77 環境改善活動【衣食住の住3】
「あ~ん、お風呂に入りたいよ~」
ついつい欲求が口から出てしまう。
「ユリってば、何をまたわけの分かんないこと言ってんの。
子供みたいに泣き言を漏らすなんて、あんたらしくないわねー。
今度は何だっていうの」
ユリがラッシュ・フォースの四人と共に、いつもの宿の食堂で夕食を終えたと思ったら、いきなりテーブルに突っ伏して喚きだしたものだから、マリエラが心配して声を掛けたのだった。今や、漫才のツッコミ担当と化していると言ってもいい。
「お風呂ですよ、お風呂。
東の街にいたときは、あそこは小さい街でしたし、砂漠草原に近いので水がとっても貴重だから、お風呂が無くても仕方ないとは思いましたよ。ですけどね、王都ならお風呂があるに違いないって思って期待してたのに、なんで無いんですかぁ!?
古代ローマ時代に既にあった公衆浴場が、なんでここにはないんですか?
期待外れですよ、幻滅ですよ、がっかり、失望です!
もしかして、これは立地の問題ですか?
なんなら、今から地殻を刺激して昭和新山みたいな活火山のひとつでも創りましょうか!?
そうしたら、みんなにも喜ばれるし、いいですよね。
うん、じゃあ、善は急げです!!」
そう言ってユリが席を立とうとするのを、慌ててマリエラが止めに掛る。
「あーーっ! ダメダメダメダメ! ちょっと、待ちなさいってば!
そんなことしたら王都が壊滅しちゃうから、駄目に決まってるでしょ!」
「ユリさん。もう外は暗いですからねぇ。
火を扱うのは明日、明るくなってからにした方がいいですよぅ」
「ミラの言う通りだぞ、ユリ」
「うむ」
ラッシュ・フォースの全員で反対したのはいいのだが、誰一人「そんなこと出来るわけない」と言わない時点で、かなりユリに毒されていると言っていいだろう。
「そんな、私だって馬鹿じゃないんですから、創るときは王都から五キロくらいは離しますよ。それに源泉さえ掘り当てられれば、活火山じゃなくてもいいですしね」
「とにかく、天変地異みたいなことは禁止!
だいたい何よ、その『お風呂』って?」
「えっ? えええぇぇぇーー!!
マリエラさん、お風呂ですよ!?
お風呂を知らないんですか!?
それって、マリエラさんだけ?
まさか誰も知らないってことはないですよね?」
「さぁ、わたくしは存じ上げませんねぇ」
「俺も知らんな」
「うむ」
まさに、その『まさか』だった。
「えぇ~!?
どういうこと?」
(自動翻訳がおかしいのかな?
それとも、言葉はあっても入浴習慣がないだけ?)
心の中で考え込んでいたら、固まっているユリをマリエラが心配そうにのぞき込んで訊いてくる。
「ちょっと。ユリってば、大丈夫?」
「あっ、はい、ちょっと衝撃的だっただけで大丈夫です」
「大袈裟な子ね。それで結局『お風呂』って何なのよ」
「それはですね、人肌の温度のお湯に浸かって身体を温めたり、そのお湯で体を洗う設備や場所のことですよ。この宿にはありませんでしたけど」
「あぁ、そういえば、貴族は大きな桶に湯を張って、そこで身体を洗うって聞いたことがあるわね。私は経験ないけど」
「わたくしは、王宮には湯気を立ち込めた室があって、王族は日に一度、その室で身体を清めているという噂話なら聞いたことがありますねぇ」
「俺が聞いたのは遠い国の話だが、街の中に湯を張った大きなプールがあって、そこで多くの老若男女が裸で入るっていってたな」
「うむ」
ジェイクは返事しかしていないが、ウルフの話を聞いて少しばかり顔を赤くしていた。
「あ~~、そういうことかぁ~~」
みんなの話を聞いて、ようやく状況を理解したユリであった。
ユリにとって、トイレ、寝床に続いて問題なのが風呂だった。
ユリが知っている和製異世界ファンタジーでは、中世ヨーロッパもどきの文化であっても、貴族なら現代の西洋式の入浴が当たり前で、高い宿には風呂があるし、平民でも金持ちなら入浴するものだったので、この世界でも『お風呂』は普通にあるものだと思っていた。
しかし、ここでは基本的な文化が違った。
少なくとも、この国には入浴するという習慣が無い。
