‐Ⅲ.自由なオタク市場の中でこそオタク文化は隆盛と衰退から進化を見出す‐ interval
◇ ◇ ◇
光の粒子が大気に満ちていた。
太陽は出ているがそれの反射ではない。それ自体が発光しているような白い光が、風に散らされずに宙に浮いているのだ。
「……ふぅ。これでおしまいね」
エメラルド――いや、変身をしていない――けねぁは空中に停滞したまま、太陽を背にゆっくりと吐息した。
両腕を広げて宙に浮くさまは、神々しささえ感じた。二つのおさげにした透きとおるような流麗な髪は、髪留めのくさびがなければさぞ悠然と風を泳いでいたことだろう。
《確認された『綻び』も修復と補修が終わりました。対象の制圧もたった今確認。ミッション終了です、お疲れさまでした》
オペレーターの声を脳裏に聞きながら、彼女は十メートルの眼下に広がる廃工場に目を落とした。そこにはおびただしい量の赤黒い液体がところ狭しとぶちまけられており、人体に害でもありそうな臭気が漂っていた。
《差し出がましいようですが……お顔が優れないのでは?》
「そんなこと、ないわ。せっかくだから清浄化もしておくわね」
《そこまでは求められていません。使節どのはお早く帰還されて体を休めてください》
「いいのよ、好きでやっているんだから。それに――これくらいはさせてちょうだい」
顔の前で指を絡めて手を合わせ、小さく何ごとかを呟く。
――〔【聖輝】〕――
謳うような軽やかな声音を、電子音声がなぞった。瞬間、風がはじけて光の舞う幻想的な光景がゆっくりと終わりを告げる。
彼女のまわりに新たに淡い光がどこからか集まり、ゆっくりと旋回を始める。ほかの仲間が身にまとったショックアブソーバの光子とはまた違った、やわらかな光だった。
星くずのような無数の滴が、きらきらと舞い降りていく。それはうらびれた廃工場の中にけして溶け込まず、そこに神話に言う荘厳な情景を映し出していた。
《……お待ちください! エントロピー値の攪拌を検知しました! 何者かが接近中!》
「――っ!」
オペレーターの鋭い声に思わず彼女は姿をくらまそうとしていた。鉄橋に降り立ちながら、そこで接近しているのが誰なのかすぐに思い当たって身を隠すのをやめる。誰にも告げずに出歩いても、どういったわけかすぐ見つけてしまう少女がいるのだ。
しばし考え込んで、少々不自然だが巨大工場の散歩としゃれ込んだ。
今日のけねぁは、普段より丈の短い白のワンピースだ。陽光に映える清純なイメージカラーを着こなしながらも、性的な魅力をさりげなくアピールするシルエット。そして少し意外にも、チェーンのベルトに柄物のブーツという出で立ちだった。
顔まわりにアクセントを集めないのは、密かな自負の表れだったか。
太陽は中天している。ほどなくして、それを雲ではない何かが遮った。
「あー、見つけましたわー!」
声の主はりぁむだった。まるで雲で造ったような気球にぶらさがり、ブランコみたいに漕いで空をすいすいと進んでいる。お嬢さま学園のシックな制服姿の彼女は、飛ばされないように制帽を押さえて喜びの声を上げていた。
けねぁは驚くでもなく、やわらかな笑顔で迎える。
小さな声でオペレーターに伝えた。
「か、間一髪だったわね……。今度からあの子の動きをモニタしといてもらえる?」
《承知しました。とは言え、なにぶん彼女は私どもも舌を巻く逸材ですので、追いきれるか確証はありませんが》
「誰としゃべってますの?」
「ううん、楽しそうな乗り物だなぁって」
どういうわけかその気球は漕ぐのをやめると小さくしぼんでいった。だんだんと高度を下げ、りぁむは十分に近づいてからけねぁの腕に飛び込んだ。
「ねぇねぇっ、聞いてくださらない?」
「あらあら、どうしたのかしら。フフフ」
汚れを知らない純朴な少女の瞳で、りぁむは高揚に声を弾ませた。
「シュレディンガーの猫の生存性存否に仮説を導きましたの!」
「あ、あらあら、えーっと。……え?」
「メソッドを見て、おじ様たちも『美しい』って褒めてくださったのよ!」
まだ幼い少女が楽しげに話したのは、クラスメイトと遊んだとかアニメを見たとか、そういった年相応の微笑ましい内容ではなかった。
ちなみに「おじ様」とは、けねぁの記憶が正しければサンタ社の技術部最高顧問の肩書きを持つ初老男性だ。この国の科学技術界でもっとも長く、そしてもっとも前線で活躍した人物で、その業績は空前であり、また絶後であろうと言われている。
「あのね、りぁむちゃん。私に話してくれるのは嬉しいんだけど、きっと聞くだけになっちゃうと思うの」
けねぁは以前にも何度かそうしたように、笑顔を曇らせずいつもどおり素直に胸裏を吐露した。しかし回答も予測していたもので、
「構いませんわ!」
きっぱりとした明朗な一言に、断る理由はなくなってしまう。
腕を引かれ、けねぁはその場を後にする。
《お気になさらずに。あとは我々で処理にあたります》
頭の中の声に小さく「うん」と答える。
二人は仲良くその場を後にした。




