02 初めての異世界【達磨さんとの出会い1】
最初、ユリの意識は混濁していた。
全てが漠然としていて、何かを明確に意識したり考えたりすることができない状態が暫く続いていたが、やがてユリは言語と自我を取り戻し、徐々に意識がはっきりとしてくると、そこは辺り一帯が真っ白な、無重力とは違う上下不明の何もない空間だった。
(何ここ……
目は見えてるんだけど、体の感覚がない……
あ~、私、さっきから全然瞬きしてないや……
目で見ている映像じゃないってことかな……
なんていうか、ここって……小説やアニメで見たり聞いたりした、あの謎空間だよね。
……これはな~んか、すっご~く嫌な予感がするんだけど)
ユリはそこまで考えると、小説やアニメで謎空間に行くことになる、様々な状況を思い出していた。
(え~~なんでぇ~~。
せめて『見知らぬ天井』ぐらいにしておいて欲しかったなぁ。
ここには床も天井も無いんだけどね……)
見知らぬ天井だと、それはそれで物騒なことが起きてそうなものなんだが、そんなこと露ほどにも思わず、ユリが能天気なことばかりを考えていると、意識の後ろ側から威厳の籠った渋い声を掛けられた。
「糊鹼龥驪燐よ、聞くがよい」
「きったーーー!!!」
(これは話に聞く、異世界転生に違いないわ!)
よくある展開に、ユリが胸をときめかせて背後に首を……向けられなかった。どうやら今の自分には肉体が無いのだと気づき、意識だけを背後に向けると、そこには真っ白な口髭と真っ白な頬髯と真っ白な顎鬚でつくった真っ白な毛玉に皺だらけの顔が埋まった、大きく真ん丸な目をした達磨さんがいた。
(うげっ……)
それまでユリは、『大きく真ん丸な目』は可愛らしいものだと思っていたが、それが思い違いだと思い知らされた。
顔に対して比率を間違えた大きさ、魚のような目の形、そして全然瞬きしない顔が、ユリの意識の真正面に現れたときは、心臓が止まるかと思った。
「ちょっと待ってよ! 金髪碧眼のイケメンじゃないんかい!
ここは金髪碧眼のイケメンがセオリーってもんでしょ!
それに、なんで爺さんなのよ!
人生の最期くらい、いい男拝ませてよ!」
「失敬な娘じゃな」
「んでっ? あんた誰なのよ。
一般人の相手してるってことは、神様の役所の下っ端業務の使徒かなにか?」
「……つくづく失敬な娘じゃな。
そんなややこしいもんは、この世にはおらん。
儂は、おまえさん達からしたら神様みたいなもんじゃな」
「自分で自分のことを神様だなんて、な~んか胡散臭いわね~。
大体ね~、そういうのは相手が一神教の信者だと通用しないわよ。
私が寛容でよかったわね。
それと言っとくけどね、力や権力があるくらいじゃ、神とは認めないわよ!」
「ほぅ、威勢がいいの」
「それで、あたしはなんで死んじゃったの?
ブラック企業勤めで過労死した覚えもないし、道路に飛び出して『異世界トラック』に跳ねられた覚えもないし、突き飛ばされて崖から落ちた覚えもないし、オタクと一緒に乗った飛行機が墜落した覚えもないし、コンビニで暴漢に襲われた覚えもないんだけど」
言い終わってから、肥溜めに頭から落ちたとか、崩れてきた本の重さで圧死したとか、ピーカンの空の下で雷に打たれたとか、神様の手元が狂って殺されたとか、生贄にされて首を刎ねられたとかの例も思い出していたが、付け加えていくと切りがないので止めることにした。
全然相手の話を聞かず、勝手なことを言い続けるユリの言葉を、達磨さんが呆れながら聞いていた。達磨さんは『神様みたいなもん』なので、ユリが口に出さずに考えていたことも、全て聞こえていたが、ユリの思考が落ち着くと、ユリの間違いを指摘した。
「何を言うておる。肝心なところが間違っておるぞ。
おまえさんはまだ死んどらん。
おまえさんの肉体は今、病院のベッドでのんびりと寝ておる。
それとも何か? 今から肥溜めに頭から漬け込まれたいか?
