‐Ⅶ.悪の総統は相当な悪‐ 5
「分かったわ、分かりましたー! もうっ、守ってくれなかったら承知しないわよ!」
ヨキの目配せに、エメラルドは今度こそ覚悟を決めて結界に全力を傾注した。両手を前に差し出して詠唱を始めると、詠うように美しい声を響き渡らせる。その足が、重力から解き放たれたようにゆっくりと浮かび上がった。
「光輝たる、人々の清浄なる祈りよ」
それは戦場のまっただ中にあって、誰もが手を止めてしまうような侵しがたい神聖な光景だった。
「高貴なる、神々の清澄なる雫よ」
エメラルドのはちみつ色をしたきらびやかな髪が、鉛色の空の下で太陽の代わりに世界を照らしだすようだった。胸に抱えた暖かな光が、強く輝いて指の隙間から漏れていた。
「人よ、賜杯を雪ぎ奉れ 神よ、寵愛を注ぎたまえ
人よ、驕慢を矯めし奉れ 神よ、信仰を試したまえ」
――〔【聖輝】〕――
エメラルドの力は、彼女の世界の理によって、その手の中に顕現する。天を衝いた光が有機的に形を変え、光条となって一帯を取り囲むように降りそそいだ後、何者をも逃さぬ堅牢な幾何学模様の結界となる。一仕事を終えてふわりと地に降り立つと、彼女はかすかによろめいた。
それを背後にかばいながら、ヨキがさらなる指示を飛ばす。
「テトラ、座標の解析は続けているな」
「もちろんですわ。けれど」
テトラはそこで不服そうな顔をして黙りこむ。先ほどの大爆発から敵の猛攻がやんでおり、ヨキは念のため用心しながら怪訝な目を向けた。
「よもや今さらできぬとは言うまいな」
「心外ですわね、伯爵。ただ、自力で解くには少々時間がかかるのですわ」
「ならばそれに専念しろ。敵は私が引き受ける」
敵を引き受ける──。傷だらけの男がそう力強く告げるのだ。そのことが、テトラに役割の自覚を促す。
「……ふぅ、分かりましたわ。課せられた命題は自分で解き明かす主義ですけれど、今回ばかりは伯爵に免じて折れて差し上げますわ」
「ふっ、そうか。そうだな、それは悪いことをした」
「ふふっ、なんてね。よろしくてよ」
テトラは微笑みながら、横目にヨキと視線を交わす。そこには奇妙な信頼関係が生まれていた。心を許したというより、相手が何を考えているのかとか、どんな言葉を求めているのかが、手に取るように分かっているのだ。目をそらさないまま、慣れた手つきで空間に呼び出したインターフェイスを操作していく。
「ラビ、エサの時間ですわよ。わたくしの精神とダイレクトリンクして有機深層学習の準備を」
彼女が自分のスーツユニットに常駐させているAIに呼びかけると、インターフェイスはすぐさまパネルをいくつも展開していき、そこに文字が現れては読み切れない早さで消える。
「パフォーマンス重視で転移温度と脳温のチューニングもなさいまし。準備ができたら合図まで待機」
インターフェイスは明滅するような早さで文字を送る。RAβI、起動コマンド、パスワード、生体認証、ダイレクトリンク、健康状態、オールクリア。精神保存機構動作確認、ファイヤーウォール、ライトニングロッド、ブレーカー、ディスコネクター、アース、オールコレクト。
「心なしか安全装置が多いぞ。危険だからではないのか」
呼びかけに反応はない。ややあってから、テトラは細めた目をヨキに向けた。それは口元は微笑しているのに、機械のように無機的な瞳をしていた。
「伯爵、それは聞くだけ野暮ってものですわよ」




