81 精霊騒動【休養日には異世界人とお茶を2】
ユリは、宗教施設に対してあまりいい印象を持っていない。
いや、それは正しい言い方ではない。
ユリは既存の宗教に対して不信心ではあったが、現代の教会や寺社を嫌っていたわけではない。通常の神への信仰はなく、強引な布教活動には断固とした態度をとるが、神を心から信じている人たちを否定するつもりはない。文化財としての寺社巡りはするし、行けばそれなりの賽銭は出す。京都で寺社巡りすると、一日の拝観料が一万円を超えたりするが、それは仕方ないと思っている。
寺社や教会に行って、説教を聞くこともある。通常の宗教なら大抵はちゃんとしたお話で、それほど問題になることはない。怪しげな新興宗教を偵察に行ったときは、神の教えのあまりの出鱈目さに呆れて嗤いだしそうになって、必死に口を塞いで帰ってきたこともあるが、それは例外的なものだ。
ユリが疎ましく思っていたのは『異世界の教会』だ。ユリは、小説の描く和製異世界ファンタジーの影響で、異世界の教会に対してもの凄く悪い印象を持っていた。和製異世界ファンタジーでは、教会関係者は悉く金と権力に胡坐をかいて、信者を搾取の対象としか見ていない者として描かれている。彼らは神の言葉を捏造して人々に伝え、信者の婦女子に性的関係を強要し、神をも恐れぬ悪行を繰り返す。人々を弾圧し、神の名のもとに人を殺し、戦争を仕掛ける。異教徒を弾圧し、人種や民族の浄化を平然と行う。それが異世界の教会組織に対してユリが抱いているイメージだった。
しかし、ユリはこの国の教会には、まだ一度も行ったことが無いのだから、その思いは要するに全くの偏見でしかない。食わず嫌いみたいなものだ。ただ、この世界には人の心を操る闇魔法があることが分かっているので、ユリが警戒するのも無理のないことだ。そうでなかったとしても、宗教は人を魅了する。もしユリが洗脳されるようなことがあったら、鉄人28号の不思議なリモコンを奪われるどころの騒ぎではない。「ガイアー!!」と叫んで世界が消滅するかもしれないのだ。それでは、ユリが何のためにこの世界に来たのか分からなくなってしまう。
あたらめて言うが、ユリが嫌っているのは、元いた世界の宗教の話ではない。そもそも、ここでは崇め奉っている神が違う。この世界で広く信仰の対象となっている神は、ユリが知っている神ではなかった。日本やインドやギリシャや北欧やエジプトの神話に登場する神でもない。多神教の神は山ほどいるので、そのどれかに似た神かなのもしれないが、ユリはそこまで詳しくはない。
もしも信心深い人間がこの世界に転移してきたなら、その直後に、この世界の教会に火をつけて回って、本当の神を教える伝道師になったとしも不思議ではないだろう。
そういう訳で、ユリはこの世界の教会にはあまり行きたくはなかったのだが、精霊のことを知りたかったら行くしかない。この国の人々が宗教に支配されている様子はないので杞憂なのかもしれないが、ときどきミラが見せる狂信的な態度を思い浮かべると多少の不安も捨てきれない、というかかなりの不安がある。ただ、ミラの話では、教会の役割がユリの知っているものとは違うらしいので、もしかしたら、それほど悪いところではないのかもしれない。教会に向かう道すがら、ああだこうだと考え続け、教会を訪れる決意をしたユリであった。
しかし、結論から言うと、この日、ユリたちは教会に行くことは出来なかった。
「あらあら? まぁ!」
ユリと連れ立って道を歩きながら、突然声を上げたのはミラだった。その少し前から彼女は何かを探すかのようにキョロキョロと辺りを見回していたのだが、どうやら何かを見つけたようだ。いったい何を見つけたのだろうかと、ユリがその視線を追ってみると、今歩いている道から右に入った裏路地のずっと奥で、むさ苦しい恰好をした男が十二歳くらいの金髪の少女の左手首を掴んで何かを言っているのが見えた。
「ええっと、あれは人攫いか何かでしょうか?」
ユリがそう訊いたのは、現場が離れていたからだ。あれが犯罪行為ならば助けにいくべきだろうと考えたユリであったが、迷いがあった。こことは距離があるので、あれはイオトカ君の仕業ではないだろう。だとすれば、下手に助けに行くとイオトカ君が仕事をして事態がさらに悪化するかもしれない。もしもあれが恋人同士の戯れだった場合、ユリが近寄ったせいで破局になるかもしれないのだ。ミラへの問いは、どうしようか判断に迷って口に出した言葉だった。
「う~ん、あれを人……攫いと言っていいのかどうか分かりませんがぁ、似たようなものですかねぇ」
ミラが少し言い淀んでいるのが気になったが、悪質な犯罪の現場だと確認されたので、これ以上イオトカ君が出しゃばる心配はない。ならば助けに行こう……とユリが考えた矢先に事態は変化した。
男が掴んでいた少女の左手首を引き寄せようとした瞬間、少女が素早く一歩踏み込んでいた。
ばきんっ!
