだから、それは仕方がない。
おいしいミルクティーに仕上げるには、まだ文化的な熟成が必要だろうが、取り敢えず茶葉があることには希望が持てる。
(でも容器がね~)
エレノーラに紅茶やコーヒーを振る舞われたときも同じような器だったが、この世界にはまだ白磁の紅茶カップというものが無くて、陶器の湯飲みの下にワイングラスの足をつけたような形状のゴブレットが使われている。ユリのいた世界のヨーロッパで、中国の磁器や日本の有田焼を参考にして取っ手付き紅茶カップが作られたのは近代のことで、中世はおろかルネサンスの時代にも存在しなかったのだから当然だろう。この器には奇麗な装飾もあり、決して安物でも悪いものでもないのだろうが、陶器のゴブレットというだけで少し野暮ったい印象を受けてしまう。
クレアは黙って椅子に腰かけてテーブルに向かっていた。こうしているときのクレアは、誰が見ても華奢で清楚で可憐な美少女だ。
彼女は、香しい紅茶を満たした器を手に取ると、それに静かに口をつけていた。この世界には人間の差別意識を根底とした『マナー』などという野暮なルールは無かったが、それにもかかわらず彼女は全く音を立てていない。その姿は気品のある令嬢そのものであった。
しかし、ユリとミラは知っている。その認識が何もかも間違っているということを。彼女の行動も喋る言葉も全て見聞きしてしまった後なので、それは隠しようのない事実だった。
「ところで、クレアさんって、活動的なときと静かにしているときとで、落差が激しいですよね」
ユリが誰にともなく訊ねると、見た目だけは普通の青年のアルバートが反応した。
「やっぱりそう思いますよね。クレアの素行の悪さについては、俺が何を何度言っても聞き入れてくれないんで、ユリさんたちからも、おかしいことはおかしいって、はっきり言ってやってください」
クレアの保護者を自認するアルバートがユリたちにそう訴えたが、クレアはアルバートの発言を無視してユリの問いかけに答える。
「そうか? いつだろうと、何も変わらんと思うが」
「こうして見ると、王女殿下のような気品があるように見えてしまいます。
でも王女殿下は、他人にやらせることはあるかもしれませんが、自分であんな乱暴なことをしたりはしませんからね。
クレアさんは、どこでそんな上品な偽装パターンを覚えてきたんです?」
ユリの問いに、クレアは呆れ顔で答える。
「儂はずっと森にいたんじゃ。森の中に決まっとるじゃろ。
他にどこがあるというんじゃ。
あと、おぬしは間違っておるぞ。
この国の王女が乱暴なことをせぬなどと、なぜそう思う?」
「貴族は自分の手を汚すのを嫌うからですよ。
そりゃ世の中には、家臣の首を(物理的に)切るのを趣味にしてる輩もいるでしょうけど、そういう国はすぐに滅んじゃいますからね」
「そんな道理は聞いたことが無いぞ」
「それは森に引き籠っていて見聞が足りないからです。
あとそれ、クレアさんの問題は所作だけじゃありません」
「ん? いつから儂のことが問題になっておったのじゃ」
「それですよそれ。
クレアさんの話し方が、ちょっと乱暴な女子の話し方と、爺臭い話し方がごちゃ混ぜになってるじゃないですか。冒険譚を書くときに困るんですよ、そういうのは。そのまんま書いたら読者が混乱しちゃうから、話し方や口癖はひとりでひとつにしなきゃいけないんです。校閲の人にこっぴどく叱られるんです。どっちかひとつに統一してください!」
「何を言っとるんじゃ、おぬしは」
「ユリさんの言う通りです。この際、女の子の話し方に統一しましょう!」
アルバートはユリの冒険譚には全く興味がなかったが、クレアの話し方が直せるならと、便乗することにしたのだった。
「知るかっ!!
表では体裁を繕ってやってるのじゃから、それで我慢しろ!」
「いいえっ、だめです!
言うことを聞けないなら、このケーキはお預けです!」
「おいっ、待て!
それはそっちの娘からの貢物じゃ。おぬしの指図は受けん!」
「とにかく、その話し方を直してください!」
ばんっ!