(ダルシンの奴、そうならそうと、最初から教えてくれてたら、こっちに来る前に何かしら準備できたのに。本当、使えない爺さんだわ)
今更そんな愚痴を言っても、もう遅い。
ユリが元いた世界の中世ヨーロッパでは、中世初期までは、古代ローマ時代のテルマエ(Thermae)を引き継いだ混浴の公衆浴場が存在し、散髪して体を洗い、入浴して、その後食事したり酒を飲んだりして楽しむという、現在のスパリゾートのように使われていたのだが、中世に入ってからは、主に宗教的な理由で混浴が禁止され、中世後期になると『入浴すると毛穴から病気や悪魔が入り込む』という迷信が広まるまでになった。それ故に公衆浴場は無くなり、不潔であることが信者の美徳とまで言われるようになったのだ。
こっちの世界では、魔法や精霊が実在したこともあって、宗教がそれほど強い勢力を誇っていなかったこともあり、道徳を説くことはあっても『入浴は体に害がある』などという迷信は無かったので、人々には絶対に入浴しないという信念があるわけではなかった。ただ、水が豊富な日本と違い、砂漠草原が近くにある東の街はもちろん、この王都といえども水が貴重であることに変わりはなく、庶民が湯船に浸かるという文化が無かったのだ。
ただ、ウルフとミラによれば、古代ローマのテルマエのような公衆浴場が存在する国もあるし、王宮にはサウナか蒸し風呂があるらしい。日本だって、最初から今のような入浴文化があったわけではなく、奈良時代に仏教の伝来と共に、僧侶が蒸し風呂に入るようになったのが最初だと云われている。日本の女性が髪を洗うのも、昭和の初め頃までは、月に一度、盥に水を張って洗うだけで、風呂で洗うことは無かった。平成に入ってからも、洗髪は別料金とする風呂屋も少なくなかった。ユリだって、祖父母の家を出るまでは、ボタンひとつで風呂に入れて、お湯のシャワーを好きなだけ浴びれるなんてことはなかったのに、それが当たり前だと思ってしまうあたり、習慣というのは恐ろしい。
日本ですらそうなのだから、ユリが今いる世界で入浴したいなどと言えば、忌避はされないまでも、奇異な目で見られてしまうことは当然だった。
そういうわけで、あの遣り取りの後、ユリは素直に引き下がったが、改めて闘志を燃やし、風呂に熱意を持って取り組むことにしたのはいうまでもない。
「海外では風呂もトイレも一緒くたでバスルームって言いますし、これもトイレ方式でいきましょう!」
そう言って、ユリは仮設簡易水洗トイレを設置した携帯小屋の中央に浴槽を設置し、入浴時には魔法で湯を張って使うことにした。トイレと一緒というのには多少抵抗があったが、仮設トイレは便座の周囲を囲って外から見えなくしてあるし、浴槽のすぐ目の前にトイレがあるのは日本のホテルとかでも慣れているから、心理的な負担は少なかった。
浴槽については、最初は土魔法で自作してみたのだが、陶器のような湯舟の出来は、あまり良くなかった。プラスチック製の湯舟と違って、肌に触れると冷たいし、肌触りもよくない。肌ざわりに関しては、白磁製の湯舟を作ればいいかもしれないが、触れたときに冷たいことに変わりはない。プラスチック製の湯舟を作る魔法もあるのだろうが、今のユリには出来なかった。
なので、王都の街で木製の樽や盥を作っている業者に、風呂桶を作ってもらうことにした。店の者からは「そんなもの何にするんだ?」と訊かれたが、それは適当に誤魔化した。正直に答えても良かったのだが、マリエラ達との会話を繰り返して変人扱いされるだけなので、本当の話は止めておいたのだ。
出来上がった風呂桶は、何の木を使ってるのか分からないが、木桶や樽を大きくした、日本の檜風呂のような代物だ。ユリが「こういう大きさと形で」と注文したのだから、そういう形状になるのは当然だ。しかも、家族風呂よりも、かなり大きめに作ってある。大人の女性なら五人ぐらいは入れるだろう。
じつは、風呂桶の代わりになりそうな金属製の盥なら既製品があったのだが、ユリが自作したものと同じく、入浴時に冷たいので止めておいた。