裏路地に強烈な破壊音が響き渡り、まだ二十メートルは離れているのにユリたちのところにもはっきりと聞こえてきて、その映像と音に驚いて足を止めてしまった。
それは、左手を掴まれて引き寄せられた少女が、勢いをつけて右手で男の顎に掌底を食らわせ、顎の骨を二つに割って、さらに顎関節をも破壊した音だった。
「おおぅ」
ユリは驚いて目を丸くしていた。それをやったのは、筋骨隆々で屈強な空手家ではない。見るからに正反対の、華奢で清楚で可憐な美少女だったからだ。
男の顎を割った少女は、そのまま左腕を引いて相手の体勢を崩すと、その股間を勢いよく蹴りあげる。
ずがんっ!
どう考えても人間の身体で発生してはいけない音を立てていた。映像抜きで音だけを聞いたなら、ユリは杭打ちハンマーで漬物石を叩き割ったのかと思っただろう。
さらに少女は、男が仰向けに倒れる際に左腕を引かれると、一緒に倒れこむようにして、男の鳩尾の少し上に肘鉄を食らわせて肋骨を破壊した。
がぎゅっ!
それだけされても相手の男は声を出していない。顎を潰されて、蟹のように泡を吹くばかりで声を出せないからだ。
この状況ではイオトカ君を心配する必要はない。そう思ったユリが言う。
「ありゃま~、見事ですね~。
あんな華奢な体のどこにあんなに破壊力があるんでしょう。
今更ですけど、ちょっと行ってみましょうか」
「そうですねぇ、とても珍しい物を見れましたねぇ」
二人で裏路地に入って現場に近寄ってみると、さっきの男が仰向けに倒れていて、金髪の美少女はその男の腹を尻に敷き、右膝に右肘をついて、その右手に顎を乗せて不機嫌な顔で座り込んでいた。ちなみに、ロダンの『考える人』の像とは違う。あれは体を捩じって左膝に右肘を乗せるという、普通の人には真似できない極めて苦しい恰好だ。考え事をしたり不貞腐れたりするときに、そんな苦しい恰好をする者はいない。
少女の下敷きになっている男を見てみると、その顔は縦に潰れて原型を留めておらず、本来あるべき場所から大きく位置を変えた口は、下唇が鼻を覆って血の泡を吹き、今も全身がビクンビクンと痙攣していた。閉じた両目からも血が流れているが、衝撃で眼球が破裂したのかもしれない。このまま放置すれば、あと数分で確実に死亡するだろう。ここが日本なら、例え相手が人攫いだったとしても完全に過剰防衛であったし、この世界でも何らかの罪に問われる可能性がある。そもそも、どうやったらこうなるのだろうか。これだけの衝撃を与えたなら、普通は顎が割れる前に首の骨が折れている。攻撃側の腕も只では済まないはずだ。
(鉄パイプみたいな物で勢いよく殴らないと、こうはならないよね?)
