83 精霊騒動【休養日には異世界人とお茶を4】
そしてミラは、微笑みを湛えたままユリに話し掛ける。
「ユリさん、丁度良かったじゃないですかぁ。人と会話する精霊さんは、とっても珍しいんですよぅ。普通は人から精霊さんに語り掛けるかぁ、精霊さんから人に語り掛けるかぁ、どちらかの一方通行なんですよぅ。
折角ですからぁ、この精霊のお嬢さんに精霊さんの神秘や精霊術のことを教えていただきましょう」
「え~~っ、教えてくれるのかな~?
それ以前に、いま『面白いことになりそう』って言いませんでした?」
「うーん」
訝し気なユリの問いを無視して、ミラは顎に指をあて首を傾げて少しばかり考えていた。やがて何か思いついた顔になると、少女に向かって話し掛けた。
「ねえ、お嬢さん。甘いものはお好きですかぁ?
これからユリさんと一緒に甘いものを食べに行くのですけどぅ、あなたもご一緒しませんかぁ?」
「おー、いいねえ。……あっ、行ってもいいが、蜂蜜の店だけはやめておくれ。あれには嫌な思い出があるんでな」
ミラが食べ物で釣る作戦に出たら、いきなり釣れてしまった。
(蜂蜜が駄目って、あれっ?
人間の子供だったら、赤ん坊の時に蜂蜜で死にかけた話を親から何度も聞かされて、蜂蜜が怖くなったってこともあるだろうけど、クレアさんは違うでしょ?
精霊が蜂蜜に嫌な思い出って、どういうこと?)
些末なことが気にかかってしまうユリだったが、ミラは気にすることなく話を続けた。
「これから行く店は蜂、蜜も置いてますけどぅ、それ以外にいくらでも美味しいものがありますから心配いりませんよぅ」
「そうか。なら喜んで行かせてもらおう」
クレアが即答したが、アルバートが駄目出しをする。
「ちょっと待ちなさい、クレア。何を勝手に決めてるんですか。
それにその死体の一歩手前の男を放っていくんですか」
アルバートに指摘されて、死にかけの男を足元に放置していたことを思い出した。そんな場所でのほほんと甘味の話をしているのだから、ミラもかなり危ない奴だ。
ユリが改めて倒れている男を見てみると、かなりの重傷であることは間違いない。とくに股間からの出血は大腿動脈に傷がついた結果で、ほぼ致命傷といってもいい。致命傷ではあるが、その傷はユリなら治せるし、ミラでもユリが横に立っていればエティスの加護があるから治せるだろう。その実力は、先日証明されている。しかし、ユリは碌でもない男の股間の治療には抵抗があったし、ミラにもやらせたくなかった。
「上半身は私が治療してもいいんですけど、下半身はちょっと……」
「ああ、俺はこいつの無責任行動に文句を言っただけで、べつにあなたたちが気にする必要はないですよ。この男の治療は私がやります」
そう言うと、アルバートが男の下半身に手を翳して、もそもそと呪文を唱えた。
「あれ? 精霊のクレアさんがやるんじゃないんだ」
そんな疑問を口にしながら治療の様子を見ようとしたら、アルバートが振り返って言う。
「あっ、この治療は見ない方がいいですよ」
そう言われると逆に見たくなるのが人情だ。かつて、腸をぶち撒けて死の一歩寸前だった怪我人を前にして、ミラと一緒に治療にあたったこともあるので、血だらけの傷口を見ることぐらいはどうということはない。ユリは後学の為に見ておこうと軽く考えて、アルバートによる治療風景を覗き込んだ結果、気絶しそうになった。
「ちょっと、ユリさん、大丈夫ですか?
だから見ない方がいいって言ったのに」
足がふらついたところをアルバートに支えられて声を掛けられたが、ユリには何も聞こえていない。それは悍ましい映像だった。赤茶色の血のような色をした数万匹のイトミミズの塊が男の顔や股間をべったりと覆って、うねうねうねうね、もぞもぞもぞもぞと蠢いていたのだ。ユリは、見てしまった光景に意識が全て持っていかれて、その映像が頭から離れない。
ユリが元いた世界にも、蛆虫治療と呼ばれる傷口の治療法がある。戦時中に、壊疽を起こした傷口に蛆が湧いた方が治癒が早かった経験から、知られるようになった治療で、抗生物質の登場で忘れられていたのが、近年改めて見直されている治療法だ。ただしそれは、傷口を腐らせずに塞ぐことを目的としたもので、ファンタジーの治癒とは違う。アルバートが使っている魔法は、結果だけ見れば完全にファンタジーの治癒だった。
「お兄さんは変わった魔法を使うんですねぇ。
精霊魔法とも違いますしぃ、わたくしは初めて見ましたぁ」
そう言ったのはミラだ。ミラは硬直しているユリをよそに、蠢動するイトミミズを見ても顔色を変えることはなかった。普段から精霊や霊体を見ているミラは、ユリとは見えている世界が違うのかもしれない。
ミラの言葉にアルバートが答える。
「これは チュービフェックス・キュアと言って、イトミミズのような姿をした魔法生命体を使って、付着した部分の細胞から万能細胞を作って、それを培養して、それで人の傷を修復して、元の姿に再生するんですよ」
(血仙蟲かい!