あるいは、公園のベンチに眉間にナイフを突き立てられたおまえさんの頭だけが残されていたという状況の方が、おまえさんの趣味に合っとるかの?」
「そんなこと望む奴がどこにいるってのよ!
現実にそういう悲惨な死に方した人もいるんだから、冗談で言っていいことじゃないんだからね!
まったくも~、あんたみたいな非常識なのに言ってもしょうがないんだけど、こんな所に連れてこられたら死んだと思うじゃないの。
脅かさないでよね~。
……あれ? あんた、今、『まだ』って言った?」
「人間のすることは儂には理解できんのじゃが、おまえさんの肉体には、よく分からん管がたくさん繋がっとってな、なにやら意識不明の昏睡状態なんだそうじゃ」
「超ヤバいじゃん!」
「なに、心配はいらん。
おまえさんが泥酔して公園のベンチで寝ておったのを通報されて運ばれただけじゃ。
死にはせん」
「本当? ねえ、本当に本当? そんなんで私、チューブだらけになる?
ん~~、急性アル中かな? 夕べ私そんなに飲んでたっけ?
あれ? まだ今日なのかな?
どうしよう、病院に会社の上司とか呼ばれたらやだなぁ~」
「なに、安心せい。
今のところおまえさんは身元不明じゃから誰も呼ばれんよ。
おまえさん、公園で寝てる間に、身に着けていたバッグとか貴重品とかが、全部盗まれたようじゃな。ついでに指輪なんかも盗まれとる」
「安心せいって……、持ち物が全部盗まれた時点で、全然嬉しくないんですけど。あ~~、あのバッグと指輪、結構高かったのに~~」
実は、達磨さん(神様)が言った「指輪なんか」にはユリのブラジャーも含まれていて、警察への通報は「公園のベンチで、胸を開けて、おっ〇〇丸出しの変態女が寝てる」という迷惑防止条例違反の告発だったので、その時点で警察が来ているのだが、達磨さん(神様)はそういうものに興味がなかったのか、話がややこしくなるのが面倒だったのか、どうせ目覚めれば分かることだからと、細かい話はスルーしていた。
そんなことより、その後、達磨さん(神様)はユリに、とんでもないことを伝えた。
「それとな、病院の検査で薬物反応が出たから、警察も呼ばれとるの」
「ちょっ、薬物反応って何よ!?
私、違法薬物なんてやってないわよ! 冤罪よ!!
こんなことしてる場合じゃないでしょ!!
さっさと起こしてよ!!」
「まぁ焦るな。
薬物は知らん間に盛られたものと警察は考えとるから心配いらん。
盛った犯人は既に捕まっておるしの」
「なんで私が身元不明なのに犯人が捕まってるのよ?」
「奴は飲み屋で働いとった小僧でな、おまえさんの他にも被害者がおったので、それで捕まっとった。おまえさんが座っていた隣のテーブルにいい女がおったろう。奴はその女に薬を盛ろうとして、間違っておまえさんに飲ませてしまったんじゃな。その後で、改めてその女に薬物入りの酒を飲ませたんじゃが、女の仲間が異変にすぐ気がついて救急車を呼んだんで、おまえさんと同じように薬物が見つかって警察が呼ばれてな。飲み屋の小僧の客のあしらいが色々と怪しかったことを、女の仲間が警察に伝えとったから、それですぐに奴が捕まったのじゃよ」
「あ~、あいつか~、私も何か怪しいと思ってたのよね~。
だったら尚更、起きて警察に事情説明しなきゃいけないでしょ」
「どうせおまえさんの体は、薬が抜け切るまでは起きられん。
折角じゃから、この機会に、おまえさんに教えておくことがある」
「なによ、それ。勿体ぶらないで、さっさと言いなさいよ!」
「実はな、おまえさんが生まれるときのことじゃ。
おまえさんは両親によって、特殊な力を与えられたのじゃよ。
いや、正確には、おまえさんの両親が神々を怒らせてな、その因果の報いを受けたのじゃ」
「なになにっ!