ユリは、そんなことを考えながら、この状態ならイオトカ君が機能することはないだろうと安心すると、過剰防衛であることはスルーして少女に声を掛けた。
「大丈夫ですか!?
そこにいると汚れちゃうから立ちましょうか、ってうゎっ!」
ユリは、少女の手を引いて立たせようとしたのだが、引き上げられずにバランスを崩し、自分もまたつんのめって膝をついてしまったのだった。一度立ち上がろうとした少女は、男の胸の上に尻餅をつき、大きな音を立てる。
ばきべきっ!
「あたたっ、もう少しでぎっくり腰になるところでした……って、えっ?
重い? どういうこと!?」
ユリは少女に引き倒されたわけではない。少女が見た目と違って途轍もなく重かったのだ。何の間違いかと改めて小柄な少女を見るが、背も胸も尻も小さいし、武器や鎧を身に着ているわけでもなく、重い要素はどこにも見当たらない。
「ちょっと。余計なことして、失礼なこと言わないでよ。
あと、あんた今、あたしの体形を見て失礼なこと考えてたでしょ」
少女はそう言ってユリの手を払うと、一人で男の胸の上で立ち上がって、ばきばきと音を立ててから地面に降り立った。
その様子を見ていたミラが、おもちゃを見つけた子供のように嬉しそうな顔をして少女に声を掛けた。
「あら、まぁ、凄いですぅ」
死にかけた男を無視して少女に感嘆しているあたり、ミラもユリと同じくらい感性がぶっ壊れているのだろう。
(あの戦闘場面を見れば、誰でもそう褒めるわよね)
そうユリが思っていたら、ミラがとんでもないことを口にした。
「まあっ! その体って、もしかして、陶磁製人形さんでしょうかぁ?
かなり太い鉄心が入ってますから、それに白い粘土を巻き付けて、物凄い高温で焼いたんでしょうねぇ。
こんな手の凝った見事な人形さんは初めて見ましたぁ」
ミラが褒めたのは、全く違うことだった。
「はぁ?」
いつものミラらしからぬ子供のように興奮した態度とその発言内容に驚いたユリが、少女を魔法で透視してみるが、どう見ても普通の人間、十二歳くらいの少女にしか見えない。
それに、ミラが説明した人形は、ユリが元いた世界でビスクドールと呼ばれていたものに近い。しかし、西洋磁器が十八世紀初頭からのもの、ビスクドールに至っては十九世紀末のものであり、この世界の文化文明からしたら、数百年は後のものだった。
なのに、なぜ生身の少女を前に、ミラはオーパーツの人形の話をしているのだろうか。
「ええっと、ミラさん。この子は肉体も骨格も普通の少女で、義手や義足も使ってませんし、金属や焼き物が含まれているようには見えないんですけど……」
「ユリさん。その子の身体を陽に透かして見ても分からないでしょうけどぅ、その子は精霊さんが宿った陶磁製人形ですよぅ。パペット・トロールが一番近い存在ですけどぅ、人の姿をとっている子には初めてお会いしましたねぇ。それもかなり大量の精霊さんを宿していますねぇ。先日お会いしたデーモンスレイヤーさんのお友達でしょうかぁ?」
先程ミラが相手の男を『人攫い』と言い淀んでいたのは、少女が人ではなくて人形だと判断していたのが理由だった。
「……えっ? ミラさん、冗談ですよね?」
ユリには、目の前の少女が人ではないというのも信じ難かったが、それより、先日のデーモンスレイヤーと同類ということが信じられなかった。
「へぇ、そっちのお姉さんは、あたしの本当の姿が見えてるんだ。
その恰好からして聖職者さんなのかな?」
「えええええぇぇ~~っ!!」
(なになになになに、この美少女がホムンクルス?
それとも変形合体するゴーレムだったりするの?
手首だけ離れてもぞもぞ動いてたら気持ち悪いんですけど……)
「ホムンクルスでもゴーレムでもないわよ!
変なこと言わないで! 変な想像するのも止めて!
でも、あたしが美少女っていうのだけは認めるわ」
ユリの心の声は相手に筒抜けだった。




