‐Ⅶ.悪の総統は相当な悪‐
おとぎ話には、いくつかの語られぬルールがある。
正しさも、過ちも、等しく扱うこと。
心から望むのなら、許し、赦されること。
そして、伝承も、寓話も、悲劇ですら、人を不幸にするためにあってはならないということだ。
舞台は、『先代伯爵』ラキが壮絶な最期を迎えたあの場所だった。
超巨大な廃工場は年代を感じさせ、物言わぬままに静かな存在感を放っている。
工場の手前には、広大な土地を持て余すような、一面の平地が広がっていた。
なぜだろう。空模様は、いつ見ても不吉な曇天。
「……来たか」
後ろも振り返らず、ヨキは遅ればせながらテトラとシャオリンが到着したことを察知した。
「あれは……なんですの? 光学センサーで観測できないのですけど」
テトラは姿を現すなり、目を皿のようにして前方を見つめながら、空間投影した立体映像のキーボードを忙しなく叩いていた。彼女の目を覆うバイザーには何の異常も検知されていないようだったが、しかし目にしている光景に納得できずにあらゆる計測を行っている。
ヨキが敵意を持って見つめる先、平地のまん真ん中に、ぐにゃりとでも表現するような歪んだ光景が見て取れた。それは周囲にはないはずの飴色に滲んでいて、まるでどこか別の世界の色を映し出しているかのようだった。
何もないはずなのに、不気味なうめき声が、遠く、近く、響く。
「何この声……! おい、そこの悪党! なんなのこの声みたいの!」
シャオリンは周囲を見回し、震えながらテトラにしがみついている。
ぞんざいな扱いを受けたヨキだったが、感情を波立てることなく返す。
「悪ではない、アークだ。ヨキ・リヒター・アークブラッド」
「いや聞いてないっつの」
「構えろ。すでに戦場だぞ」
そう告げるヨキは、すでに黒刀の柄に手をかけており、よく見れば鯉口を切っていた。彼は目を細めて前方を睨んでいるが、全周囲に気を張っているのが分かった。武術の心得があるシャオリンには、一対多数や集団戦で立ちまわる達人の姿と重なって見えた。一対一の修練しか積んでこなかった彼女はまだ体得していない遥か高みの領域だ。
「は、伯爵っ、わたくしも聞きたいことがあるのですけど」
テトラが声を震わせながら袖を引いていた。この天真爛漫な少女が顔を曇らせるのは初めてだ。
「ああでもこんな専門的なこと聞いても」
「構わん、話せ」
促されても、テトラは折り曲げた人差し指の背中を唇に当て、口の中でぶつぶつと呟いていた。
「こんな専門的なこと、無教養で無価値かつ無職な中年男性に聞いても意味ないですわね」
「えっ? いやいや粋で鯔背な好青年に聞いてみたほうがいいと思うぞ私は」
「無職とか否定はしないのか……」
二人とも真剣な顔で前を向いたままのやり取りだったが、傍から見れば表情を除いていつものくだらない場面であった。どう反応していいか分からず、シャオリンはツッコミに精彩を欠く。
「マザーコンピュータとの接続が、一万分の一秒ていどずつですけれど規則正しく前後してズレるのですわ。環境ノイズも少ない静かな場所ですのに。それ自体は普段なら誤差の範疇で珍しくもないことだけど」
「仮説でもいい。言ってみろ」
ヨキの後押しに、テトラは意を決したように話し始めた。
「仮に、ですけれど……これがもし重力波によって起こる時空の停滞だとしたら、一万分の一秒でもとんでもなく大きなズレですわ。核兵器でもここまでズレさせることはできませんのよ。ディレイが観測できるレベルの重力波が、こんな静かな場所で起こるはずなんて、考えられませんわ」
そこまで言って黙りこむテトラ。みな口を開かず、あのうめき声のような不気味な音が辺りを支配した。
「……ある世界は、科学ではなく魔法が栄えていた」
唐突にヨキが話し始める。
「またある世界では、物理法則や魔法体系とも外れて超自然的な現象を操る、異能が栄えた」
「なんの話よ。つながりが見えないんだけど」
軽口を叩くセラフだったが、それ以上じゃまをするつもりはなさそうだった。
「魔法を操る世界の人間は、魔素を感知する感覚器を備えていたために、それを操るすべを研究していった。同様に異能を操る世界の人間は、例えば水を操る異能者であれば水素原子を、重力を操る異能者であれば重力子を感知する感覚器を備えていたため、その研究が栄えたのだ」