「ユリさん。今話したいのは、そういうことじゃないですよぅ。
この部屋をお借りするのも安くはないんですぅ。
実のある話をしましょうねぇ」
ユリが関係ない話題で盛り上がっているので、ミラにテーブルを叩かれたうえに注意されてしまった。ユリがミラに目を向けると、心做しか表情が硬い感じがする。
(あっ、これは怒ってる顔だ……)
視線をクレアに戻すと、クレアもびくついた表情で固まっている。彼女にはミラの怒りのオーラが実際に見えているのかもしれない。機会があったら、そのオーラの色がどす黒いのか焔のように赤いのか訊いてみたいところだ。
「ああ、その、クレアさん。
今は話し方については問いませんので、少し教えてください」
「そうね。あたしも悪かったわ。頑張って女子っぽく話すから、なんでも訊いて」
「では早速。クレアさんて、森の精霊さんなんですよね?」
「まあそうだな」
「それって、森を治める神様みたいな存在なんですか?」
「それは違うな。あたしはただ、森にいたというだけよ」
「ミラさんがさっき、クレアさんが森の精霊を丸ごと連れてきてしまったんじゃないかって言ってましたけど、まだ答えてくれてませんでしたよね。
本当にそうなんですか?」
「ほとんど全部来ちゃったには違いないけど、あたしは連れてこられたの。
あたしが連れてきたわけじゃないわ」
「私、精霊が見えないんで、どういう存在なのかいまいちピンとこないんですけど、精霊って空気みたいなものなんですか?
それとも、蚊や蠅の大群みたいなものだったりします?
もしかして森の木によく張り付いてる粘菌に例えた方がいいですかね?」
「蚊とか蠅とか粘菌とか、気味の悪い例えをするな!
あたしらはまぁ、近くにいる者どうしで意識を共有する、特殊な群体のようなものではあるかな。数多く集まれば集まるほど、自我の意識が明確になって、力も強くなるわね」
「う~ん、いまいちイメージしづらいですね。
それだと、小説のイラストとコミックとアニメで表現がバラバラになっちゃって困るんですよね~」
「?? あんた、何言ってんのよ」
クレアが疑問の声を上げると、ミラは諦観し、アルバートは訝し気にユリを見ていた。
「それで、クレアさんがいなくなった森って、どうなっちゃったんですか?
今じゃ精霊のいない、荒廃した禿山や砂漠になっちゃってたりします?」
「いや、あのあと暫くは精霊の空白地帯だっただろうけど、精霊の薄い地には、近隣から精霊が流れ込んでくるの。だから今頃は元と同じ濃さになってるでしょうね」
「う~ん、空気中の酸素とかの気体成分みたいなものなんですかねぇ。
あれっ? 確認はしてないんですか?」
「気にはなったけど、こいつに森から連れ出されてしまったからねー」
クレアの見ている先にはアルバートがいる。
「ちょっと待て。ひとのことを無責任みたいに言うんじゃない。
誰だって、焚火で火の加減が強かったからって、火を消して旅立つ前に空気の状態をいちいちチェックなんてしないだろうが」
「焚火では精霊は減らないのじゃから当然じゃろう」
「そうじゃなくって、ユリさんが酸素と言ったから、その例えを使っただけだ」
「あれ? アルバートさんは酸素を御存じで?」
ユリの元いた世界で、酸素の発見は近代の出来事だ。興奮してつい口に出してしまったが、自動翻訳でどう訳されたか知らないが、科学と縁の無いこの世界の人間に理解されるのはおかしいことだった。
「俺は病的魔法科学研究者ですからね。
俺からしたら、ユリさんが酸素を知ってる方が不思議ですけど」
「……」
「……。あの、ユリさん。明治、大正、昭和、平成、令和って分かります?」
「あんたもかっ!」
即答した直後に知らん顔すべきだったかもしれないと考えたがもう遅い。令和があと何年続くか知らないが、アルバートがユリと同じ時代の日本を知っていることは間違いない。味方ならいいが、ユリと同じような力を持った敵だったら厄介だ。




