10-3
病院の外へと出た所で、やっとポケットの中から出して貰うことが出来た実琴だったが、その時には既に体力も気力も限界に達していた。
身体が重くて、上手く動くことすら出来ない。
元々疲労が溜まっていたところに、狭いポケットの中で暴れたり泣いたりした為、余計に体力を削られてしまったのかも知れなかった。
『せっかく…会えたのに…。私、何もしてあげられなかった…』
ただただ、無力な自分を呪う。
傍へ行けば何とかなる、なんて。楽天的な考えも良い所だ。
(本当に…これからどうしたらいいか、全然分からないよ…)
何か次の策を考えなくては、…と思うのに。
頭もろくに働かない。
手のひらに乗せられたままその身を預け、力なく朝霧を見上げていると。
朝霧は思いのほか真面目な顔で見下ろして来た。
「また、必ず連れてきてやるから。だから、そんな顔をするな」
まるで誓うように小さく呟くと。
驚きの眼差しで見上げている実琴の頭をそっと優しく撫でた。
(あさぎり…)
何で、こんなにも優しいのだろう。
(ホントに朝霧は…。猫には無条件に優しいんだね…)
そんな顔は反則だと思う。
こんな温かい手も反則だ…。
何の事情も知る訳でもないのに、何故だか全てを引っくるめて『大丈夫』だと言ってくれているようで。
その手の温かさに安心して、唐突に襲ってきた睡魔の波に身を委ねた。
――どれ位、眠っていたのだろう。
気が付くと、朝霧の部屋にいた。
ここ数日で見慣れた部屋の天井が見える。
寝心地が良かったのは、寝床の籠の中で眠っていたせいなのだと気付いた。
(朝霧が連れ帰って寝かせてくれたんだ…)
身体の怠さは、もうなくなっていた。すっかり回復したようだ。
実琴は、もぞもぞと動き出すと籠の外の様子を眺めるべく、ひょいと顔を出した。
(…わ…)
顔を出してみて驚いた。
すぐ目の前に、朝霧の寝顔があったのだ。
自分が入っていた籠は机の上へと置かれていたようで、朝霧は目の前の椅子に座り頬杖をついたまま居眠っていた。
(朝霧も居眠りなんてするんだね。疲れちゃったのかな…)
実琴は籠から出て傍まで寄ると、そっとその寝顔を見上げた。
端正な顔立ちの、綺麗な寝顔。
(睫毛、結構長いんだ…)
普段掛けている眼鏡は今は机の上に折りたたんで置いてあり、普段の朝霧とは随分と違った印象だった。
何か調べ物でもしていたのか、ノートパソコンが開かれたままになっている。
実琴は、そのパソコンの前へと回り込むと、すぐ傍に置いてあった朝霧の手にそっと自分の手を添えた。
起こさないように、そっと…。
そしてその場で項垂れると、心の中で謝罪の言葉を口にした。
(今日はごめんね…朝霧…。本当に迷惑かけた…)
朝から自分のことで散々迷惑を掛けてしまった自覚は流石にある。
病院にいることは父親から連絡を受けていたとしても、広い院内の何処にいるかなんて分からないのに、それでも朝霧は探し当ててくれた。
それに『実琴』の傍へ連れて行こうとしてくれた。
――子猫が人に会う為に病院へ行く。
全く有り得ない話ではないのかも知れないけれど、普通に考えてなかなか信じ難いことだとは思う。
それを朝霧は普通に受け入れてくれていた。
病室へ向かう時も…。普通なら、院内で動物などを放したら暴れて騒ぎになるかも知れないし、衛生面からしても色々と問題な筈だ。
なのに、朝霧は…。
(信じて…くれてるんだよね?ミコのこと…)
それは、今までのミコ(自分)の行動一つ一つを朝霧がよく見てくれていた証拠なのだと思う。
それが何だか嬉しくて。
同時に、偽っている自分の立場が悲しく感じた。
(ごめんね、朝霧…。私、朝霧に本当のこと伝えたいよ…)
呆れられてもいいから。
嫌われてもいいから…。
それは『実琴』の中で戸惑っている子猫の為でもあるし、協力してくれている朝霧への自分なりのケジメでもある。
早く子猫の不安を取り除いてあげたかった。
その為には、また病院へ向かわなければいけない。
だが、それには協力者が必要不可欠なのだ。
それを今日のことで痛い程に知ったから…。
自分の体裁なんて、この際どうでもいい。
たとえ、それで朝霧に軽蔑されてしまうとしても――…。