しかもやってることが幹細胞治療!)
意識を取り戻したユリが心の中でツッコミを入れる。
「あ、この魔法生命体は、体には残らないので大丈夫ですよ。
虫下し飲んだら傷口が開くとか、患者が不死人とかになることもないので、ご心配なく。
ただ、途中で何かあった時に治療を打ち切れないのが難点なんですけどね」
(なんかこの人、あの漫画のことを知ってるような説明をするわね)
やがて治療が終わり、イトミミズの塊が蠢くのをやめると、徐々に黒く変色していって、ボロボロと崩れるように空中に霧散して消えて行き、後には元の顔に戻った男の姿があった。
「変わった治癒魔法を使うんですねぇ」
「そうですね。俺は独学で覚えた魔法を使うんで、他の魔術師からは『異端魔法使い』って言われてますから」
「何を言っておる。いつも自分は『病的魔法科学研究者』だと言っとったじゃろうが」
アルバートの自己紹介をクレアが訂正した。
「初対面に人に『病的魔法科学研究者』だって言ったら、分かってもらえないうえに変に誤解されるじゃないか」
ユリにとっては、異端魔法使いでも病的魔法科学研究者でも、危ない魔術師であることに違いなかったのだが、それは言わないでおいた。
治療された男を見てクレアが言う。
「ちょっと治し過ぎじゃないかの?」
「大丈夫。結石魔法で膝関節にミスリル製の結石を入れといたから。
玉も再生してないし、竿もU字型で固めておいた。
魔法でも外科手術でも治療できないし、こいつはもう悪さは出来ないよ」
クレアのクレームにアルバートが答えた内容は、なかなか過激だった。普通の者なら、若い女性を前にして言うことではない。
(今『ミスリル』って言った? 自動翻訳されてるから、私の知ってるファンタジーのミスリルと同じかどうか知らないけど、ミスリルって作れるものなの?
それはともかく……)
ユリがアルバートに問う。
「ちょっと伺いますけど、その魔法を使うのは、何回目ですか?」
「えっ? ん~~、十回目くらい?」
「痛い膝にミスリルが入ってることがあるって知られると、ミスリル欲しさに襲う奴が現れるかもしれませんよ」
「そんなもの、放っとけばいいじゃろうに。所詮は悪党なんじゃから」
クレアが悪党に容赦ないのはよくわかったが、ユリが言いたいのはそういうことではない。
「この人がどうなろうと私の知ったことじゃないですけど、この男が闇医者に治療されて膝からミスリルが見つかったりしたらどうなると思ってるんですか。そのうち膝を痛めたお年寄りが襲われるようになるかもしれないんですよ。誰の膝にミスリルがあるか、膝を切り裂かないと分からないんですから。
だから、この方法は、もう止めてください」
ユリはそう言うと、男の膝のミスリルの棘を次元魔法で抜き取り、代わりに神経に傷をつけて、それを正常な状態として固定した。傍目には、ユリが男の膝を軽く撫でただけ……のはずだった。
「へ~、黒いお姉さん。ユリって言ったっけ?
