78 環境改善活動【衣食住の食1】
ユリはべつに食に拘るグルメというわけではない。元の世界にいたときも、一度だけ独りで二万円のコース料理を食べに行ったのが最高額の食事だったが、隣の席の客が給仕に怒鳴りつけたりして嫌な思いをしたこともあって、特別旨いと感じることもなかったぐらいだ。
だから、普通の食事ができれば、ユリも不満に思うことはなかった。とくに好き嫌いもないし、辛すぎたり臭すぎたりしなければ、和食でなくても構わない。中華、フランス、ギリシャ、トルコあたりの料理なら大歓迎。辛味を抑えてくれればインドやタイ、ブラジルやメキシコでもいい。
しかし、そういう食事が出来なかった。
はっきり言って、この世界の食事は不味い。死ぬほど不味い。
最後に残されたラスボス。それが衣食住の食だった。
それこそが、異世界に来たユリにとっての最大の問題だった。
その要因は、素材の問題、調理方法の問題、調味料の問題と多岐に渡る。
調味料については、この世界では、というかこの国では、運のいいことに塩も香辛料も入手可能な状態ではあった。しかし、庶民は毎日の食事を少しでも安く済まそうとするからなのか、普段の料理では塩や香辛料があまり使われていなかった。
ユリは宿屋での食事中に言ったことがある。
「マリエラさん。この料理、ちょっと不味くないですか?」
「え、そう? 普通じゃない?」
「だって、スープは青臭くて蘞味が強いし、肉料理も血抜きが不十分で獣臭さがそのままだし、塩味が足りないし、酷すぎませんか?」
「野営のときに自分たちで作ったって、だいたいこんなもんでしょ」
「えっ? マリエラさんてメシマズだったんですか?」
「誰がメシマズよ! みんなで作ってるんだから共同責任よ!
それより、食事中に不味いなんて言わないでよ。
ただでさえ不味いのに、さらに不味くなるじゃないの」
どうやら、不味いというのは共通認識のようだった。
この世界では、甘味については、白砂糖こそ無いが、水飴や蜂蜜はある。水飴は、芋や穀物のデンプンに麦芽を混ぜて作られていた。麦芽糖なので蔗糖ほどの甘味はないが、これを使うと、ほんのりとした優しい甘味が料理に深みを出してくれる。蜂蜜については、この辺りでは養蜂はやっておらず、森の中や崖にある蜜蜂の巣を取ってきているようで、誰でも簡単に手に入るというわけではない。偶に毒草の蜜を集めていて、毒入り蜂蜜だったりするから、一歳未満の赤子どころか大人でも安心して食べられなかったりする。だから、貴族相手の商店では安全性を確かめてから販売するという手間を掛けている。どうやって確認しているのかは企業秘密だそうだ。
貧乏人に食べさせてるんじゃないかって? いやいや、貧乏人の胃は丈夫で多少の毒は平気なので、彼らが食べて平気だったからって、貴族が食べて平気とは言えない。だから別の方法をつかってるらしいのだが、まあ、訊いてもろくなことにならないので、訊かない方がいいだろう。
そういったわけで、料理に甘味をつけることも可能なのだが、ユリが食べに行くような店では、それも料理には使ってくれないようだ。もっとも、この国の食文化がそうなだけであって、隣の国では違うのかもしれない。
香辛料については、それが入手可能とは言っても種類は限られるものだった。だから、多種多様なカレーなんてもっての外。そもそも唐辛子がない。
この世界にも、とりあえず胡椒はある。胡椒がヨーロッパに普及しだしたのは中世のことだが、紀元前五百年頃には既にギリシャで使われていて、量は少ないがヨーロッパにも持ち込まれていた。ユリが愛読していた和製異世界ファンタジーでは、中世ナーロッパで胡椒をバカ高値で売っていたりするが、本当に高価だったのは中世以前のことで、中世に入ってからは特別高価というわけではなかった。
胡椒はインド原産で、乾燥した胡椒は軽くて陸路で運ぶのも容易だったからそれも当然だろう。胡椒と一緒にインドから持ち込まれた香辛料はほかにもある。カルダモン、クローブ、ターメリック、ナツメグ、バジルなどがそうだ。
ユリが元いた世界の中世ヨーロッパで胡椒の価格が高めだった理由も、入手困難だったからではなく、当時海運業が盛んになって、食材の殺菌と抗菌目的で胡椒が大量に消費されるようになったことに原因がある。そしてユリが今いる王都の近くには海が無い。この国の地図が入手できていないが、海運が発達した国なら海の近くに王都を構えるはずで、この国がそうでないことは明らかだった。胡椒の価格がそれほど高くないのは、胡椒を大量消費する船を持っていないのが理由だろう。
紀元前からヨーロッパに持ち込まれた香辛料やハーブも多い。オレガノ、カモミール、クミン、コリアンダー、サフラン、シナモン、タイム、ディル、フェヌグリーク(メッチ)、フェンネル、ローズマリー、ローレル(月桂樹の葉)などは、この国でも入手可能だった。多分、実際の名前は違うのだろうが、自動翻訳がそう訳していたので、ユリが知っている香辛料とほぼ同じもので間違いないだろう。
それに対して、唐辛子が西洋に持ち込まれたのは中世を過ぎて、ルネサンス期に入ってからのことだ。胡椒との時期のずれには理由がある。胡椒の原産地がインドなので陸続きで持ち込まれたのに対し、唐辛子の原産地は南米で、コロンブスがヨーロッパに持ち帰ったのが最初だったからだ。
ではこの国ではどうか。