そうして風呂を用意したわけだが、この風呂場では浴槽の外で体を洗うことができない。携帯小屋の中では、排水ができないからだ。だがユリは西洋人のように浴槽の中で身体を洗うような使い方はしない。洗浄魔法と清浄魔法で全身を奇麗にしてから湯船に浸かって、じっくりと温まるのだ。
しかし、それでは満足できない。洗い場があって、奇麗な湯に入ってこその日本の風呂だ。排水の問題を何とかすればできないことは無い。
と言うわけで、浴槽の周囲の床を一段高くして、少しだけ傾斜をつけて床に溝を作って、そこに水が流れ込むようにした。そうしておいて、溝の部分に、ダンジョンの中で使った、アイテムボックス式の落とし穴を用意して、そこに排水を流し込みことにしたのだ。
もっとも最初は、アクセサリーを落としてしまって、慌てて中身を全て出して探す羽目になったので、改めて排水は一か所に集めて、網を通して排水することにした。これだと髪の毛とかが溜まって不潔になるが、しょうがない。アイテムボックスに溜まった排水は、川に行ったときなどに捨てている。この世界の物質が徐々に減って行って構わないなら、異空間に捨てっぱなしでも良かったのだが、やり過ぎると惑星の自転速度にも影響しかねない。だから、ときどき、元の世界に戻してやるのだ。
というわけで、ユリはひとりで入浴を楽しむことが可能になった。
「でも、独りで入るのは寂しいですね」
そう思って、マリエラとミラも誘うことにした。もともと、そうするつもりで大きな浴槽にしたのだから当然だろう。
「というわけで、お二人も一緒にお風呂に入りましょう」
「いきなり何言ってるのよ」
「以前話してた『お風呂』を自作したので、お二人を誘ってるんです。
ささ、こちらへ」
そう言って、バスルームとなった収納バッグの携帯小屋に二人を招きいれたのだった。
「おおおっ!」
「あら、まぁ」
現在、トイレと風呂の携帯小屋に間仕切りを置いて、トイレと浴室は完全に分けてある。この携帯小屋は広めに作ってあるので、トイレと風呂場の他に、寝室やリビングなども備えて一軒家にしてしまうのもいいかもしれない。実体は異空間に置かれるので、出入口のドアを開ける場所なら、どこでも使える。通常のテントや家をアイテムボックスに入れて持ち歩くことも可能だが、それを設置するには広くて平らな地面が必要になるので、それよりは実用的なはずだ。
「これが『お風呂』なの?
お湯の水槽って感じだな。
魚でも飼うのか?」
「いえ、世の中にはガラ・ルファ、別名ドクターフィッシュと呼ばれる魚がいて、その魚に体の垢を食べてもらう体験ができるところもありますが、私が造った浴槽に入るのは人間の女性だけです」
「どうやって使うのですかぁ?」
「待ってました!」
そういって、日本式の入浴手順やマナーを、脱衣所でマリエラとミラの服を剥がし、洗い場で髪と体を洗いながら、順序良く説明していった。
「こうやって、石鹸の泡を洗い流したら、あとは湯舟に浸かって、ゆっくりと体を温めるんです」
「「……」」
二人はといえば、あれよあれよという間に裸にされて、全身を洗われ、湯船に放り込まれて放心していた。
「……でも、確かに気持ちいいわね」
「気持ちいいですねぇ。ユリさんがお風呂というものに拘っていたのも、今なら分かりますぅ」
「それはなによりです」
「ところで、ウルフは老若男女が混浴の公衆浴場とか言ってたけど、ウルフやジェイクも誘うの? 男と一緒は、ちょっと嫌なんだけど……」
「男は入れてやりません。入れてやる義理も無いですしね。
まあ、報酬を貰えるなら、男湯の制作を考えないでもないですけど、汚れた男湯を持ち歩くのはお断りですからね~。もし作るなら、男湯は丸ごとジェイクさんにでも押し付けましょう」
「それがいいでしょうねぇ。
それにしても、ユリさんのいない所では、こういう気持ちのいいものが使えないというのが残念ですねぇ」
「確かに、どこに行っても使いたいよね」
「そうですね~。エレノーラさんでも連れ込んで体験させたら、国中にお風呂屋とかが出来たりしませんかねぇ……」
「「それは止めときなさい!」」




