10-2
ただ、会いたかっただけか?
(…飼い主でもない辻原に?)
会って、どうする?
(助けて貰った恩返しでもするつもりか?)
助けて貰った恩を返す為、動物がその人物の元へと訪れる話は昔話などでは幾つも伝えられている。
だが、既に発想が突拍子もないものになっていることに朝霧は気付くと、苦笑を浮かべた。
「…全然、解らん」
机に頬杖をつき、再び溜息をついた。
それでも、コイツにとっては重要な何かがあるのだろうということだけは分かる。
(あんなに必死になって…。お前いったい、どうしたいんだよ?)
その小さなふわふわした耳元を指先でそっと撫でた。
くすぐったかったのか、ミコは目は覚まさないものの耳をぴくぴくと動かしていて、その様子に思わず笑みがこぼれる。
(それにしても…)
朝霧は病院で見た実琴の様子も気になっていた。
(辻原があんな風に暴れるなんてな…)
家族や職員の手を振り切って取り乱していたその様子は、普段穏やかな彼女からは到底考えられないことだ。
(親父は興奮状態だったかも…なんて言っていたが、そんな症例あったりするのか?)
朝霧は机の奥に置いてあったノートパソコンを傍へと引き寄せると、それを開いて起動した。
頭を強く打った上で言葉が出て来ないともなれば、重い脳機能障害などが疑われる。
(…冗談じゃない)
朝霧は検索ページを立ち上げると、カタカタと文字を打ち込み始めた。
鳴き声が聞こえた。
…子猫の、鳴き声が。
外見は自分。
普段から見慣れた『実琴』、そのままの姿。
寝起きで髪も乱れていたし、ちょっとやつれた感じではあったけれど。
だけど、何より怯え方が半端ではなかった。
慌てたように病室から目の前に飛び出して来た『実琴』は、酷く怯えた様子で手を差し伸べる人たちの全てを拒否している感じだった。
人の手から逃れるように、必死に周囲を搔き分けていく。
でも、上手く歩くことが出来ないのか、足元は覚束ない様子で壁にぶつかってはよろめき、最終的には床に膝をついてしまった。
途端に看護師たちに囲まれ、拘束され。怯えはパニックへと変わっていく。
それは、まさしく『あの子猫』だった。
守護霊さんが言っていた通り実琴の身体の中に助けたあの小さな猫ちゃんがいるのが私にも分かった。
見えている…というのとは違う。それは、感覚的なものだった。
そして、声が聞こえる。
…タスケテ
コワイヨ…
タスケテーーー…
それは、あの木の上で助けを求めて鳴いていた猫ちゃんと同じ。
切ない、悲痛な叫びだった。
でも、そうだよね。気が付いたらこんな場所にいて知らない人間たちに囲まれて。パニクらない方がおかしいよね。
きっと、人になど慣れていない。
まだ生まれて間もない、小さな子猫なのだから…。
助けてあげたかった。
少しでも、不安を取り除いてあげたかった。
『大丈夫だよっ!猫ちゃんっ!大丈夫だから…っ…』
誰に言うでもなく、ただひたすらに助けを求めているその声に切なくなって、実琴は飛び出そうとした。
だけど、それは叶わなかった。
朝霧の手に阻まれたのだ。
「馬鹿、出るなッ。今は駄目だっ」
小さな声だが言い聞かせるように朝霧は言うと、ポケットから出ようとする自分を必死に抑え込んだ。
表面上は冷静さを保っているようだったが、朝霧も目の前の光景に驚きを隠せない様子だった。
『離してっ朝霧っ!!猫ちゃん不安になってるっ!私が行ってあげないと…っ。私と猫ちゃんはっ…っ…!!』
実琴が声を上げても、朝霧は聞き入れてくれない。
猫の言葉が解らない以上仕方のないことなのだが、その時はそれどころではなく…。
『お願いッ!朝霧っ!!』
出して欲しいと必死に暴れた。
だが、この場は一旦離れた方が良いと朝霧は判断したのか、実琴をポケットに押し込めたまま、その騒ぎから遠ざかるようにスタスタと別方向へ足を進めていく。
『タスケテ…』
遠のいていく子猫の声を耳にしながら、実琴は何もしてあげられない己の甲斐なさに泣き崩れた。
『お願い、だよ…あさぎり…っ…』
子猫の姿である今の自分に、涙は零れなかったけれど。