ユリが王都の市場を歩き回ってみた限りでは、唐辛子を扱っている店は見つからなかった。パプリカやピーマンもない。どちらも唐辛子と同じく南米原産だから、この国に持ち込まれていないものわからないではない。
ただ、この世界に七つの月があるように、大陸の形や構成も地球とは異なるかもしれない。そうであれば、地続きの土地に唐辛子が生えているかもしれない。たとえそうでなかったとしても、渡り鳥が種を運んできたり、海流に乗って流されてきたりしてもよさそうなものだ。少なくとも、ユリが元いた世界の鳥はカプサイシンの受容体を持たないため、唐辛子の実を鳥が食べて遠くの地に運ぶようになっていた。もっとも、大西洋を越えるような渡り鳥がいるのに、コロンブスが持ち込むまでヨーロッパになかった。もしかしたら、遠すぎると途中で排泄してしまって、種を運べないのかもしれない。
この世界ではどうなのだろう。気候が合わずに駄目だったのだろうか。それとも、そんな植物がどこにも存在しないのか。
そういうわけで唐辛子の入手は難しそうだが、この世界に代わりの食材が無いわけではない。カプサイシンは唐辛子特有の成分なので入っていないが、胡椒や生姜、それにハーブの根。特にディルの根がお勧めだ。インド人だって、昔はカレーに唐辛子を使っていなかったのだ。他のもので、いくらでも代用可能だろう。ちなみに日本で中華の定番料理と認識されている青椒肉絲も、十八世紀後半に登場した料理であって、中国の長い歴史からすれば極めて最近のものだ。
そんなことを考え、美味しいカレーを思い浮かべながら、市場を回るのだが、屋台に並ぶ食材を見ていると、この国の食事の不味さを改めて思い出してしまう。
食事の不味さは、食文化が未熟な世界では仕方がないことではある。まともな食文化が育つための要件のひとつに、安全で安定した食材の供給があげられる。しかし、この世界の食材は不味いだけでなく、毒が有ったりする。食材に毒のあるものが混ざっているのだ。それでは、食文化が育つはずがない。
野菜を売っている屋台では、セリとドクゼリが、あるいはニラとスイセンの葉がひとつの束にして売られていたりする。今の日本の八百屋では絶対に許されないことだ。だから、そんな馬鹿なことがあるわけないだろうと思うかもしれないが、それは極偶にだが現代の日本でもあることだし、世界に出れば全然珍しくもないことなのだ。
なぜ一般人がセリと毒ゼリを間違えるかといえば、安全なセリしか知らないからだ。生産者や八百屋なら、セリと毒ゼリ、二つ並べて違いを覚えるところだが、普通の人は毒ゼリを知らない。山菜取りに慣れた者なら、二つの生える環境が違うことを知っているが、商品として持ってこられたら、その違いを知ることも無い。そして、この世界の一般庶民は、図鑑で確認するようなことが不可能であったので、何が毒で何が食べられるかは、食べて確認するしかなかった。売る方だってよく分かっていないんだから。
遠地から売りに来る者の中には、悪い言い方をするなら売り逃げする者も多い。店を構えて責任ある商売をしているわけではない。食材に毒があったって知ったこっちゃないのだ。だから買う方が、身を守る術を身につけなくてはならない。あるいは、毒があることを前提にして調理する。それを嗤ってはいけない。日本人だって、試行錯誤してフグを調理して食べられるようになったのだし、有毒なヒガンバナの根茎だって毒抜きして食べてたりするのだ。
それに、食品の毒性はそう簡単に分かるものではない。安全だと思っていた者が毒だったりする。かつて日本では1970年前後に健康食品として一大ブームになったコンフリー(ヒレハリソウ)も、中世ヨーロッパで薬草として栽培された由緒ある薬用植物であったが、2004年になって摂取すると肝障害の原因になり、それが胎児にも影響するという理由で、食品としての販売が禁止されたという例がある。数百年間食材とされてきたものが、実は毒草だったのだ。だから、中世の人々に、毒草をはっきり区別しろというのが、そもそも無理な話なのだ。
それとは逆に、元々は不味かったり毒性があったりしたものが品種改良で無毒で美味しくなったものもある。昔から、アブラナ(菜の花)の種からとれる菜種油は、摂取し続けると早死にすることが知られていて、それ故に食用油ではなく灯火油として使われていたものだ。近年になって品種改良で食用に供されるようになったが、それでも家畜が大量摂取すると中毒を起こすことがあるので、牧場の一角が勝手に菜の花畑になったら、わざわざ手間を掛けて刈り取ったりもする。
食べられそう。昨日は食べても平気だった。でも今日は毒があるかもしれない。毒があっても弱そうだけど、毎日食べると死ぬかもしれない。じゃあ、毒成分を茹でこぼして食べようか。というのが、この時代の庶民の調理だった。それが不味いからといって、異世界人のユリが現代人の感覚で『新鮮な野菜を茹でこぼして食べるなんてもったいないから、茹で汁をそのまま使おう』なんて啓蒙するのは、未必の殺人となりかねない。安全な食材に慣れた現代人の感覚で、異世界人に現代風の料理を人に教えるなんてことは、絶対にやってはならないことだった。
だが、それではユリは美味しいものが食べられない。
だからユリは考えた。
「安全な野菜が手に入らないなら、自分で作ればいいんだ!
家庭菜園を始めよう!」