私ってスキル持ちだったの!?
報いって言い方が気になるけど、ねぇ!何をくれたの!?」
「『イリーザ・オーロン・トン・カコン』じゃ」
「イリーザ、ポロンと加工? 何それ、なっがい名前ね~。
イリーザちゃんのおっぱいポロン画像を加工するスキル?」
「違うわい! 『イリーザ・オーロン・トン・カコン』じゃ!
特定の事物をどうこうするというものではないので、説明は難しいがの」
「お爺ちゃん、自称神様なのに情けないわね~。 本当に神様なの?
説明できないのに、なんで私にそんなこと教えに来たのよ」
その後、ユリの本名「糊鹼龥驪燐」という、現在の法律では存在しえないような名前に纏わる、ユリの両親についての、思い出したくもない話が続けられたが、それはここでは重要ではない。
(うん、忘れよう!)
「でぇ? 結局、あたしに何が言いたいわけ?」
「親が子にふざけた名前を付けるのは虐待じゃ」
「そんなの、馬鹿親たちに言ってよ」
「そしてな、他人の飲み物に薬物を盛るのは犯罪じゃ」
「当たり前じゃない!」
「道端で寝ている者の持ち物を盗むのも犯罪じゃ」
「だから何なのよ! それ全部、被害者が私なんですけどぉ!」
「おまえさんの家の近所の年寄りがカバンを引っ手繰られてな」
「それは私と関係ない」
「そうでもないんじゃ」
「はぁ~~~?」
「すべて、おまえさんが受けた激レア能力、『イリーザ・オーロン・トン・カコン』によるものなのじゃよ」
「……はあっ??」
「例えばじゃ、『電車でおまえさんの隣に立つと、尻を撫でずにはいられなくなる』ような力じゃ。相手は男女関係なく発動するぞい」
「ふざけないでよ!
痴漢はされた方に問題があるみたいなこと言ってんじゃないわよ!」
「そうではない。
『誰かの』尻を撫でずにはいられなくなるのじゃよ」
「言ってることがわけ分かんないんですけどぉ~」
「おまえさんに関わる者は、多かれ少なかれ、心に秘めた悪事を働かずにはいられなくなるということじゃ。
そこにいるのがおまえさんだけなら被害者はおまえさんになる。そして、対象が他にもいれば、その限りではない」
「…………、ねぇ? ちょっと教えて欲しいんだけど。
私の住環境や職場との巡り合わせって、もっのすご~く悪いの。それって、もしかして、全部その力のせいだったりする?」
「全部ではないが、ほぼ全部がそうじゃな」
「私の両親が悪いことしたのも?」
「それはこの力を受ける前のことじゃから関係ないのぅ」
その頃、ユリの予感が、ガンガンに警鐘を鳴らし始めていた。
「……ひとつ確認したいんだけど。
それって日本語で言い換えられるんじゃない?
てか言い換えてくれない?」
「ふむ、『諸悪の根源』じゃな」
「んにゃ~~~!!
ユ~リア~~~!!!」
ゼェ、ゼェ、ハァ、ハァ。
ついつい一部の界隈で有名な諸悪の根源の名前を叫んでしまった後、ユリは呼吸を整えて、苦情を捲し立てた。
「諸悪の根源ってなによ、諸悪の根源って。
私が何したっていうの? 酷すぎない?
大体、おかしいじゃないの。
お話に出て来る諸悪の根源って、普通は傾国の美女とか、でなけりゃ王妃様とかでしょ? 存在自体に役得がある人間のことじゃない。
私は被害者なのよ。
本人が被害を受ける諸悪の根源なんて、聞いたことがないわよ!」