あなたやるじゃない」
「ユリさん、あまりやり過ぎては駄目ですよぅ」
「????」
ユリのやったことは、誰の目にも見えてなかったはずだが、クレアとミラにはバレバレだったようだ。二人の言葉を聞いたアルバートひとりが、何も分かっていない。
そうして事が一段落すると、アルバートが礼を言ってきた。
「今日のお礼、っていうか、お詫びに、お二人が怪我したときは、俺が治療して差し上げますから、遠慮なく声を掛けてくださいね」
「「必要ありません!!」」
「いや、遠慮しなくても……」
「「必要ありません!!」」
「……」
アルバートが声を立てなくなると、ミラが言った。
「では改めましてぇ、ご一緒しましょうかぁ」
* * *
ミラが案内した店は、高級住宅街に近い場所にある、かなりお高い店だった。基本的に平民を相手にした店ではあるのだが、ときおり貴族が御忍びで来店したりするような、そういう店だ。
「うわぁ。ミラさん、私、こんなお店初めてです!」
この世界を訪れて以来、ユリは王城でエレノーラに振る舞われた菓子や飲み物以上のこの世界の食べ物を口にしたことが無かったので、この店で出される品にかなり期待してしまう。いよいよとなれば、ダルシンからせしめた日本の食品に手を出すことも考えてはいるが、それは『一切れのパン』であって、最後の砦だ。可能なら、この世界の食品で満足できるようにしたいと考えていた。
クレアとアルバートはと言えば、クレアは辺りを見回してもとくに感動する様子もなく「ふ~ん」と言ったきりだったが、アルバートは場違いの店に足を踏み入れてしまった様子で、かなり緊張しているようだった。平民相手の店だからドレスコードは無さそうではあったが、アルバートはこの手の店に追い出された経験でもあるのだろうか、自分の服装の乱れを懸命に直していた。
「大丈夫ですよぅ、とって食われたりはしませんよぅ」
ミラが顔見知りだという店員と少し話すと、店の奥に案内されて個室が充てがわれた。ここなら人に聞かれたら困る話も、多少ならすることができるだろう。
「ここのお菓子や飲み物がぁ、ユリさんの気に入るといいんですけどねぇ」
「客人のあたしは二の次か」
「クレアさんなら間違いなく気に入るだろうお店にしましたからねぇ。
文句を言いそうなのがユリさんだけなんですよぅ」
「そんな、ヤマオカさんみたいなこと言いませんよ。
ここって、店の雰囲気は上級貴族並みですよね。味も期待しちゃいます。美味しいといいですよね~。
ミラさんは、お知り合いの店員さんもいるようですし、これまでにも何度か利用していたんですか?」
「そうですねぇ。
大きい仕事が終わってぇ、その報酬が入ると来てますかねぇ。
マリエラとも何度か来てますよぅ。
彼女はこういう店は趣味じゃないって言ってましたけどぅ」
ミラとユリがそんな会話をしていると、アルバートがビクついた様子で口を開いた。
「あのー、俺たち場違いじゃないですか?」
「あんたは相変わらず気が弱いのね。所詮は人が商う店なんだから、何も恐れることなんてないっての」
アルバートを馬鹿にするクレアの言葉に、ユリが気になったことを訊く。
「クレアさんって、恐れを知らない子供みたいな人なんですね。
怖いもの知らずって言った方がいいのかな。
精霊って、みんなそうなんですか?」
「あたしにも怖いものはあるぞ。
ただ、人の多くは恐るるに足らんだけじゃ。
人で怖いとしたら、この男くらいじゃな。
あたしが自分のことを『儂』というと、目くじらを立てて怒りよる」
「ほら、そうやって段々喋り方が爺臭くなっきて。
俺はその見た目で爺臭い言葉を使うなと言ってるだけです」
「おぬしの遥か昔の先祖がここに移り住んできたことも覚えておる。あたしはそれを最近のことのように思う歳なんじゃから、『儂』でもかまわんじゃろうに」
「その『なんじゃ』とか『じゃろう』も爺臭いから駄目だと言ってるでしょ」
「ほらな。こんな風に口うるさくて敵わん。
儂だって、知らん奴には娘っ子を装っておるぞ。
此奴がよく言う『ぶりっこ』じゃな。鰤で粉かけする意味が分からんが。
ぬしらは儂の正体を知っとるから、自然体で話すだけじゃ」
「いいつけを無視したら駄目なんですか?」
「南の森にいた精霊のほぼ全てを『儂』としてこの体に押し込んだのがこの男じゃぞ、下手に逆らうと何されるか分からん」
「あのねー、そういう人聞きの悪いことを言うのは止めてくれないかな。
クレアが俺の言うことを聞くのは、ほとんど食欲が理由じゃないか」
「それはいいことを聞きました」
ユリが目を煌めかせてそう言うと、クレアが呆れた顔で言う。
「おい。この黒髪を野放しにしていて、大丈夫なんじゃろうな」
え~、まことに勝手ながら、来週と再来週は、更新を一時停止してお休みさせていただきます。
次回は5月11日から再開する予定です。
では、みなさま、どうぞ良いGWをお過ごしください!! (^^)/




